織姫と彦星(いち誕2013)

13/07/15 20:13





今日は俺らのおごりだからさっ!
やけに上機嫌なケイゴの誘いに乗って、久しぶりに高校時代の連れとカラオケに行った帰り道。一護は人の数も疎らな商店街を歩いていた。

大学なんて毎日が休日のようなもので、遊びかバイト三昧だと思っていたが、実際は思いの外忙しい毎日を送っていた。それは一護が医大生だからか、まだ一年生だからかは分からなかったが、何れにしても今の一護にとって、忙しさに紛れてしまえることはありがたかった。

互いの近況報告もそこそこに、あとはケイゴのオンステージ。ある程度予想はしていたものの、相変わらずのテンションに今になってどっと疲れが押し寄せてくる。


足取りはゆっくりと、一護はシャッターの閉まる軒先の目立つ商店街を進んでいく。

商店街のちょうど中央まで来た辺りだろうか。そこにはいくつか短冊のぶらさがった笹の葉が飾られていた。
七夕を一週間も過ぎているというのに。一護は苦笑する。時期外れの七夕飾りは商店街の侘しさを余計に際立たせているみたいで、胸が軋む。

意識しだしたのは、ちょうど七夕の頃だっただろうか。その日から、一日一日がこれほどまでに長く感じたこと、そしてこの日をこれほどまでに待ち望んだことはなかった。
今日は一護にとって、今後の自分にとっての節目だった。もしまた、ルキアに会えるとするならば、それは今日で、逆に今日を逃せばもう二度と会うこともないだろう。一護は今日に賭けたのだった。


あの戦いが終わっても、ぴりぴりと張りつめた緊張の糸はなかなか弛むことがなく、後始末の喧騒に紛れて気がつくと一護たちは現世にいた。そして何事もなかったかのように日常生活を再びスタートさせていた。ルキアと挨拶はおろか、顔を見ることすらできなかった。ふと我に返ったとき、一護とあちらの世界を繋ぐものはなくなっていた。まるで初めから何もなかったかのようで。それから半年以上も経ってしまっていた。



しかし、実際に今日を迎えてみると、心はざわざわと落ち着かない。結論を出すのが怖くなる。

じとじととまとわりつくような暑さの中、一護の足取りは重かった。







*


「ただいまァ」


いつもより少し重たく感じる扉を引く。無意識に足元に目をやるも、そこには見慣れた靴が三足あるだけだった。


「あ、お兄ちゃんお帰りー」

ひょこ、と遊子がリビングから顔を出す。


「親父、帰ってんの?」


「うん、少し前に。先にお風呂入ってるよ」

風呂場の方からは呑気な鼻歌が聞こえる。


「夕飯、もう少しかかるから、お兄ちゃんも先にお風呂入っちゃう?お父さんももうすぐ出てくると思うし…」


「おー、そうするわ」



廊下を抜けるとき、キッチンからふわりと香ばしい匂いがした。今夜はごちそうかな、一護は少し目を細めて二階へ上がっていった。

二階の自室は熱気がこもっていて、入った瞬間にもわりと不快な空気が身体にまとわりつく。
ぎ、とベッドに方膝を立てて、一護は窓を開ける。ぬるい風が部屋に入り込んでくる。一護は窓の下に視線を落として、ふ、と小さなため息を漏らした。







*


時計を見る。
窓の下を見る。


さっきから何度繰り返しただろう。
時刻は午後十時五十分。さっき時計を見たときから、針は三分しか進んでいなかった。


心臓がぎしぎしと嫌な音を立て始めていた。
来ないかもしれない相手を待つことはこんなにも苦しいことなのか。


もういっそのこと、あきらめてしまいたい、と何度も一護は思った。しかし、きっかけが見つからなかった。小さな期待が心の隅に残って消えてくれなかったからだ。それは、半年以上も期待できたことが信じられないくらい小さいものだった。でもしつこくて、絶対に消えようとはしない。頑固なところはまるでルキアだった。



時計を見る。
午後十時五十二分。

あと一時間と少し。


午前零時になったら、この小さな期待を今度こそ消してやろう、と一護は心に決めていた。
もう今となってはルキアに会いたいのか、好きなのか、忘れたいのか、分からない。どこかで、このまま零時まで来なければいいのに、と思っている自分が怖かった。



「…でも、もう楽になりたい…のかな」


窓の下を見る。




一護は目を大きく見開いた。がっ、と勢いよく窓枠に手をかけて、窓を開ける。
窓の下では、待ち焦がれた人が、同じく目を見開いていた。

一気に、ぶわ、と一護の身体中の体温が上がっていく。気がつくと部屋を飛び出して階段をかけ下りていた。



外へ出ると、ルキアは死覇装で門の傍にちょこん、と立っていた。

「…すごいなぁ、昔映画とやらで見ただろう?ほら、バイオリンの。あのときの男みたいに窓の下から、気づけ、気づけと願っていたら本当に一護が顔を出した」

ルキアは心の底から驚いているようで、興奮気味にそう言った。


「…そりゃあ」
三分に一度見てたんだから気づくに決まってんだろ、とは言わずに、代わりに一護はルキアを勢いよく抱き寄せた。



「わ…!」

ぎゅ、と強く力をこめる。


「い、一護…苦しい…!」

ばしばしと背中を叩くルキアに、一護は力を弛めるものの、身体を離そうとはしなかった。
そしてそのまま言葉を紡ぐ。


「…よかったぁ」


「え?」


「あぶねーとこだった。俺もう少しであきらめるとこだった」


「一護…」


「…会いたかった」


一護らしからぬ素直な物言いに、ルキアの全身がかっと熱くなる。
ちらりと一護の顔を覗きこむと、情けないくらいに垂れ下がった眉に、伏した瞳はゆらゆらと揺れていた。



「…すまぬ…気がついたときには、お前たちは現世に戻っていて…その色々と忙しく、こんなに遅くなってしまった」

一護の腕の中でルキアがぼそぼそと話し出す。一護はルキアの首元に顔を埋めながらそれを聞いていた。


「何より私は、怖かったのかもしれぬ」


「…何が?」


一護が顔を上げて問うと、ルキアは恨めしそうな瞳を向けた。



「貴様に…会うことが…忘れられていたらどうしようかと」


「忘れるかよ」

一護はまたルキアの首に顔を埋めて言った。声がくぐもって泣いているようにも聞こえる。


「…忘れたくても、忘れらんなかったくらいなんだぞ」


「…すまぬ」


「もう謝んな」


「…あ、あの」

突然、ルキアが思い出したかのように、もごもご呟く。


「…誕生日、おめでとう」


「…うん 」


「そ、それでだな、実はその、プレゼントを用意していなくてだな…あの、直前まで色々と悩んでいたものだから…」


「いーよ、別に」


「いや、よくないぞ!その、よくない、ので…代わりと言ってはなんだが…」



ルキアはおずおずと、一護の頬を両手で挟んで顔を上げさせる。そして何故か眉根を寄せて、ゆっくりと一護の額に唇を近づけ軽く触れさせた。



「………」



「…デコかよっ!つかなんでそんな嫌そうなんだよ!」


「いっ、嫌そうにしたつもりなどないぞ…!」


「眉間…すげー皺寄ってんだけど」


「こ、これは…あの緊張…緊張したのだ!」


「やり直し」


「え?」


「今のは不合格だ。ほら、やり直せって、今度はこっち」


ん、と一護は自身の唇を指差していた。


「きっ、貴様調子に乗るな!!」


「うるせーな!俺だって恥ずかしいんだ!早くしろ!」



ルキアは夜目にでもはっきりと分かるくらい顔を真っ赤に染めていた。一護の訳の分からない言い分にすら言い返せなくなっているらしく、暫く子供みたいに嫌だ嫌だと騒いでいたが、やがて観念したようで黙りこくってしまった。



「…今日だけだからな」

一護にも聞き取れないくらいの小さな声で呟くと、一護の肩に手をのせて、すっと背伸びをして軽く触れるだけのキスをした。
唇が離れそうになった瞬間、一護はルキアの腰をぐい、と引き寄せて今度は自分から口づけた。それは、先ほどのルキアのものとは違う、深くて甘いものだった。


唇を重ねながら、一護は思う。これでまた、こいつといつ会えるのか分からない日々を送るのだろうか。しかし一護は、あきらめてしまいたい、そう思っていたほんの数分前の自分の気持ちでさえ理解できないくらい、そんな日々に希望すら抱いていた。


俺って単純だな、そう心の中で笑った。











end.




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