恋は路傍の花

2019/10/21 18:03
道があるなら行こうじゃないか 怖い気持ちよりも怖いもの見たさ


キャラが掴めてないので捏造含みます※



ベック『ヤソップの診断で来た刀に力を送ってみたんだが…』

ヤソップ『予想通りのが来たな』

和泉守兼定(以下、和泉守)『俺は和泉守兼定、かっこ良くて強い!最近流行りの刀だぜ』


ベック『(えーと、えーと、と言いながら刀剣について書かれた書物を読み漁り)い、い、…いずみのかみ…かねさだ…和泉守兼定………あった!
江戸後期〜明治の刀工・十一代目兼定こと和泉守兼定(会津兼定)の作。
新選組副長・土方歳三が、脇差の堀川国広と一緒に愛用していたと伝えられている。
十一代目兼定の本名は、古川清右衛門(ふるかわせいえもん)、またを友弥兼元(ともやかねもと)。
17歳で父に代わって作刀を行い、26歳の時に「和泉守」を朝廷から拝領。歴史上「和泉守」を拝領した兼定は、二代関兼定(之定)と彼のみである。
現存する和泉守兼定を打った1年後に会津戦争に参加し、会津若松城に籠城。城内では刀ではなく、鉄砲の弾の鋳造をしていたという。戦後は越後に移住し、依頼を受けて神社に奉納する刀を打っていたが、廃刀令に伴って廃業、その後は福島県の職員となった。

会津から転戦を繰り返し、箱館で戦死した土方の手から日野の家族の元に戻った経緯については、様々な説が伝わっている。
打たれてからわずかに2年という歳月を主と共に過ごしながら、鞘には戦でついたと思われる傷が、束糸(つかいと)には摩耗して使い込まれた痕跡が残っており、戻ってきた当時は刃こぼれが幾つも見つかったという。その後昭和の初めになって研ぎ直しが行われている。
時代の流れの中で多くが遺失した新撰組ゆかりの刀剣にあって、現存する内の貴重な一振である……だそうだ』

ヤソップ『お前は歩く辞典か?』

シャン『…名前は和泉守か?兼定か?』

和泉守『好きに呼んでくれていい、和泉守って呼んでも良いし 兼定でも構わねえぜ(にっ、と笑い)主はあんたで良いのか?(ベックマンを見て)』

ベック『顕現させたのは俺だけど、持ち主はヤソップだから ヤソップの方が主になるか?』

ヤソップ『俺、主なんて柄じゃねえんだけど…』

ベック『持ち主はヤソップだから、ヤソップの言うこともちゃんと聞いてあげてくれな』

和泉守『ああ、わかった、今代の主に恥じない様に働いてみせるぜ
よろしくな(にこっ、と笑って手を差しだし)』

ヤソップ『おう、何かあったら手を貸してくれな(手を握り返し)』

シャン『よろしくな、和泉守』

ルウ『よろしくな〜』

ベック『色々と足りない所もあるが、よろしく頼むよ…』

和泉守『なに、俺も人の体を得てそんなに経ってないから何かと面倒をかけるかも知れねえが…よろしく頼む(はにかみ)
用があったら何時でも呼んでくれ 出来ることならするからよ』

ヤソップ『頼もしいな(笑)』




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