暗闇が怖い、なんて、思わなくなったのはいつからだっただろう?
方向音痴なせいで幼い頃からよく迷子になっている俺だ。空が暗くなってから帰ることなんてザラにあった。
最初は怖かった筈だ。
おやじやおふくろ、シロクロが迎えに来てくれたけれど、年を重ねると彷徨う距離も増えて家に帰るのに時間も増えて、一人旅のようになっていった。
暗闇を克服したのはいつだったかなんて、もう覚えてない。



「あかねさんやあかりちゃんは今頃何をしているんだろうな…」



キャンプを張って、焚き火の前で夜空を見上げたままため息を吐いた。
春が近付いていてもまだ夜は肌寒い。綺麗な月が俺を見下ろしていて、いや、見守ってくれているのかもしれない。
あかねさんとあかりちゃんの笑顔が浮かんでは消える。




「うぅ…カ、カツ錦…っ、お願いだから私を振り落とさないでね…!」

「ぶ、ぶ」




……おかしいな。
会いたいと思っていたから幻でも見てるんだろうか。ドスーン、ドスーン、という地鳴りと一緒に聞こえたあのソプラノ。
立ち上がって道路の方に視線をやると、見覚えのある大きい豚。それに乗っている女の子。



「…あかり、ちゃん…?」



ぽつり、呟いて目を擦った。俺は幻でも見てるんじゃないか?喉がカラカラになって、声が掠れて出る。
何度もまばたきをして、震える声でもう一度彼女の名前を発する。



「ぁ…あっあかりちゃん!」


「えっ?その声…良牙さまですか!?」



カツ錦の上でキョロキョロしているあかりちゃんの元に駆け寄った。
俺を見つけた瞬間にほっと安心したような、嬉しそうな顔をするからドキッと心臓が跳ねた。きっと俺の顔は真っ赤になっているだろう。暗くて良かった…。



「こんな夜中に何をしてるんだ?」

「え、えっと…その、買い物をしていたら遅くなってしまって…」

「買い物?」

「はい。ブタ相撲部屋で、育てられているブタ達のためにまわしを作ったりお掃除をするために必要なものを揃えていたんです」

「へぇ…1人で大変だったんじゃ…」



そういえば彼女の家は昔から続くブタ相撲部屋だったっけ。
強烈な印象を受けた初めての出逢いを思い出す。こんな体質の俺を受け入れてくれた、たった1人の女の子。ブタとしてだけじゃなく、"響良牙"として見てくれた初めての女の子。
彼女自身が格闘に強い訳ではないから、本来ならば夜の外出は注意するべきなんだろう。



「ふふ、大丈夫です。それにボディガードには横綱のカツ錦がいましたから」

「え?」

「だってカツ錦は、良牙さまにしか倒せないでしょう?私、良牙さまよりお強い方なんて知りませんもの」

「あかりちゃん…」



やっぱり優しくていい子だなあ。誰かの優しさに触れることが出来る幸せが込み上げてくる。
あかりちゃんといる時は、憂鬱なことを忘れられるんだ。
この体質も、乱馬とあかねさんのことも、自分が方向音痴であることも全部。




「良牙さまは旅の途中ですか?」

「ああ。今夜もそこの空き地にテントを張って野宿だよ」

「えっ…野宿ですか?まだ朝夕は寒いのにお風邪を引いたりしたら…」

「大丈夫だよ。俺も鍛えてるし」

「ですが…」

「あかりちゃんも、早く帰らないと家の人が心配するんじゃないか?買い物の帰りなんだろう?」

「…はい」




本当は、もう少し一緒にいたいけれど。
女の子を夜遅くまで引き留めるのは良くないと、伸ばしかけた手を引っ込めてあかりちゃんに笑いかける。カツ錦がいるなら、怪しい輩に襲われたりすることはないだろうから安心だ。
頼んだぞ、とカツ錦に声をかけると、奴はこくんと頷いて動き出す。



「あっ…り、良牙さまっ!」

「気をつけてな、あかりちゃん」

「明日…明日もこちらにいらっしゃいますかっ!?」

「え、ああ…多分」

「私、すぐ行きます。だから待っていて下さい!」



カツ錦とあかりちゃんの姿はあっという間に見えなくなった。…明日はゆっくり出発することにしよう。
再び焚き火にあたりながら暖をとって、茶を飲むために水を沸かす。
我ながら随分一人旅に慣れたもんだ。
火を眺めていると、腹が鳴った。空腹だったことをも忘れるくらい嬉しかったのか、俺。気恥ずかしいが、そんな自分は嫌いじゃない。いつだって目の前のことで精一杯だから。
思いがけなく出会えた彼女と取り付けた約束が、俺に元気をくれる。



「明日…何時頃に来るのか聞いておけば良かったな」



それに、何かあかりちゃんに渡せそうなお土産はなかったか?行く先々で買ったものが何かしら入っていたはずだ。
鞄の中をゴソゴソと探っていると、誰かが走ってくる足音が聞こえて来る。この辺りには夜中にロードワークをするような人がいるんだろうか、そう思って顔を上げた瞬間に心臓が飛び跳ねた。



「良牙さまーっ!」

「…っな…あ、あかりちゃん!?家に帰ったんじゃ…」



大きなリュックを背負った会えたあかりちゃんが、息を弾ませてやってきた。明らかに外で一晩を過ごす準備を整えてきた様子に、俺は目を丸くするばかり。




「私、『すぐ行きます』って言いましたよ?それに…せっかく良牙さまに会えたんですもの、もう少し一緒にいたくて……」

「え……!」

「…ご迷惑…でしたか…?」

「そっそんなこと、ない!おおお俺もっ…あかりちゃんと一緒にいたいなって思っていたところだ、か……ら……」

「…嬉しい。ありがとう、良牙さま」

「あかりちゃ…」




手をぎゅっと握られ、焚き火の灯りで良く見える笑顔。
ゆっくりと近付く視線にドキドキしながらそっと目を閉じようとすると、あかりちゃんは何かを思い出したのか急にくるりと向きを変え、持ってきたリュックの中身を探り出す。
い、今のはキスしてもいい所だったんじゃないのか…!?
がっくりとうなだれていると、肩から暖かい毛布を掛けられる。何が何だかわからずにそのまま様子を伺っていると、今度はおにぎりを差し出された。



「良かったら食べて下さい。炊きたてのご飯を使ったので、まだ温かいですから」

「…え、いいのか?」

「はい。良牙さまのために作ったんですもの」



俺はなんて幸せ者なんだ…!!
こんなに可愛くて料理も上手くて優しくて、重度のブタ好きだけど、一途に俺を想ってくれる女の子なんて、きっと後にも先にもあかりちゃんしかいないだろう。



「…ありがとう、あかりちゃん」



にこにこするあかりちゃんが、とても愛おしく感じる。
肩を寄せ合って2人で毛布にくるまって、温かくなる心と身体がぽかぽかする。

暗闇なんて怖くない。
野宿には慣れているし、夜空を見上げるのも嫌いじゃない。
だけど今夜は、隣にあかりちゃんがいる。それだけでずっとずっと幸せだ。



「私…夜空の星がこんなに綺麗だなんて、初めて知りました」

「俺もだ」



今まで眺めてきたどんな夜空より、今夜の空が一番綺麗に見えた。





end