2月14日。バレンタインデー。
だからどうした?オレには関係のないイベントだ。
期待したって、貰えるかどうかわからないものにそわそわするのも格好悪い。気になるけど、直接聞く訳にもいかない。
思い浮かべる女子は、ただ1人だけ。
欲しいのは、彼女の気持ち。
「りんね様ー、そろそろバレンタインですねぇ」
「…そんな日もあったな」
「恋未練な男女の霊が沢山出てきそうですよね」
「可能性はあるな」
「百葉箱に依頼が来るでしょうか」
「どうだろうな」
「………桜さまから、チョコレートもらえそうですか?」
「なっ……し、知らんな」
「最近は男子から渡す"逆チョコ"というのもあるそうですよ」
「………」
そんな金も余裕も、ウチにはない。慌ててその言葉を飲み込み、造花の箱を部屋の隅に片付けた。
真宮桜からバレンタインのチョコレート。
想像しただけでなんだかくすぐったく、気恥ずかしい気持ちになる。
貰えたらいいな、とは思うけれど。
「りんね様、行ってらっしゃーい」
「ああ。見回り頼むぞ、六文」
「はーい」
クラブ棟を後にして、校舎へ向かう。一時間目は国語だったか?教科書を使う授業は不便でならない。
だけど、隣の真宮桜に教科書を見せてもらえることは少し嬉しかったりする。付箋やマーカーで丁寧に線を引かれ、書き込まれたそれは、授業を分かり易くしてくれる魔法の教科書と言ってもいいだろう。…オレの贔屓目かもしれないが。
「あ、おいしいよ!桜ちゃんありがとう!」
「すっごーい!これ手作りでしょ?お菓子作り上手だね、桜ちゃん!」
「そ、そう?喜んでもらえて良かった」
教室に入ると、リカとミホが真宮桜の席を囲んで何かを食べていた。チョコレートの香りがして、どきり、と、一瞬心臓が跳ねる。
関係ない、関係ないと自分に言い聞かせても、それほど効果がないことは明らかだ。やはりバレンタインデーであることはクラスの雰囲気を心なしかそわそわさせている。ふと後ろの席でキョロキョロしていた十文字と目が合い、何故か奴はニヤリと笑う。
なんなんだ、あいつ。
「えー…では次の所から六道、読んでくれ」
「あ、はい。……真宮桜、どこからだ?」
「ここからだよ。私の教科書使っていいから」
「いつもすまん」
「いい加減教科書くらい買えよ六道…!」
「また言ってるね、十文字くん」
「六道くんは貧乏だっていうんだから仕方ないじゃんねぇ?」
授業中の、ささやかな幸せとでも言うのだろうか。この時間がある意味一番平和だと思う。
恋心なんて自覚してしまえば厄介なもので、今まで知らなかった感情がいつもオレを戸惑わせる。真宮桜の横顔をこんなに近くで見れるのは隣の席の特権。
十文字の悔しそうな声に、少し優越感を覚えた。
「真宮さん…いつオレにチョコをくれるんだろう…」
「おい…十文字、百葉箱の前で何してるんだ」
「なんだ六道、真宮さんはどうした」
「あのな…」
「…貴様、もしかして既に真宮さんからチョコを貰ってるのか…!?」
「は?何故そんな話に…」
「そうだとしたら許さんぞ六道ぉぉぉ!!!!」
「人の話を聞けっっ」
放課後になるとここに集まるのはもう暗黙の了承なのだろうか。少し遠くに白いマフラーと、まだ冷たい風になびく三つ編み。真宮桜の姿も見える。
今日がバレンタインデーだからか、十文字と話をしたせいか、妙に緊張してしまう。
「2人とも早いねー」
「掃除当番お疲れ、真宮さん」
「今日の依頼はなさそうだぞ。百葉箱は空だった」
「そっか。あ、六文ちゃんはクラブ棟?」
「え、ああ」
クラブ棟に向かって歩きながら、しきりに十文字は真宮桜に話しかけている。
手持ち無沙汰なオレは羽織を片手に空を見上げ、自分の吐いた白い息を眺めた。立春を迎えたにも関わらず、まだ夕方は寒い。
こんなにバレンタインデーを意識するなんて初めてかもしれないな。自分は関係ない、関係ないと平静を保とうにもなかなかうまくいかないのだから。
「あー…えっと…」
「真宮さん?」
「?どうした」
真宮桜は鞄を探ったかと思うと、中から黄色の包みと赤色の包みを取り出した。
「はい、六道くんと翼くんに」
「わ、ありがとう真宮さん!」
「……わざわざすまん」
赤い方の包みを受け取り、ホッと安心してしまう。期待なんてしてなかったつもりだけれど、やはり嬉しいものだ。
ぼーっと感動していると、十文字が一歩前に出ていたことにハッとした。
「俺が送るよ真宮さん!」
「なっ」
「ううん大丈夫。校門でリカちゃんとミホちゃんが待ってるんだ。それじゃあまた明日」
「…ああ、また明日」
やけに今日はあっさりしてるな。そう感じるのは気のせいか?…オレが、おかしいのかもしれない。
側にいて欲しいなんて、贅沢な望みだ。
「真宮さんっ、本当にチョコありがとう!…ま、俺の方が本命に決まってるがな」
「どっから来るんだその自信は…」
「この中身を見れば分かることだ。どんなチョコだろう…だがしかし……もったいなくて食えーん!!」
だったら食わずに取っておけばいいだろう。
小さく呟くと、肘で小突かれる。
「りんね!」
「え!?」
「お。鳳」
「あたしのチョコ、貰ってくれる?」
「あ…えーと…」
そういえばこいつもいたな。考えてみれば、今日みたいな日にはすぐにでも教室に乗り込んできそうなものだが、珍しいな。
真宮桜から貰えただけで、充分に満足していただけに、受け取り難い。
「鳳、それ手作りだろ?貰ってやれよ六道」
「……さ、桜と作ったから、まずくはないと思うんだけど…」
「真宮さんと?珍しいな」
「さっきからうるさいわよ十文字!」
真宮桜と作ったということは、鳳がオレにチョコを渡すことを知っていた…ってことか?もしかして、だから今日は早く帰ったのか?
1つあればそれだけで幸せ。けれど常に家計が火の車であるから断るのも勿体ない。
鳳の気持ちには応えてやることが出来ないと分かっているのに、オレは貧乏を理由にして決断から逃げてる。
「…食費の足しにする」
「…─うんっ!」
鳳が笑うと胸が痛む。真宮桜からのチョコを見ると胸が痛む。
これは罪悪感、だ。"タダ"とか"無償"という言葉に弱い自分が情けなくなる。
鳳は暫く十文字と言い合いをしていたかと思うと、今日はやけにあっさり帰っていった。真宮桜も、鳳も、女は何を考えているのかよくわからん。こういう時はおやじの性格が羨ましくも思えるが、ああはなりたくないものだな。
「鳳の奴、俺に大しての扱いがぞんざいすぎるだろ…」
「十文字、オレに何か用でもあるのか?真宮桜はいないのに珍しいじゃないか」
なんとなく鳳の話題から離れたくて、オレは百葉箱の所からずっと気になっていた疑問をぶつけてみた。
一瞬で変わる空気、見え透いたような視線を向けられる。
「…俺は、真宮さんが好きだ」
「………」
「お前以上に女子からの人気もあると自覚している」
「は?」
「だがっ!俺は真宮さん一筋っっ」
「おい」
「貴様に負けるつもりはないと、改めて宣戦布告をしに来たまでだ」
「説得力はあまりないがな…」
十文字が見せびらかすように紙袋の中に入った数個の箱、コイツは自慢しに来ただけか。
半ば呆れながらも、十文字が言った言葉はオレの心に影を落とす。
真宮桜は十文字の気持ちを知っている。その上で友達になっている。
オレは真宮桜の気持ちを知らない。真宮桜にも気持ちを伝えている訳じゃない。友達だけど、友達と言い切れる関係には思えない。少なくとも"友達より上"であると、思っているだけなら許されるといいんだが。
「明日、真宮さんからのチョコがどんなのだったか教えろよ」
「…さっきの鳳と似たようなこと言うんだな」
「一緒にするなっ!」
「一緒だろう」
なんとなく、十文字と鳳は似ていると思った。そのひたむきさにはある意味尊敬の念を抱く程。
その晩、六文のいない間に真宮桜からもらったチョコレートの包みを開けると、中には綺麗に丸められた…確か、トリュフチョコレートとかいう贅沢品が入っていた。こんな高級なものも作れるなんて、真宮桜はすごいと思う。
もったいなくて、一粒だけつまんでみる。
口の中で溶けていくほろ苦い甘さがまるで今の気持ちみたいで、少し切なく、少し苦しく、幸せな気持ちになった。
「来月には…何か返さないとな…」
どうにか家計をやりくりして、何か真宮桜にプレゼントでもしよう。その頃には曖昧なこの気持ちの整理も着いているといいんだが。
真宮桜の喜んだ顔、笑顔が、なんだか無性に見たくなった。
end
ギリギリセーフ…!