アルとエド
ガチャリと音をたてて、スプーンが床に落ちた。
エドワードはそれを拾い上げてから立ち上がり、キッチンで軽く濯いで再びリビングへと戻る。
相変わらずの表情で食事を続ける弟。今のは自分の勘違いであってほしいと願いながら自分も腰を下ろし料理に手をつけようとする。
「ねぇ兄さん、好きだって言ったんだけど。」
しかし、何も聞かなかったことにはできなかった。否、させてもらえなかった。
アルフォンスは食事をする手を止めて、ゆっくりと兄に視線を向ける。
逸らしたくても目が放せなくて、エドワードはどうしていいか分からなかった。
「ごめんね。でも、僕は兄さんを愛してるんだ。もう気持ちを隠すのは止めにする。」
至極真剣な表情で自分を見つめてそう言い放つ、血を分けた可愛い可愛い弟。とても、自分をからかっているようには思えない。
「ア、ル…。」
「僕、やっと身体を取り戻すことが出来て本当に嬉しかった。だって鎧のままじゃ、兄さんに触れることも出来ない。」
そう言って手を伸ばされ、頬に触れた温かい優しい手。愛する、弟の温もり。
「俺だって、俺だってお前が元に戻ったことは本当に嬉しいよ。でも…。」
「分かってる、兄さんの言わんとしてることは。…僕たちは、兄弟だ。」
分かってるなら、何故。エドワードは拳をぎりぎりと握りながら、地面を睨み付けた。
自分はどんなに想ってもらっても、それを返すことなんてとても出来ない。だって俺たちは、兄弟だから。
弟には幸せになってほしいと切に願っていたエドワードにとって、それは何よりも辛い告白だった。
今までひどく悲しい思いをさせた。だから、今度こそ普通の幸せを手に入れてほしいと、ずっと思ってきたのに。
兄弟で、男。立ちはだかる壁は大きすぎるだろう。自分ではアルフォンスを幸せになんて出来ない。出来る訳が無い。
「兄さん…。」
今日こうしてハッキリと言われる前から薄々感づいてはいたが、エドワードは必死に自分の気持ちを隠しながら、アルフォンスの想いも気付かない振りをした。
「兄さん、好き。大好き。ずっと一緒にいたい。」
残りの料理を食べる気になんかとてもなれなくて、溜息をつきながらソファへと移動したエドワードを追いかけるようにアルフォンスがゆっくりとテーブルから立った。
「お前、俺たちは兄弟だからって、そう言ったよな?」
「…うん。」
「障害はそれだけか?まだ俺の気持ちも聞いてないのによくそんな自信満々に話を進められるよな。そもそも俺を好きだなんて兄弟愛の延長上、勘違いに決まってるだろそんなの。」
悪態をつくように、なるべく憎しみを込めて。
エドワードはいつの間にか目の前に寄ってきている弟を睨み付けた。
「そんな、そんな顔して何言ってるんだよ…。」
バカ兄。そう呟いて、しかしアルフォンスはエドワードを抱きしめた。突然の行動に驚きながら必死に抵抗を試みるも、少しも緩まることは無い。それどころかますます強く抱きしめられ、こんなはずではなかったとエドワードは大きく顔を歪めた。
「放せよアル!おい…っアルフォンス!」
「嫌だ。放さない。」
「ふざけんな!ちゃんと考えろよ!俺を好きだなんてそんなん、お前は、お前は自分のことがまだしっかり分かってないんだ!」
「…っそれは!それはこっちの台詞だろ!?」
温厚なアルフォンスが珍しく大きな声を出したことに驚いて、エドワードはぽかんと弟を見上げる。
「だって兄さん、僕を好きでしょう?泣くほど好きなんでしょう…?」
アルフォンスに言われて初めて、エドワードは自分の瞳から涙が溢れていたことに気付いた。
「でも、俺はお前の幸せを誰よりも願ってて、だから…っ」
「ありがとう。その気持ちは本当に嬉しいよ。…でもね、僕の幸せを決めるのは兄さんじゃない。僕自身だ。」
アルフォンスは再びゆっくりとエドワードを抱きしめる。腕の中の愛しい人に今度は抵抗されなかったことに、アルフォンスは喜びで胸がいっぱいになった。
「アル…」
いけないと頭で分かってはいても、エドワードはアルフォンスの温もりを感じ、固まったまま動けなくなってしまった。
だって、大好きだった。愛してた。ずっと、誰よりも。
自分の感情が上手く整理出来ない。エドワードが混乱しているとふいに涙を優しく拭われた。手の主である笑顔の弟を見つめる。こんなに嬉しそうな顔は久しぶりに見たとエドワードは思った。それは身体を取り戻した日に見せた、あの最高の笑顔を思い出させた。
実の兄だから分かる。ずっと傍にいたから分かる。これが偽りのものだと、どうしたら思えるだろう。
「アルは今、幸せか…?」
勇気を振り絞って、目を見て、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「これ以上の幸せって、無いと思う。」アルフォンスにも兄の気持ちは痛い程分かっていた。いつも自分のことより弟を優先しようとする、優しい優しい兄。
その眼差しが兄弟に向けられるそれでは無いと気付いた時、どれほど嬉しかったか分からない。
バレているとは微塵も気付かずに気持ちを隠そうと頑張っている不器用なところも、全部愛しくてたまらなかった。
「兄さんが幸せなら、僕は幸せ。僕が幸せなら、兄さんも幸せでしょう?」
そう言って太陽みたいに笑う弟の胸に、エドワードは今度こそ自分から飛び越んだ。
見つめあって、微笑みあって、それだけで幸せで。もう、戻れないと思う。二人には戻る気なんてさらさら無いけれど。
「兄さんはひどいなぁ。」
「…何だよ?」
「僕の気持ちが勘違いだなんて、どの口が言ったの?」
「それは悪かっ…んっ…!?」
言い切る前に、アルフォンスはエドワードの唇を自分のそれで塞いだ。
「ア、ア、アル…!?」
「兄さんが悪いんだよ。」
金魚みたいに口をパクパクさせる兄の耳元でそっと囁く。
「そんな可愛い顔してたら、食べちゃうよ。」
顔を真っ赤にさせて怒鳴るエドワードの唇に再びキスを落とすと、アルフォンスは満足気に笑った。
苦しいことも、辛いことも、二人だから乗り越えられたんだ。だから、これからもずっと一緒に。
アルフォンスの笑顔を見て、エドワードも優しく笑った。