今日、知人男性に、
「楓さんて、予言とか信じない人なんですね〜。もっとメルヘンな感じかと思ってました。」
と言われました。
言われたときは自分の気持ちをうまく説明できなかったので、自分の中で整理するために、ちょっとここに書かせてもらいますね
私は、《予言》を信じないわけではなく、
「予知できる人がいるんだって
」
とか
「こういう予言があるんだって
」
とかいう《噂》を信じないだけです。
いや、だって、私、その噂の予知能力者さんとやらを知らないし。(笑)
《予言》は流言飛語ではないけれど、「こういう予言があるらしいよ」という《噂》は流言飛語ですしね。
実際に、天/災や事件を予知できる人はいるかもしれないけれど、その騒がれている人がそうかはわからないし、仮にそうだとしても、その人が本当にそう予知したかどうかもまたわからないし…。
―予知できるかもしれない《私の知らない誰か》が言ったかもしれない―
その程度のことを、信じるも信じないもないというか…。
第一、予知能力のある人の予知が百発百中とは限らない。調子が悪い日だってあるでしょうし…。
もともと、見えた未来は、飽くまで可能性のひとつに過ぎないんじゃないかなあ。未来が決まっているのなら、占ったり予めわかったりする必要もないですしね。だって、占おうが何しようが、決まっているんでしょう?
ついでに書くと、霊能力のある人が全ての霊と話せるとは限らないとも私は考えています。私が霊なら絶対に選り好みしますもん。「この霊能者さんになら話せる
あ、こっちの人は信用できないから嫌だ
」て。悩んで思い詰めている人が、「カウンセラーなら誰でもいいや
」と手当たり次第に気持ちをさらけ出したりはしないのと同じです。
私だって不思議な体験をしたことは何度もありますし、科学では解明できない事柄や人外のものの存在を疑ってはいません。
が、だからと言って、
「私、そういうの見えるんだ〜」
と言う人全員が本当のことを言っているとも思いません。
そして。
人にはそれぞれ、感覚というものがあります。
「明日、地/震が起きる」
とか
「××年×月×日に地球が滅/亡する」
とか誰かに言われても、私の感覚が
「あ、ないない」
と言っているのなら、それこそが、私にとっての真実です。
あと、昨今、「ス/ピ/リ/チュアル」という言葉が頻繁につかわれていますが、なんだか、言葉だけが一人歩きしてしまっているようで、私は馴染めません
部屋の空気を入れ換えてすっきりしたり、
誰かの笑顔や言葉で頑張れたり、
願いが叶ったり、
色々なものに護られていることを感じたり。
日々の生活で心に変化をもたらしてくれるさまざまな事柄に関して、いちいち「ス/ピ/リチュアル」だなんて言葉を遣われると、却って、生活や気持ちからどんどん遠ざかって、特殊なことみたいになってしまう。
そんな大袈裟なことではないんじゃないかなあ…。大切なことではあるけれど…。
人様から見たら、特殊で大袈裟でファンタジーでメルヘンな出来事も、私にとっては常にすぐそばにある親しみやすいもの。
だから、あなたの言うメルヘンと、私の隣のメルヘンとは、違うかもしれませんね。
と、まあ、こういったことを私は言いたかったのです。←長いわ
(笑)
ここまでお読みくださって、どうもありがとうございました。
m(__)m