脚本用に書いたものを小説に変換。
 ……今考えても脚本向けのテーマじゃなかった。(まぁ、表現はできただろうけど、こういう流れでやる話じゃぁなかったな……)






 夏の死因


 蝉の死因は熱中症だと、先輩は笑った。
「熱中症って、あの……暑い日になるやつですか?」
「それ以外にあるのかよ」
 どうやら一般的な«熱中症»のことで正解だったらしいが、次にはどういう意味なのかが解らない。蝉とは、夏になると五月蠅い昆虫以外にはありえないだろう。尤も、熱中症も先輩の言う通り一つしかないのだが。
「あの、四十度に届くかって程の暑さの中、四六時中鳴き続けてるんだ。そりゃ死ぬだろ」
「……それは、鳴き続けられるようにできてるでしょう」
「まぁ、それもそうだな」
 あっさり、先輩は意見を反した。いつも通りの思いつきだったらしい。
 しかし、何故思いついたかは想像がつく。
「今年は、蝉が鳴きませんね」
「そんなん、七月に入った……いや、六月からだったかな? まぁどっちでも良いけどよ。そんくらいから言われてただろ」
 なんで、と言おうとして口を噤んだ。今更であるし、先輩に訊いたところで答えは出ない。代わりに、一つの質問を訊くことにした。これこそ思いつき。先輩の言葉がなければ思いつかなかったことだ。多分。
「鳴かなければ……鳴き続けなければ、蝉はもっと生きていられるんでしょうか」
「鳴かない?」
「蝉は一週間ほどで死ぬんですよね? それが鳴き続けるせいなら、鳴かなければ……一週間以上、夏を超えても、蝉は生きていけるんですかね?」
 先輩は笑った。大口を開けて、盛大に、豪快に笑った。馬鹿にしたような笑い方だった。
「それはなぁ……」
 ゆっくりと息をして、口角を釣り上げて、意地悪い顔で言う。
「鳴かない蝉なんて、死んでるのと変わらないだろ」

 蝉の鳴かない夏だった。理由は解らない。日本中から蝉の鳴き声が消えた。
 蝉が消えたわけではない。地面には相変わらず転がっていたし、蹴り飛ばせばいきなり飛び去ったりしていた。鳴き声はしなかった。
「今年は夏がなかった」
 忍の言葉に僕は振り向いた。いつも通り一一○七教室。僕に忍に莉子。昼休みだった。夏休みが終わって久しぶりに会った二人は、それぞれの夏を過ごしたらしく、日焼けしたり、髪の毛の色が変わったりしていて少しの違和感があった。
「なに? 忍が過ごしたのは«休み»だったって?」
「ちげーよ。うーん、夏らしくなかった? それも違うんだよな」
「蝉が鳴かなかったから?」
「そーかな。そのせいだろうな。この感じは」
 どんな感じだ。やたらパサパサしたクリームパンを齧る。安物だけに妙にクリーム味が強くて、くどい。
「蝉が鳴かなかっただけだろ? 夏がなかったとまではいかないだろう」
 夏らしいことが蝉の鳴き声だけと言うわけではないだろう。暑い日差し、入道雲、祭り、お盆、日焼けもしているし、そう言えば今年はゴキブリに出会わなかった。そう考えるなら夏がないのも良いのだろうか。
「だけ……ってのは違うんじゃない? 蝉が鳴かないなんて超重要な欠陥じゃないかな」
「そりゃあ、そうだけど」
「その通りだ莉子。まぁ、言うなればジグソーパズルの一ピースないって感じかな」
 ピースの欠けた部分にもよるとは思うけど……とは言えなかった。発注すればいいじゃないか、とも、当然言えなかった。
 言葉を吐く代わりに口にパンを押し込んで、僕の台詞はスキップしてもらうことにする。
「でもさ、足りない部分を補うことは出来ないの? ほかのもので夏らしさを感じる……とかさ」
 明るい茶色の髪が揺れる。一学期の終わりには肩くらいまでだった莉子の髪の毛は、今や肩甲骨程まで伸びていた。
 忍はいろはすを一口煽ってから「代用できるなら」と。
「蝉が鳴かないってことは決定的なんだ。誰でも解る事実だ。ほかのことで夏を感じることは出来るのかもしれない。でも感じるだけだ」
 頑なに夏の存在を否定する。理由は解らなかった。
 二つ目のパンを取り出す気にはならない。喉が渇いたが、生憎飲み物は買いそびれていた。汗をかいたいろはすをぼんやりと見つめた。
「それで、夏がなくって、忍はどうしたのさ」
「ん? 別に。夏がないなーって、それだけだ」
 パンを取り出した。
「なんだよ。いきなり真剣だったから、なんかあったのかと思ったわ」
「ねー。忍ってシリアスな顔出来るのね」
「普通に失礼だな」
 忍はペットボトルを一気に煽った。結露した水が一滴ズボンに落ちた。
「いや、割と本気ではあった。ただ、お前らのリアクションが薄いから話を切ったまでだ」
 取り繕う言い方も珍しい。
「あぁ、そう言えば、先輩と話した時も蝉の話だった」
「蝉の話?」
「そう。鳴かない蝉は、死んでるのと変わらない……とかなんとか」
 それだ! 忍が叫んだ。廊下からしていた足音が一瞬止む。……が、流石に部屋に這入ってくることはなかった。
「それだよ。死んでいるのと変わらない。生きていない。今年の夏は生きていなかったんだ」
「夏が、生きてない?」
 莉子が困惑の表情を浮かべる。僕も同感だった。
「生きていない。死んでいる。夏は死んだんだ」
「いや、夏は死なないだろ。普通」
「普通じゃないことなんて、もう解ってるだろ」
 六月、七月の時点で。
 夏は死んだ。蝉が鳴かなかっただけで。忍の言う一ピースが欠けただけで、死んだ、らしい。
「致命的な欠陥だったんだ。五月蠅くなくていい、なんて言っていられない、欠損だったんだよ。蝉は」
「いや、夏が死んだってのは方便でしょ? 致命的、とか……そんな擬人化して考えなくても」
「夏ちゃんが息してない……とか、そういう意味じゃないよ。秋がなくなっていってる……って話は聞くだろ?」
「うん。まぁ」
「あれは、温度変化だったり、秋固有の減少の消失。夏と冬の境目が狭まっているってことだ。それも、秋が死んできているって言えると思う」
「でも、それは存在がなくなってるんだろ?」
「いや、ピースが欠けていってるんだ。秋を構成していた、特徴の喪失は、即ち死と言えないか?」
 知らないよ。
 確かに、夏のすぐ次に冬、と言う印象は受けないこともない。でも、まだ紅葉の季節だってあるし、秋の味覚なんてのも確かにある。まだ秋は死んでいない。そんなものを、想像を引き合いに出されてもピンと来ない。
「じゃぁ例えを変えよう」
 忍は饒舌だった。
「息をしていて、心臓も動いていて、体温もある。でも絶対に起き上がらない。それは生きているか、死んでいるか」
「……話が飛び過ぎじゃない?」
「飛んじゃいないさ。だって言っただろ? 暑い日差し、入道雲、祭り、お盆、日焼けもしている……でも蝉は鳴かない」
 同じ、なのだろうか。人と夏は、同じように捉えられるものなのだろうか。
 夏は人のように死ぬのだろうか。人の生死を、夏に当てはめることはあっているのだろうか。
「同じだろ」
 はっきりと、忍は言った。

 時計を確認した莉子が、昼休みが終わるよと言った。十二時五十分。僕はパンの残りを口に詰め込んだ。咥内に張り付いてきたが、なんとか飲み込む。
「飲み物、買いに行ってくる」
「あぁ、俺も行くわ」
「じゃぁ、席取っておくね」
「頼むわ」
 校舎外にある自動販売機。お茶は売り切れていた。ペットボトルの残りは炭酸と水だけだった。缶のお茶を選ぶ。
「水で良いじゃん」
「忍がいろはす飲んでたし、僕はお茶」
「関係なくねぇか」
 関係はない。
「まぁ、お茶の気分ってことで」
 そういうことにしておいてくれ。
「……ま、そんな日もあるか」
 そうそう。
 軽快な音を立てて、缶が開いた。冷えたお茶は喉に優しくなかったが、張り付いた不快感は流された。一息に半分以上を飲み干し、口から離す。
「飲みきっていいのか?」
「授業中に飲むわけじゃないし、温くなるのもやだしね」
「……お、蝉だ」
地面に落ちた蝉は、仰向けに、足を折りたたんでいた。
「うつ伏せに落ちてるときは、生きてる、とか聞いたな」
 忍はそう言って爪先で小突いた。慌ただしく羽をばたつかせて地面を何度か転がりまわると、蝉は空へ飛び去っていった。
「……生きてたな」
 僕は答えなかった。
 ただ、静かな羽音は好ましく感じた。

 先輩は夏を死んでいると感じたのだろうか。鳴かない、死んだ蝉が彩る夏を、死んだと評するのだろうか。
 致命的な欠損を患った蝉たちは、今日も熱中症の恐怖におびえながら、息をひそめている。
 去年の蝉は生きていたのだろうか。今生きている蝉は、ただ死ぬために生きているのだろうか。
 生きるために鳴かない。鳴かないために死んでいる。どちらが正解だろう。
 疑問は尽きない。とにかく、今年の夏は暑かった。

 END