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■BL研究「属性が生みだした闇」【extra】

0.最初に
1.キャラクターの「属性」と「お約束」
2.BLにおける「関係性」
3.テンプレートが生みだした闇
4.「属性」という文化と財産
more.独り言

0.最初に
 「最近のBLって面白くなくないですか?」と言われる事が多くなった。確かにボーイズラブ(以下BL)に限らず今の漫画は何か一つ面白くない。出版業界の不景気か、表現に対する世間の厳しい目による(自主規制)ものなのか、これの答えがでることはしばらくないだろう。だがそれをBLの話題に限定するのならば私は幾つかの考えを述べることができる。今回はその中の一つである「属性の闇」を軽く解説していきたい。

1.キャラクターの「属性」と「お約束」
 BLの世界には多くのお約束が存在する。それは市民権を得ており、結果として「属性」や「お約束」といったある種の形式化されたパターンが、読者の間でも共通意識として刷り込まれている。「属性」とはそのキャラクターのおおまかな性格紹介を含んだ記号。「お約束」は王道、その展開と捕えていただいて結構だ。この話の例にあげるのならばツンデレが分かりやすいだろう。好意の行為に対して赤面しながら「べ、別にお前のために〜」と毒づくなど幾つかのお約束がある。お約束は王道であり、王道が王道たる理由(魅力)というのももちろんあるために、王道のまま突っ走っても、王道を前提に裏をかいても、煮ても焼いても楽しむことができる。それが王道の強さである。作家にとっても読者にとっても安心できる安楽椅子なのだ。いまだ読み切りの多いBL漫画の中で「属性」はキャラの造形を深める上での紹介の多くを省略できる、お約束も読者にとってもある程度予測を立てさせ、安心させてくれる良いアイテムなのだ。
 最近では『opera(茜新社)』や『Baby(ふゅーじょんぷろだくと)』を筆頭に「ツンデレ特集」「ヘタレ攻め特集」など、雑誌で毎月違った特集を組みテーマにあった作品を集めるという事も行われており属性文化がいかに市民権を得ているのかが窺える。
 しかしこの「属性」の考え方はあまりに型にはまるとキャラの造形を制限してしまう危険があるという欠点を忘れてはいけない。

2.BLにおける「関係性」
 BLの萌えにおける最も重要な要素の一つに「関係性」というものがある。関係性とは生徒⇔教師、先輩⇔後輩、怪盗⇔探偵、うすらトンカチ⇔ライバル等など、複数の人間が集まった時に化学反応的に生まれるお互いの相対的な立ち位置、役割分担だ。
 ハッピーエンドを前提に「出会い→恋の自覚(→葛藤)→告白→成就(→セックス)」のルートを辿る恋愛物としてはベーシックなジャンルである以上、恋愛関係に至る前にも後にも「恋人」同士である以外の関係性を同時に持つことになる。昼はカッチリとした上司と敬語の後輩、しかし夜になると一転等、恋人関係の他に、二人がどういう間柄なのかというのが非常に重要になる。これは妄想する腐女子達にとっては大切な燃料になっている。キャラの間、周りにできる空気、そこに萌えを見出すのだ。
 余談だが大きな擬人化ブームがあり多くの無機物擬人化CPが世に生み出され、一部の人々に疑問を抱かせたが、「関係性」に萌えていると言えばその全てに説明ができるだろう。二つ以上の近い位置にある物さえあればその全てに何かしらの関係性を見出すことは可能だ。(私個人としては、全ての事物を擬人化可能だとは思うが、恋人関係にしようという無理矢理な試みはいただけない。物の関係性にだって友人や仕事仲間など、多用な関係があって然るべきだろう。)
 しかしこの萌え方、関係性に萌えるためには当然だがキャラクターの性格、内情をある程度以上把握しておく必要がある。しかし短期連載の多いBLの世界ではこれは非常に困難だ、そもそもキャラを詳しく説明するだけのページもないのだ。この時に便利なのが前述した「属性」だ。「属性」とお約束が把握できていればその先に生まれる関係性にもある程度当たりを付けることができるし作者もそこまで説明に力をいれる必要もなくなる。しかし詳しくは後述するが、こうやって「属性」に頼った短期連載用の急造キャラクターは長期連載に耐えることはできない。
 男性向けの萌えの多くがキャラに対する(ある種一方的な)「恋」であるのに対して、腐女子は攻め×受け両者の間で築かれる「愛」を(これもまた一方的に)目撃したい。男性はキャラクターが魅力的でありさえすれば問題ないが、女性はキャラの間にある関係に萌えを求める代わりに逆にキャラに対しての興味は軽くなる、この違いは大きくそしてお互いに理解の及ばない程に異なる文化を築いている。

3.テンプレートが生みだした闇
 前述した事情に従い、「属性」とその組み合わせによって関係性を急造し、漫画の体を整えるというスタイルが一般化した。BLとは二人以上のキャラクターの関係性を描くものだ、だがこのキャラクターの個性が今、「属性」という名前でカテゴライズされすぎていると言ったらどうだろうか。引き出しの中から予め仕分けされた「属性」を二個以上摘み出しそれから組み合わせを作る。そうやって生まれるBLの萌え、CPのパターンは確かに膨大な量になるだろう。しかし整備された王道、完成した「お約束」・テンプレートというシステムは、安定した生産力とクオリティの維持をもたらした代わりに作品の領域、限界を規定してしまったのだ。
 属性をそれぞれ十通り用意できたとしても百通りのパターンしか生み出せないように、多いと言ってもこうしてしまった時点でそれは有限の物に変わる。この限界の枠を作ってしまったことによる弊害は大きい。有限と有限の組み合わせは多くの有限でしかない。パターンを多く作れたとしてもそれが尽きた時に一つの終わりを迎える。そしてBLをある程度読めば、勘の良い読者は出回っている物の限界にすぐにでも気がついてしまうだろう。
 つまり読書経験を積みある程度以上こなれた読者は、少なくともBLを「新鮮な意味で」楽しむことは難しくなるということだ。最近では個性派の作家も少しずつ芽を出し始めている。これからはベタベタな王道物よりもメタ王道的な、若しくは強い個性を発揮するものが生き残る時代がくるだろう。

4.「属性」という文化と財産
 「属性」トークはBLに関わらず、二次元の話をする時に当然のように行われているが、本来唯一無二であるはずの人格に名前を与えカテゴライズするのは妙な話だ。だがそのレッテル貼り、偏見とも言える「属性」文化がBLの萌えにおいて非常に大きな比重を持っているのも事実。これは「属性」が極めて優秀な装置であることの証明だ。
 未だに読み切りや短期連載がほとんどのBLの世界において中身を知らない単行本を買うというのは危険の伴う冒険だと言える。短編がメインの世界で、少女漫画なら1年かけて詰め込む、「出会い、恋の自覚、告白、セックス」までを詰め込まなくてはならないのがBLの世界だ、よっぽどの匠でない限りその中に面白いシナリオを組み込むことは難しい。結果未だに演出や、特殊設定、キャラで魅せる一発屋のような漫画ばかり多いのが今のBLだ。その上で好みでないCPで、セックスにページが偏っているやおい漫画に当たった時のハズレ感は、その作品の出来に関わらず中々に強烈だ。この地雷を回避する方法の一つが「属性」なのだ。
 関係性萌える事がメインであるならば、最悪の場合読者は、自分の補完で目の前の期待外れに対してどうにでもできてしまう、究極キャラ造形やシナリオの出来不出来はそこまで致命的な萎えに繋がることはない。つまり関係性とキャラの内容がテンプレであるならば、逆にそのテンプレを自分の中で理解してさえいれば足りない部分は自ら補完(妄想)できる。作者は王道という極上の安全パイを切る事ができる、こういった読者にとっても作者にとっても大きな利便性があるのが「属性」文化なのだ。
 しかし本来複雑で様々な要素が混じり合う人間を“分かりやすく”性格を強調し、まとめたキャラクターというのは、その時はキャラが立つかもしれないがいつかは問題が生じる、とくに連載となった時、そのキャラクターの中身がテンプレートの借り物だった場合すぐにボロがでる。借り物のテンプレート萌えを利用して生みだした急造品が、長期連載に耐える事はまず不可能だ。
 今後業界が我々にBLを新鮮な気持ちで楽しんで欲しいと考えた時、これまで先達が築き上げてきた文化を、「属性」という財産を捨てなくてはならない日が必ず訪れる。その時こそ、属性とテンプレートにアイデンティティを規定・限定されたキャラクター達の中に本当の人格が芽生え、初めてコマの外を歩むことができるのだ。

話題:ワタクシ的BL論


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