悲しい話

私は死ぬとか殺すとかいう言葉が怖い。
フィクションなら平気だけど、リアルでは冗談でも本気でもどちらも怖い。

高校生の時、仲のいい女の子がいた。
私にはあなたしかいないの!あなたが去ったらわたしは1人になるの!あなたが居なくなるなら死ぬ。死にたい…死にたい…
それが口癖だった。
当時のわたしは馬鹿正直に彼女のその言葉を疑わなかったし、今でも嘘をつかれていたんだとは思っていない。
その時彼女にとってはそれが真実だったから、あんなに必死に切迫してわたしに詰め寄ったんだと思う。

でも本人も私もそうだと思ってるけど、それは本当じゃない。わたしが居なくなれば、彼女はまた別の止まり木を作れるんだ。
そう妹や周りの友人に諭されて、説得されて、私は彼女を見放した。


24時間メールと電話が鳴り響く毎日。
定期的に送られる自殺をするという文章や、写真。わたしは彼女を友人として大切に思っていた。
だから死なれたくなくて、そのたびに彼女の家に行って生きてるか確認した。


あなたなんて嫌い!死んじゃえ!

彼女は私にそういうのはもはや日課だった。

あなたが嫌いでもわたしはあなたのことが好きだよ。そんなことは言わないで。

わたしが彼女にそう返すのももはや日課だった。


いまなら愚か者だったと思う。彼女じゃなくて私が。
そんなことをするからズブズブ共依存に陥っていたのに。
私はそんな愚かな行為を4年以上続けていた。
そして疲れきっていた。
だから見放した。

今思うと彼女は境界性パーソナリティ障害だったのではないかと思う。



時々この人はパーソナリティ障害なのではないかと思うひとを見かけることがある。

私はその人たちをみかけると、辛そうで、かわいそうだと、思う。何か力になれないかと思ってしまう。
そしてそんなことを思うのは傲慢だと反省する。

私がその人たちにできることは、関わらないということだけだと知っている。
何もできることはない。
おそらくそこから先は医者の領域なんだろう。
私にはなんの力もなく、いたずらに関わったところで責任なんか取れないからだ。
自分を冷たい人間だと思う。

だけど仕方ない。
私にはなんの力もないから。悲しいけれど。



私も友人や恋人に、辛すぎて死にたいと言ってしまう時がある。
死ぬと人に伝えることがある種の脅しになってしまうと分かっていても、それでも言ってしまうことがある。それが正直な気持ちだから、こらえきれずに口から出る。
しかしそれを人に言うことに罪悪感もある。
他人事ではなく、私もきっとそうなんだと思う。