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人を呑む蛇
妻の実家があるタイの東北部、イサーン地方での話。
ここは穏やかな田園風景がどこまでも続く平和な地方都市で、良く言えばのんびりと寛げる田舎町。
悪く言えば、田んぼと畑しかない退屈な農村でもある。
そんな田舎町で、今から約二十数年前に一つの忌まわしい事件が発生した。
乳幼児を連れた若い夫婦が農作業の為に畑へ行き、近くの木に吊るしたハンモックに子供を寝かしつけておいた。
だが、暫くして様子を見に行くと、そこで寝ている筈の子供が忽然と姿を消していたのだ。
慌てて付近を探し回ったものの、乳幼児が一人で移動できると思われる範囲内では、見つける事が出来なかった。
ふと嫌な予感がして畑に隣接する深い森の入り口まで走って行き、その森を少し入った薄暗い茂みの中まで探しに行った。
すると、かつて見た事もない程の巨大な蛇が横たわっていて、その蛇のお腹が不自然な程膨らんでいる事に気がついたのだ。
私は妻と妻の両親から、ふとした事でこの話を聞かされた時
『そう遠くない過去にそれだけの大事件が発生し、蛇に飲み込まれた子供の両親の心痛はいか程の物か。』
と、想像して気が滅入ったものだ。
その森も今では開拓が進み、かつて事件の発生した場所はほとんどが畑や田んぼに様変わりしている。
妻の実家からは、ほんの数キロ先での出来事だった。
だが、今ではそれを連想させる物は何も残っていない。
ところで、私と妻は毎年長い連休の時に、妻の実家で過ごす事が恒例になっている。
今年も例年通り、この田舎町で過ごす事になった。
しかし冒頭で述べたように、日本で生まれ育った私にとってこの村は余りに何もなく、二〜三日滞在するには良いものの、それ以降は退屈してしまうのだ。
そこで十年以上前に実家が購入したボロい2ストロークのバイクをバイク修理の店で修理してもらい、付近の村々を散策する事にした。
実家から三キロ程離れた場所には、今いる村と同じような集落がある。
そこから未舗装の農道を進んでいくと、ちょっとした山道に繋がっている。
海抜は分からないものの、周囲の土地よりも百五十〜二百メートル程度盛り上がった山があり、GoogleEarthで検索してみた。
すると、山の奥深い所まで道が続いているようだ。
事前に記憶に刻み付けたその道を実際にバイクで進んで行くと、未舗装の道が徐々に細くなっていった。
そして、やがて獣道のような荒れた道に変貌していった。
七分丈のズボンを履いていたので、足首の辺りに擦れる雑草が不快感を助長する。
それでも突き進んでいくと、ふと開けた場所に辿り着いた。
『かつて川でもあったのだろうか。』
と、言うような丸みを帯びた大きな岩がゴロゴロと無造作に転がっている奇妙な光景が、目に飛び込んでくる。
その先は、再び草木が鬱蒼と茂る薄暗い森になっていた。
勾配もこれまでより厳しくなり、本格的な山道になりそうだった。
古いオンロードの2ストバイクでは、進んでいくのが困難に思えた。
バイクを一旦止め、暫くその先の道を凝視する。
その後、気力を奮い立たせて突き進む事に決め、再びクラッチを握り、ギアをローに入れた瞬間。
何か違和感を感じて体が硬直した。
ふと視線を前に戻す。
しかし、別段変わった様子もない。
そのまま視線を周囲に巡らし、今来た道にも注意を向けてみる。
だが、やはり特に変わった事はなさそうだった。
しかし、どうしてもその先に行きたくなかった。
そこでギアをニュートラルに戻して、もう一度その場に佇んだ。
『…やはりこの先にはどうしても行きたくない。』
そして、2ストロークバイクに特有の不安定なエンジン音が、突然止まるのではないかという恐怖に似た感覚に襲われた。
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日常をブチ壊す理不尽な人間の怖い話