「なぁにさっきからだんまり決め込んでんだコラボケェ」


こんにちは、桜井小春と申します。
しがない女子高生をやっている者です。3年C組。部活は美術部です。


「オイコラ聞いてんのかよテメェ」


身長体重学力ともによくも悪くも平均値。
クラスの中では、どちらかというと地味で目立たない方だという自覚はあります。

でもクラスの人達とはそれなりに良好な関係を築けていると思いますし、生まれてこの方、人を陥れたり恨みを買うような振る舞いだけはしてこなかった自信があります。

たまに感情が振り切れると暴走してしまうこともありますが、それは思春期なので目を瞑って欲しいです。

とにかく、どこにでもいるような、ごくごく一般的な家庭に生まれ育ったごくごく普通の18歳です。

そのつもりです。


「テメェ人から話しかけられてガン無視タレるなんざぁ良い度胸してんじゃねぇかよえぇ?」


…少なくとも、ついさっきまでそのつもりだったんです。


「いぃぃい加減こっち向けやオラアアアアア!!!」

「イヒェエエエ!!お、おおおお助けえええええ!!!」


ああ、なのに何故。

何故、今私は一人、ヤンキーに絡まれているのでしょうか。

だれかたすけて。


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本日は大変清々しい晴れ模様。
そして、私の目の前には清々しいほどのメンチ切ってくるヤンキー。

あまりの非現実に、普段さして使わない脳みそがああれやこれやとフル回転して思考がまとまらない。

ちらり、と唐突ヤンキー女子高生(本名:冬木さん)を見やる。


「…アァン?」


…何でこの人こんな人殺しそうな目ができるんだろう。どこで覚えたのそれ。
今日日の女子高生には必須科目なのかな、メンチ。嫌だ、そんなの嫌すぎる。

そして、やっぱりこういう人のベストポジションは校舎裏なんですね。なんて絵に描いたような古典ヤンキー。

「イイエェ…」と我ながら情けない声を返し、そっと視線を外す。

あぁ、こんなことならいつも通り部室に真っ直ぐ向かえばよかった。

おかしい、今日は私にとって特別な日になるはずだったのに。

少なくとも、こんな意味での“特別”は想像もしていなかったのだ。


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その始まりは、今日の朝まで遡る。

いつも通り登校し、いつも通り自分の教室に入り、いつも通りに教科書を用意する為に机の中に手を入れた。

カサ。

…カサ?
机の中にプリント類でも突っ込んでたっけ、と何気なくお目当ての物を引っ張り出す。


「…手紙?」


それは見覚えのない、一枚の封筒だった。

今時手紙だなんて珍しいな。
と、桜色の可愛らしい封筒をしげしげと見やる。

表には『桜井小春さま』と、少し丸文字気味で私の名前が記されていた。
ということは、これは私宛で間違いはないらしい。

裏面も確認したが、わざとなのか何なのか差出人の名前は書いていなかった。

頭に疑問符を浮かばせながらも封を開ける。

中から現れたのは、封筒と同じく桜色に染められた便箋。

二つ折りに収まっていたそれを取り出し、開いて目を通す。


「…『突然文をお渡ししましたこと、どうかお許し下さい。
どうしても小春さまとお近づきになりたく、その想いが溢れて止まず、このような手紙を出させて頂きました。
もしよろしければ、本日の放課後、校舎裏にまでお越し願えませんでしょうか。
小春さまにお逢いできることを楽しみにしながら、放課後お待ち申しております。』」


小声で読み上げながら、途方もない気恥ずかしさに襲われる。
なんとまぁ勇気ある行動とは裏腹に奥ゆかしい文章か。

机の中に手紙が入っていた位だし、加えて“校舎裏”を待ち合わせ場所に指定する位なのだから、うちの生徒で間違いはないのだろう。
でもこんな大和撫子を地で行くような現役女子高生、私の周りにいたかな。


「…こっちにも名前、ないな」


念の為もう一度読み返すが、やはりどこにも撫子さん(仮称)の名前は見当たらなかった。どんだけ奥ゆかしいんだ。

そっと教室内を見渡してみる。

何の話で盛り上がっているのか、ゲラゲラ笑い合っている子たち。
朝に弱いのか、机に突っ伏して爆睡する子。
真面目なことに教科書とノートを広げて何やら勉強にいそしむ子。

それぞれが思い思いに過ごす、いつも通りの朝の風景。

その風景に私だけが取り残されたようで、突然訪れた非日常に何だか妙にどきどきしてきた。


「……」


しかし、やはり思い当たる節がない。
教室内でも、特にこちらを気にするような視線はなく、別のクラスか学年の人かもしれないと熱くなってきた脳みそでぼんやり考える。
それはそれで、余計に思い当たる節がないのだが。

それから放課後までは、そわそわと落ち着かない半日を過ごした。

生まれてこの方、こんな手紙なんて貰ったことがないのだ。

授業中、先生に見つからないよう友達と手紙の交換をする事ならあるが、それとは比べられない程のドキドキ感だ。

今この世界において、この秘密を共有しているのは私と撫子さんの二人きりで。

まだ見ぬ撫子さんへの想像が止まらない。
どんな人なのか、何故私を気に掛けてくれるのか気になって仕方なかった。
何だこれ、恋する乙女か。

あまりに私に落ち着きがないことを心配した友達が声を掛けてもくれた。
が、誰かに話してしまったら、この夢のような出来事が音もなく消えてしまうような錯覚に陥り、突然怖くなってしまった。

誰が書いたのかも分からない手紙が届いたことではなく、変なことを恐ろしく感じるものだと自分でも不思議に思う。

どうにか心配ないことだけを喉から絞り出すと、心配と少し呆れ混じりの様子で「明日もおかしかったら無理矢理聞きだすからね」と許してくれた。
良い友人に恵まれたものだ。


放課後。
とうとうこの時間がやってきてしまった。

予備校や部活に忙しなく向かうクラスメートを見送りつつ、鞄に適当に物を詰め込んで気もそぞろに立ち上がる。

いつもなら私も急いで美術部に向かう時間。
だが、今日だけは。今日だけは休ませてもらいます。
もうすぐ引退だし、許して可愛い後輩ちゃんたちよ。

さて、万が一情報に間違いがあっては困る、と再度手紙を取り出した。
桜井小春。本日放課後。校舎裏。よし大丈夫。間違ってない。

周囲に怪しまれないように、せり上がる気持ちを押し止め、早すぎず遅すぎずの速度で目的地へと向かう。

…一度意識してしまうと、それまで無意識に行っていたことが途端に難しくなるのはどうしてなのだろう。
自分がいつもどれ位の速度で歩いていたか、歩幅はどうだったか、ともすれば呼吸にまで意識が向いてしまう。

それでもどうにか校舎裏の角まで辿り着く。
心臓がドクドクとやかましい。

あと三歩。はやく。

あと二歩。はやく、はやく。

あと一歩。
この角を曲がれば、そこにはきっと既に撫子さん――


「…アァ?」


――とは180度ジャンルの異なるヤンキー女子高生が、目が合った瞬間こちらにメンチを切りながら佇んでいた。

そして冒頭に戻る。
…できれば、戻りたくなかったです。


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人生初体験(できれば一生経験したくなかった)の出来事に胸が一杯、ついでに目頭も何だか熱いもので一杯になり、思わず空を仰ぐ。
ああくそー、めっちゃいい天気だなー。恨めしい。


「…桜井小春、だよなぁ」

「ふぇ!?アッハッハイ!!」

「ッたく、さっきから目も合わせねぇし全然しゃべらねぇし、ちゃんと起きてんのかよテメェ。夜は寝ないとデカくなれねぇぞ?」


現実逃避しかけていた私の思考を衝撃的な単語で引き戻すヤン…冬木さん。

聞き間違いでなければ、今彼女は、私の名前を呼ばなかっただろうか。

というか地味に心配された。…意外とやさしい?のか?


「あ、あのぉ…」

「ア?」

「ヒィィ…そ、その、どうして私めの名前なんぞをご、ご存知であらせられますか…?」

「…アァ?ご存知であらせられたら何かマズイってのかよ?」


やだこのひといちいち威嚇しないと気が済まないタイプなの!?やっぱりこわいよ!


「いいえしょんな滅相もごじゃりませぬでして…!」


ああなんかさっきから日本語がうまく喋れている気がしない。
舌がもつれる。言葉ってこんなに口にするの難しかったっけ。


「そ、そのですね…」

「おう」

「…冬木さんとわたくしめは、わ、わわたくしの記憶が確かであれば、今までお話したことがなかったかと存じておりますゆえ…」


冬木さん。3年F組。
…実は未だに下の名前さえ知らない程に、彼女とは接点が無かった。

高校入学当初から、とにかく彼女は目立っていた。

ド派手な金髪の割に、どこのメーカー使ってんだと不思議に思う程艶めく長い髪。
女子高生の平均身長を遥かに上回る、モデルかのような高身長。
同性でも思わず見惚れてしまうような、透き通る肌に整った…それゆえに少し冷たくも見える顔立ち。

両親のどちらかが異国の人なのだと、風のうわさで聞いたことがある。

そんな恵まれた容姿を本人がどう思っているかは分からないが、彼女にまつわるうわさはそれだけではなかった。

曰く、中学時代その界隈では相当腕をならしていた元ヤン。
曰く、男関係で因縁を付けてきた上級生を拘束し、涙が枯れるまで家に帰さなかった。
曰く、その原因となった男を“お礼参り”と称して病院送り。

彼女の数ある武勇伝(?)のうち、どれが何処まで真実かは分からない。
彼女自身、うわさを肯定も否定もすることはなかったし、比較的平穏なこの学校であえて彼女に特攻するような命知らずもいなかった。

異常な口の悪さと鋭い眼光のせいで中々うわさが霧散することもなかったが、高校での彼女は比較的大人しく過ごしているように見えた。

が、真偽云々の前に小心者の私の心にはこの言葉がよぎった。

―冬木さん危うきに近寄らず。


―そんなわけで、今の今まで、彼女とは一度も会話をした記憶が無かったのだ。
クラスも一緒になったことが無かったし、冬木さんは美術部所属でもない。

何故私の名前を知っているのか、それが分からないと今日はこわくて眠れる気がしない。
…分かったところで、それはそれで恐ろしいのだが。


「…」

「…」


…無言がもうすでにこわい!
しかしどういうわけか物凄い形相をしている冬木さんを見るとこちらからアプローチに踏み出すのが非常に恐ろしい!

どうしよう、そうこうしている内にきっとすぐ撫子さんがやって来てしまう。
まだ見ぬ撫子さんを、こんなわけの分からない状況に巻き込むわけにはいかない。私達の記念すべき出逢いが最悪なものとなってしまう。

ああでもここから逃げ出すわけにもいかないし、何だこれ、どうしたらいいのこれ。


「…桜井、小春」

「っ、は、はい…」


物凄い形相のまま、再び名前を呼ばれる。


「…それに答える前に、一つ言わせてくれ」


『冥土の土産にはなむけの言葉送ってやるよ』的なワードでも飛び出すのだろうか?


「…手紙、読んでくれたんだな」

「…はい?」


手紙?
冬木さんから手紙なんて貰った記憶は無い。


「…ぶっちゃけ、マジで来てくれるとは思わなかった。
桜井が来てくれる保証なんて無かったからよ。…まずは、サンキューな」


もしや下駄箱に決闘状(って言うのだろうか)でも入っていたのだろうか。
読んでいたら死んでも来なかったと思うが。

何かの間違いでは。いやでも桜井小春なんて名前、この学校では私だけだし。

…待てよ?
そもそも私はどうしてここに居る?


「あ、あのぉ…」

「アン?」

「その、大変申し上げにくいのですが…」

「あんだよ?」


…手紙なら、確かに今日、貰ったじゃないか。

私の中で勝手に『撫子さん(仮称)』と名付けていたが、差出人不明の手紙を、私は確かに今持っている。


「…手紙って、ちなみに何処に入れられました?」


全身から冷たい汗がどっと噴き出す。
まさか。まさかまさかまさか。


「? 桜井の机の中」

「…それって、いつ入れられましたか?」

「アァ?今朝だけど?
桜井が来る前に、と思ってかなり早くに入れた」


繋がるはずのなかった点と点が線と化す。
そして。


「…最後に、もう一つだけ」

「…いいけどよ、なんなんださっきから」

「…手紙って、桜色の封筒と便箋でしたためて下さいましたか…?」


そして、最後の点が―


「…桜井によく似合う色だな、って店で見つけて思ったんだよ」


―繋がった。

…。

…ええええええええええええええ!?!?


「っ!?いきなり叫ぶなよ!ビビったじゃねぇか!」

「え!?あっここ声に出てました!?」

「なんだよ!?ガラじゃねぇなとはテメェでも思ったけどワリィかよ!?」

「いやいやいや!たた確かにいろんな意味で意外性はありましたけど、え、ええええええ!?」


ガラじゃないかどうかと言われればめちゃくちゃガラじゃない!

いや確かに、単純な容姿のみで見ればむしろとてもよく似合うとは思うのだ。
…思うのだけど、言葉遣いがその印象を全てぶち壊していてなかなか繋がらなかった。
流石にそんなことバカ正直には言えないが。


「だから何なんだよさっきから!可愛かったんだよ気に入ったんだよ悪かったなぁ!?」

「いやあのそのすっごく!すっごくお似合いです!お似合いなんですけど!ああもう何て言ったら」

「桜井は、き、気に入らなかったかよ…?」

「いいのかなー!?…って、へ…?」


そしてもう一つ、これまた意外性を発見しつつあるのだが。


「…桜井の名前にも、雰囲気にもピッタリだと思って選んだけど、気に入らなかったかよ…?」


…冬木さんってこんなに可愛らしい人だったの?

こういうのをギャップと言うのだろうか。
口の悪さは相変わらずだけど、そこにはただ一人、ちょっぴり目を潤ませている女の子が居た。
少なくとも、私の目にはただのいじらしい女の子にしか見えなかった。

そう思ったら、急に自分が恥ずかしくなってきた。

見えるものだけで、よく知りもしないのに他人を勝手に判断して。
イメージと異なったからと動揺して、挙句に同い年の女の子を不安にさせてしまった。

何が撫子さん(仮称)だ。
空想上の人間にうつつをぬかして、現実の人間を疎かにして何の意味がある。


「…あの、冬木さん」

「…なに?」

「…まず、冬木さんのお話もろくに聞かないまま、急に叫んじゃったりしてすみませんでした」

「…」

「で、でもそれは、冬木さんがどうこうじゃなくて。
その…そもそも私が冬木さんのことをよく知らなかったから。
…今まで、冬木さんを遠くから見ていただけだったから、だからギャップ萌…新たな一面を知ったことで脳みそがオーバーヒートしかけただけなんです」

「…」

「む、むしろですね」

「…?」

「…知れて、嬉しかったです」

「…え?」


不安そうに揺れていた瞳が、驚いたようにこちらを捉える。

それにしっかりと目線を合わせ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「…手紙、すごく丁寧な文章で綴られてて。私が勝手に抱いていた冬木さんのイメージとは全然違って。
あの手紙も、そこに込めてくれた想いも。何より、冬木さんが全然タイプの違う私なんかと仲良くなりたいって勇気を出して近づいてきてくれたこと。
…そういうの、全部全部嬉しかったです」

「…はは」


雪で覆われた地面が、陽の光を浴びて少しだけ顔を覗かせたような。
ほんの少しだけ、そんな笑顔が冬木さんから零れた。


「…やっぱり、桜井の名前は桜井によく似合ってるな」

「…うららか過ぎて眠くなりそうな名前ですけどね」


能天気すぎるというか、万年お花畑みたいで。
まぁ、気に入ってるからいいけど。


「…確かに、桜井とあたしは今まで話したことはねぇな」

「あ…や、やっぱりそうでしたよね…」


でも、それなら一体何故。


「…一昨年の文化祭でよ、桜井の描いた絵、見たんだよ」

「え、び、美術室で展示してた…?」


驚いた。

文化祭で美術部の展示は、毎年校舎とは別棟の美術室で行われるのが恒例だ。
しかし文化祭のメインといえばやはり出店やステージなどである。
別棟が少し校舎から離れていることもあり、文化祭でわざわざ別棟を訪れる人はお世辞にも多くはなかった。


「テメェのうわさがアレコレ好き勝手に流れてんのは知ってたし、別に誰にどう思われようがどうでも良かったんだが。ま、お蔭様であたしと仲良くしようなんてヤツ一人も居なくてな。
文化祭も仕事とか誰も振ろうとしねぇし、でも皆が忙しそうにしてる校舎で一人で遊んでんのもワリィからよ。
別棟なら、物好きでもねぇ限り誰も来ねぇだろって思ってふらふらしてたわけ」

「…はは、仰るとおりです」

「だから、ホントたまたまだったんだ。
たまたま、美術室の前通りがかって、たまたま中に入った。
…そこで、桜井の絵を見た」


…なつかしい。あれを描いたのも、もう二年前か。



「…一昨年、私が描いた作品は」

「「…『繋ぐ為』」」


―二人の声が綺麗に重なった。


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一昨年の秋。文化祭前。
一年の頃から美術部に所属していた私は、頭を悩ませていた。

ずばり、文化祭に展示する作品について。

実はそれまで美術部に所属したこともなかったし、中学時代の美術の授業以外で自ら絵を描いたことなど無かったのだ。

それじゃあ何故わざわざ入部したのかと言われれば、まぁ、友人に誘われて何となく。

他に入りたい部活も無かったし、あまり深く考えずに入部してしまったのだが、案外絵を描いたりするのは楽しかった。

決して上手いわけではないが、自分の手で何かを形にするという行為は充実感があった。
誰かに作品を見せたい、というより、ただただ絵を描くことに楽しさを覚えていた。

しかし、文化祭で展示するということはイコール、不特定多数の人達が見に来るということ。

例年、わざわざ別棟に訪れる人達はあまり多くはないと先輩達は笑っていたが、「せっかくの機会だし、小春ちゃんも自分で一つテーマを設定して何か描いてみてね」とお達しを受けてしまった。

何を描こう。何を描いたらいいのだろう。
私にしか描けないもの。
人から指定されたものではない。私だけのテーマ。

うんうん悩み続ける私を見かねてか、先輩が「自分の好きなものや身近なものをテーマにするのもアリだと思うよ」とアドバイスをしてくれた。

私の好きなもの、身近なもの、か。
それはつまり、『桜井小春』という人物そのものに焦点を当てる、ということに繋がるのかな。

でも私自身に、形にできるものなんてあるのだろうか。

ぼんやりとそんなことを考えながら部活を終え、帰路に着く。


「ただいまー」

「おかえりー小春。もうすぐご飯できるからちょっと待っててね」


家では母が夕食の仕度をしていた。
おいしそうな夕食の匂いを纏う母の姿を見ていたら、ふいに相談に乗って欲しくなった。


「ねぇお母さん」

「んー?」

「お母さんから見て、私ってどんな子?」

「えぇ?なにそれ、どうしたの急に?」


少し驚いた様子で母がこちらを振り向く。
突然わが子からそんな問い掛けが出れば、そりゃあビックリもするだろうな。
母よすまん。

「手伝うよ」と食器を棚から出しながら、事の経緯を母に説明する。


「なるほど…自分に焦点を当てる、かぁ…」

「そうそう。なんか、うまく言えないんだけど難しくてさ。
そりゃあ私にだって人並みに好き嫌いとかはあるけど、でも『これが私です!』って主張できる程かって言うと…」

「どうにもしっくり来ない、と」

「そういうこと」


テーブルに夕食を並べ終え、二人で『いただきます』と手を合わせる。

眉間にしわを寄せながら味噌汁をずず、と啜る私の耳に、ふふ、と笑う母の声が聞こえた。


「小春の名前なんだけどさ」

「? どうしたの急に」

「いいからいいから。それで名前なんだけど。私、四季の中では春が一番好きでね。
春って、厳しい寒さを乗り越えた先に必ず訪れるものでしょう?
…小春がこの世に生まれてきてくれた時にね、『この子には、誰かにとっての“春”になって欲しいな』って思ったの。
誰かの冬に、ちゃんと春の訪れを与えられる人にね」

「へぇ…そうだったんだ」

「良い由来でしょう?冬も好きだから、ちょっと迷ったんだけどね」

「正直、それ聞くまでは『お花畑咲いてそうな名前だなー』って思ってた」

「あらー?桜井って苗字と併せても、とっても良い名前だと思うんだけどなー?」

「あはは、ごめんごめん冗談だって。私も自分の名前好きだし」


春生まれなのも手伝って、安直な名前かもしれない。
でも、自分も周りの人もあたたかく出来るような、そんなステキな名前なんじゃないかと思ってもいる。

なるほど、私が好きで、私にとって身近なものかもしれない。


「ふふ、それなら良かった。名前って、親が子に初めて与えられる、一生もののプレゼントだからねぇ」

「うん。…ありがと、ちょっと考えがまとまってきた」


春か。良いテーマになるかも。


「そう。文化祭がんばってね、母は娘の作品を楽しみにしてるわよー?」

「え、もしかして見に来るの…?」


学校に親が現れる。
何だか授業参観の時を思い出してしまいそうだ。

…と、そういえば。


「ねぇ、もう一つ聞いてもいい?」

「あら、なぁに?」

「冬はどういうところが好きなの?」

「あぁ、さっき『冬と迷った』って言ったっけ?」

「そうそう。私はあんまり冬って好きじゃないから何でかなーって」

「小春は寒いの苦手だもんねぇ」

「春生まれですから」

「…冬はね、命の尊さや生きる厳しさを、その身を以て教えてくれる季節なのよ。
冬が無かったら、春も訪れない。寒いだの冷たいだの、色々と誤解されたり嫌われやすい季節だけどね。
でも、その冷たさの中にはきっと、春とは別のあたたかさが詰まっているんだと思うの」

「別の、あたたかさ…?」

「そう。全く別物だけど、きっと生きていく上でとても大切なものだと思うのよね。春のやさしさも、冬のやさしさも。
もちろん夏にも秋にも共通するんだけどさ…そこには必ず“意味”があるから存在するのよ。
…小春も、見えるものだけに囚われてはだめよ?」


―決まった、作品のテーマ。


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「まさかあれを見てくれてたなんて…」


一昨年、私が初めてテーマを持って描き上げた作品『繋ぐ為』。

あれを誰かが見てくれて、その上、覚えていてくれたなんて。


「…あたしの苗字にも入ってっけど、“冬”ってあんまり良いイメージ持ってねぇヤツ多いだろ?冷てぇとか、寒々しいとか。
でも、桜井の作品には、あぁーなんつぅのかな…」


母との会話がなつかしく思い出される。

正直、描き上げたはいいが自信なんて無かった。

技術で言えば、きっと稚拙なのも良いところで。
そこに詰めた想いを、ちゃんと形に出来ているのか分からなかった。

文化祭当日、本当に母は別棟まで展示を見に来てくれて。
恥ずかしそうに横に立つ私を見ながら、何も言わずに微笑んでいた。

あぁ、母にはちゃんと伝わったんだって思った。

でも、それ以外の人達には果たしてどう映るのか、不安で一杯だった。


「―春だけじゃなくて、冬にもちゃんと良いところはあんだぞ!…みてぇな。
春は春で、冬は冬で、それぞれ“意味”があるからそこに存在するっていうか。
…どっちかが欠けてもダメなんだ、って、そんな風に感じたんだよ。上手く言えねぇんだけどさ」


―でも、ちゃんと分かってくれる人がいたんだ。


「だから、桜井と話してみたいって思ったんだ。
こんな絵描けるヤツなら、…あたしでも仲良くなれるんじゃねぇかなって、思った」


何だろう、この気持ち。
嬉しくてたまらないのに、何故だか泣き出してしまいそうな、苦しくてたまらない妙な気持ち。

春には無い、冬の持つやさしさ。
これがそうなのだろうか。不器用で、いじらしくて、とてもいとおしい。


「…って、あたしが勝手に感じたことだから、桜井がどういう意図であれ描いたのかはわかんねぇけど。
そういうのも、は、話せるなら話してみてぇなって」

「…何で、私と話したいって思ってくれていたのに、今日まで日が空いたんでしょうか…?」

「…」

「…あ、あの…?」


また急に黙り込んでしまった。
…聞いちゃいけないこと、だったのかな。


「…あー」

「…」

「そ、その…」

「は、はい…」

「…手紙、なかなか書けなかった」

「…はい?」

「だ、だから!書けなかったんだよ!
いきなりあたしから話しかけられても桜井がビビると思ったから!だからまずは手紙出そうと思ったんだ!
…けど、その…文章だと、あんな感じであたしのイメージとは全然変わっちまうし、は…恥ずかしくて、書いてもなかなか渡せなかったんだ…!」


…この人は、一体どれだけ私の心を鷲掴みにすれば気が済むというのか。
なに?あの文章はわざとじゃなくて自然とああなってしまうの?

私が知らなかった冬木さん。
もっと知りたい。やさしいところも、可愛いところも、それ以外も。もっと。

あ、だめだ。わたし、この人のこと。


「…好きです」

「あああクッソはずかし、ん?え?」

「ふ、冬木さんはたぶんお友達として私と仲良くなりたいって思ってくれてるかもしれないんですけど!
すみません!私!冬木さんのことなんか今めちゃくちゃに愛おしいんです…!」

「え、え…?」

「手紙も!あの文章も!私、すっごくドキドキしました!
はじめは、冬木さんとは全然イメージの違う撫子さんを想像してました!」

「な、なで…?だれ…?」

「でも!今私の前にいる冬木さんは!私の想像していた撫子さんよりもずっとずっとステキです…!」

「…っ!?」

「だ、だからですね。あの、つつつまり…!」


ああ、何かさっきから欲望が口から溢れ出して止まらない気がする。

…というか突っ走り過ぎて少々冷静になってきた。


「…つまり、ですね…」

「お、おう…」


あ、やばい。ちょっと引かれてる。

でも、まずは。まずは着実にステップを踏んでいこう。


「…とりあえず、お友達になってください」


―「何が“とりあえず”だよ、欲望に忠実かよ」と、それから何年も私は彼女にからかわれることになるのだが。

それは今ここでお話するのは恥ずかしいので、割愛。


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