May15::日常
 お風呂入りながら

つらつら考えていたよ、
生きるのには必要ないこと。

話題:創作全般

唐突に(プロットも何もないのに)
鬼の話が書きたくなった。

恐らくこれは私のライフワークなんだよ。
と勝手に思っている。

別に鬼滅の刃が流行ってるからとか、
だいぶ前に鬼灯の冷徹が流行ったからとかじゃなく。

馬場あき子の『鬼の研究』から、
柳田國男の『遠野物語』から、
上田秋成の『雨月物語』から、
超古典の『日本霊異記』まで。
『日本霊異記』だけは上巻までしか読めてない。
手に入らなくてな。。

『虫めづる姫君』みたいなマイナー古典とか、
『橋姫』『鉄輪の女』みたいな能まで、
未だに読みたいのはたくさんあるんだが。

あとは大学で専攻してた
文芸創作学科時代の古典の授業と、
副専攻で選んだ西洋思想史で勉強してた
日本の思想史と。
自分の興味で調べて見つけた、
インドでヤマは死の国を意味するってことと、
山に霊的存在を見つけてた日本の思想と。

そんなのがばーんて巡ってた。

境の岩には鬼が棲む。

そんな書き出しだけ浮かんで散っていった。
チクショウ…。

『黒塚の鬼』ではないんだよ。

もっとさぁ、
こう、
大江山の鬼だとか、
日本の山に隠れ住んでいたであろう
ヤマト以降の王朝にまつろわなかった民の姿だとか、
河原者と言われてた被差別階級の人とか、
なんてーか古代から確実にある暗部のいろいろをさ、
どす黒くない文体で書きたいんだよ。

義務教育でも高校でも習わない、
大学の授業でも率先して受けなきゃわからないような、
決して日本史の表に出なかったものをさ。。

鬼=悪じゃない。
そう片付けた方が都合がいいから
長年そうされてきたもの、
とか、
平安の都の夜闇に乗じた陰謀の諸々みたいに
みんな知ってるけど口には出せないもの、
とか。

例えば
五体満足の人の片目を抉り、
手足を切り落とし、
神憑りと見なしてたとか。
そこまでえげつなくなくても、
五体満足に健康に生まれた人とは違う人を
神憑りとして扱ってたとか。

今の時代からしたら野蛮な文化、
で終わっちゃうようなことなんだけれどもね。
史料がないものは推測しか出来ないんだけど、
閉鎖的で前近代的なムラの因習として
探偵小説の題材で終わらせちゃって
いいんだろうかと思うわけ。

日本人が日本を、
日本人とは何かを考える時にさ、
過去にどんなことをしていたのか、
過ちを繰り返さないために知る必要はあると思う。
そこをしないで日本は語れない。

近代化にしたって、
尊皇攘夷の極一部で推し進めたのが明治維新で、
果たして日本は西洋化したけれど、
王政を自らの手で
市民による市民のための民主主義に落とし込んだ、
西洋のような近代化はなし得ていないんじゃないか。
とね。

(京極夏彦氏が書楼弔堂で似たようなこと書いてた)

そんな感じのことを作品にまとめたいのだけど、
難しいんだよなぁ。
それを鬼に絡めて書きたいんだけど、
どうにもこうにも浮かばんのだよ。

難しいなぁ、
難しいなぁと言いながら歳ばかり食っている悲劇。。

カクヨムも「なろう」も参加してたけど、
んでもって懐かしき魔法のiらんども見てみたけど、
私みたいな作風は毛色が違うんだよね。
大量消費される為だけのモノしかない。
私にとっては文学ではない。
私にとっての文学は、
現代作家は京極夏彦小野不由美くらいで、
近代作家でほとんど止まっている。

ラノベを否定しないし、
好きなんだけどね。

そりゃあ例え書いても売れないよ。
それはそれでいいんだけどさ。

書きたいものが形にならずに
10年以上もモヤモヤしてる。
いつになったら書けるかな。
やっぱりもっともっと大人にならんとダメかな。


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