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世にも奇妙な猿を譲り受けた。大きな檻に入れられた三歳児ほどの体格の猿は俺の部屋の大部分を占領した。


猿の元飼い主で俺の友人でもあったYは酷い顔色をして俺のアパートの扉の前に立っていた。昨夜のことである。

[気味が悪いから貰ってくれないか]

そういう意味の言葉を何度も口にして、彼は小脇に抱えた檻を半ば強引に玄関の前に置いて帰ってしまったのだ。深夜遅く尋ねてきた友人に安眠の邪魔をされた俺は不機嫌のまま早々とベッドに潜った。今朝眼を覚まし数秒の後激しく後悔したが既にどうにもならない。彼の電話は繋がらないし、歩いて20分の彼の家を訪ねたが人の気配を感じることは出来なかった。仕方が無いので帰路に着く途中小さなコンビニでハンバーグ弁当を買った。そして今ハンバーグを齧っている。猿を横目に。

猿は大人しかった。幼い頃両親に連れられて行った動物園で見たきりだが、猿とはもっと凶暴でキイキイと騒がしかったように思う。が、そもそも俺は動物になんの関心も無いのでその記憶すら曖昧だ。両親はその後すぐに離婚して離れ離れになった。動物園に行ったのが両親との最後の記憶だ。ただ退屈だった。それだけだ。

「食うか?」

ハンバーグを猿に差し出してみた。猿は一体何を食うのだろう。この猿を育ててやる義理もないが捨てるだけの貞操もなかった。人がものを捨てるには、例えば紙屑を捨てるにも、捨てるだけの張合いと潔癖がある。坂口安吾はそう言う。俺には潔癖も張合いも存在しない。人間に似た猿であった。

猿はハンバーグを一瞥しただけでそれ以上興味を示そうとはしない。昨夜から何も口にしていない猿はしかし大人しいだけで元気がないようには見えなかった。

女の価値というものを考える。美人でなければ石を投げられ結婚すれば家政婦になり夜中に外出すれば強姦される女の価値というものについて考える。女とは何ぞや?答えが出ない?では、男とは何ぞや?これも、答えは出ないか?では、私が講釈して進ぜよう。

私が思うに、女とは資源だ。資源というのは尽きるものであり、しかし必要不可欠なものであり、然るに保護するものだ。男はそれらの資源を消費する側に立ち、よって消費者が資源の立場に立つことはほぼ有り得ない。あなたがたもご存知の通り、地球破壊は進んでいる。消費者が資源の立場に立って来なかった結果で無くしてなんと言おう。あなたがたからすれば幸いなことに、私はこの場で環境破壊について論ずるつもりは無い。飽く迄も女の価値の話である。

資源はものを言わない。伐採される木々が一々文句を言い出したら地球は耳を塞がなくてはならないからだ。資源はものを言うべきではない。また、資源はものを言うことを許されない。美人でなければ石を投げられ結婚すれば家政婦になり夜中に外出すれば強姦されることを甘んじて受けなければならないのだ。それが、女だ。

資源を搾取する側の彼等は実に自分勝手で、横柄で、都合が良い。他人には資源を大切に、と小言をふっかける癖に自らの立場になると途端に理性など投げ出して好き勝手に食い尽くす。資源として適さない女は社会的に殺してしまうし、特別な感情も生まれることはない。

ああ空を飛びたい。

八畳の殺伐とした部屋の中一人ベッドに寝転ぶ学生服の少女は空っぽの頭でそう思った。現在平日午前十時。
開け放たれた窓から真っ青な空を臨む彼女の黒い瞳は空と同化して藍。


朝は七時の目覚しで起床。
パジャマのまま一階へ降りるとキッチンからは香ばしい匂い。母の作った簡単な朝食を食べ、ニュースの占いコーナーが終わる頃学生服に着替えて母を見送る。そして二階に戻り一日を過ごす。
これが一週間の決められた生活。週休二日制。

八畳の部屋にはベッドと机と小さな本棚のみでタンスもテレビも絨毯もない。私服は学生服。寝るときはパジャマ。以上。


彼女の趣味は染髪である。色の抜けきった髪と篭りっきりの肌の色は等しく至って不健康に淡く光る。
部屋ですることと言えばオセロや人生ゲームやトランプ。一人で黙々と部屋の中央でそれらを広げて過ごす。


彼女は知らなかった。知ろうともしなかった。純粋な感情のみで生きていた。
大人になるにつれて外の世界を拒絶し始めた。汚く染まるのが嫌だったから。
世界で一番綺麗な彼女は世界で一番孤独だった。


火曜日のお話。
いつも通り母を見送った後、彼女は部屋に戻って青空の広がる窓を開けた。
彼女は空が好きだった。特に真っ青な空はなんだか懐かしい感情を生んだ。
どこまでも続く空に焦点を揺らせながら、彼女はふと首筋に刺さる視線を感じた。
目線を下げると猫がいる。牛模様の猫が。じっとこちらを見てぴくりとも動かずに丸い眼をぱちくり。
どのくらいそうしていたか、見つめ合った視線に導かれるように彼女はふらりと家を出た。


牛模様を前に見て歩き続ける。不思議と猫は視界から外れることはなくて、近すぎず遠すぎずを保ったままてくてく。
牛模様は視界から消えない。彼女は外の世界に眼を向け始めた。自宅は既に見失っている。まもなく住宅街を抜けるだろうと直感で感じている彼女に不思議と不安がないのは高揚かはたまた感傷の欠如か。


家並みが途切れた。いつの間にか人通りは多くそれぞれがそれぞれに行動している商店街。太陽はすっかり高く、しかしアーケードの中には心地良い風が吹き通っている。新鮮な空気、雑踏、会話、彩り、どれもが彼女の部屋には存在しないものだったので自ずからアドレナリンは過剰に分泌し胸が高鳴る。最後に興奮したのははてさて何時のことだったか、1200gの錆付いた脳はぎこちなく動き出した。


小さな店が軒を連ねて種々多様なものを売っている。右手には洋服屋。左手には魚屋。美味しそうな香りを辿っていくとお惣菜屋。すれ違う人に何度もぶつかりながら彼女はアーケードをくぐり抜けて行く。左右に眼を回してどれだけ歩いただろうか、彼女は小さなラーメン屋の前で立ち止まった。

フォルテッシシモな俺の感情を見ていてくれる奴はいないしこれからも見込みはない。
鼓動がペザンテで打っている時だって大量の薬を飲んで一人指揮棒を振るだけで電気信号は音楽になる。

「+++」
肩を叩く衝撃で外部の音に気付く。そこに立っていたのは物心ついた時から見覚えのある顔であったが記憶にあるよりも随分不快な顔をしていた。
床に落ちていた薬のフィルムを踏む金属的な音が耳障りで俺は部屋から***を追い出す。
「何か用」
「お前、連絡くらいしろよ」
聞けば随分前から俺の部屋にいたが呼んでも呼んでも返事が無かったらしい。なるほど不快な顔をしている理由がわかった。
俺の音楽は届いていたのだろうか。俺の電気信号は空気振動に変換されていただろうか。わかっている、そんなはずは無い。
「おい、聞いてんの」
「聞こえないよ」
聞こえないと言ったのに目の前のそいつは俺に向かって流暢に喋り始めて二週間も大学に顔出さないで何してんだとか連絡くらい寄こせだとか死んでるかと思っただとか実に勝手な考えを投げつける。
人を勝手に殺すんじゃねえ。はいはい俺は元気だよこの通り。この二週間でタクトは新調したしスピーカーの精度も弄ったしフィルハーモニア管弦楽団のレコードも買ったし薬だって大量に調達したよ。
「なあお前こんな所で一人なにしてんの」
「俺には黒板くんがいるから一人じゃないよ」
「俺がいんのに黒板を生かすなよ。文字だってただの石灰の粉だよ。わかってるんだろお前も」
勝手に人の部屋に上がり込んでいきなり俺の親友の黒板くんに文句つけるなんてお前がこんな失礼な奴だとは思わなかったよ。悪いな黒板くん。気にしないでずっと五線譜に音符を連ねていていいからね。
沢山の色を使ったりして音才だけじゃなく色才まであるんだねすごいやさすが俺の親友だななんて黒板くんを褒め称えていたら***は眉間に皺を寄せて帰ってしまったようだった。
あいつも昔はあんなじゃなかったんだけど。いつから変わっちゃったんだろう、ごめんね黒板くんあいつも悪い奴じゃないんだ許してやってよ。




人は空気振動みたいに素直な波長を持っていないから何にしてもまったく予想が出来ず楽譜にも表せないことが俺にとってはもどかしくて苛ついて寂しかった。
ただそれだけだったけれど俺の意識にいつももどかしさ苛つき寂しさが根を張るようになってから、古ぼけた五線譜の書かれた黒板が生き生きと話しかけてくるようになった。
気がつくといつも黒板には鮮やかな音符が並んでいる。視覚に映る音楽記号は俺を見守って理解してくれる。いつしか黒板は俺の心の支えになった。


部屋に入るときに、俺は見ていた。+++がぶつぶつと呟きながら黒板に何かを描いているのを。とうとう気が触れてしまったのか、しかし+++の表情は柔らかくて優しかった。
なにか大切なものをみるような眼で、繊細なものを扱うような手つきで、黒板を愛でていた。内の世界に引きこもる+++を見て俺は反比例して哀しくなった。


鼓膜の振動が神経を興奮させない程度の精神状態に陥っている。何日こうしているだろう。部屋中が音楽で満たされている。俺の隣には黒板。
黒板が発する言葉はだんだん色濃くグロテスクになってきて、ああ、お前も寂しいんだな大丈夫だよ俺がいるよ。どこにもいかないよ。
優しく黒板を撫でる。掌には厚く石灰が付着した。俺みたいだと思った。おれみたい?あれ、もしかして、これ、もしかすると、

肩を叩かれて振り返ると、何日か前に見た顔がこちらを覗いていた。俺と眼が合った瞬間に、目の前にある顔はなぜか哀れんだような表情になった。

「    、  」

え?なんて言ってるの。だめだ全然聞こえなくて。お前の言ってることはもう解らないよ。これからもずっと解らないよ。今までも解らなかったよ。
石灰だらけの手を伸ばすとそいつの身体は汚れてしまった。そいつは避けることはしなかったけど、俺は何故か哀しかった。哀しいなんて感情は、久しぶりだった。
俺は少し、動揺した。心臓が早く打ち始めて、頬が冷たくなった。「溢れる」という言葉がぴったりだった。
震えがとまらない俺を、***は明るい外の空気に晒してくれた。俺が落ち着いたのを見るとあいつはすぐに帰ってしまったけど、なぜかあの日のことは色濃く記憶に焼きついている。



防音効果を高めるために窓を塞いでしまったために陽の光も入ってこないしもちろん外の音も聞こえてこない。今日が何日で今何時なのかすらわからない。
何十時間も部屋の空気は巨大なスピーカーによって震わされていて、俺は既に薬を飲まないと睡眠が出来ない身体になっているから最後に眠ったのはいつだったか。
タクトを振りながら黒板と交わす会話は弾みに弾む。色とりどりな言葉を交わすうちに、黒板は眩しいほどに鮮やかになり、下地の緑はかき消されていく。
ねえ黒板くん。俺ね、お前が好きだよ。すごい好きだよ。もうどうしようもないくらい好きだよ。俺の言いたいこと伝わってる?ねえ。ねえ。ねえ。
伝えたら伝えただけ鮮やかに返してくれて好き好き大好き愛してる。

(なのにどうしてかなどこか非常に微妙な点において心に欠けるものがあるのは)

そんなものはただの誤解で求めれば求めるほど際限が無くなってゆく人間の我侭なんだろう。大丈夫だよ俺はお前を捨てたりしないよ愛してるから。
ねえ黒板くん。   黒板くん?「愛してる」って俺の言葉届いてる?どうして何も言ってくれないの。どうしたの黒板くん。返して返して。ねえ。
なんの返答も無くなった黒板にすがるようにして触れた左手には真っ赤な石灰。あれこの状況前にも、そうだ俺、あの時なにか気付きかけたんだ、そう、おれみたいだって。おれみたい。おれみたい、?
頭の片隅に現れた等式を意識した瞬間俺の心臓は痛み出した。       (黒板=俺)、。?
飽和状態になった緑の板に向かう俺の手には短いチョークが握られていた。



見慣れたはずのその部屋は真っ赤に染まっていた。くしゃくしゃになった金属のフィルムや既にどす黒くなった楽譜があちらこちらに散乱している部屋の中しばらく呆然としていると不意にそれに焦点が合った。+++だった。
粗大ゴミのように部屋の真ん中に打ち捨てられた+++は、俺の震える声なんかじゃぴくりとも動かない。感覚のない腕で+++を乱暴に抱き起こすとそいつの口の中には赤く染まったカプセルが残っていた。
手を握ったのは無意識だったが半凝固した血液とは違う粉っぽさが俺の思考回路を冷静にした。
(ああ、こいつは、気付いてしまったんだな。)

救急車を呼んだのは、それから3秒後のことだ。
その間+++の胸は一度も上下しなかった。

スクリーンが揺れている。
コントラストな映像がちらついて虹彩は収縮を繰り返す。最後列でムービーに臨んでいる私はスクリーンよりも映写機に近い奇妙さを揶揄しつつ笑うこともなしに意識は20m先。きっとこの世はこんなアイロニーで構成されているのだろう。
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