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私はいつまで不自由した生活を送っていくんだろうと思ったけど、自由な生活を送っている人間なんているのかしらね。他人がどうだろうと自分の状況に変化はないから特に関連付けて考えるつもりはないけど。あなたが哀しんでいても私は楽しいし私が泣いていてもあなたは笑っているでしょう?だから私はもうこんな生活したくないの。きっと誰かに救ってもらえるのを待ってるクズ。そんでクズのまま死ぬ。誰も誰かを救うことなんて出来ないのよ。なんて六月は悲観的になる。いつも救ってもらっていることに気がつかない。いつになったら私は満足出来るんだろうか。誤解のないように書いておくけど私は今幸せだよ。幸せだけど、幸せだけど、ああ、まだまだって、足りないよって、だめだだめだね、求めすぎると人間じゃなくなるから、私は「人間に似ているなにか」から早く生まれ変わりたい。どこに行けばいいのかわからない。誰が私を見ていてくれるのかわからない。甘いままの私でいたい。クズだなって言えよ。死んじまえって言え。そんで泣きながら私を愛してくれよ。助けてよ。煤けた世界から私を連れ出してください。

「高尚な精神は低俗な魂の前に破壊される」と彼も言っていることだし、私はそもそも高尚であることになんの興味も関心もありはしない。低俗に堕ちきることこそが人間らしい生き方です。これはS氏のお言葉ですがね。

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興味がないのは形式的な高尚。精神的に高尚でいることが人間として最も充実した生き方だと考えているが、高尚から高尚は生まれないとも考える。極論だけれどね。高尚は(形式的な)低俗の中に生まれる。破壊は創造です。

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でも下劣や下品はキライ。
もちろん苦労もしたくないし辛酸も舐めたくない。
けれど確実に言えるのは、人間は苦悩することから逃げてはならないということ。

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まあ、他人の精神なんてわかりあえるはずもないから下劣や下品の中に堕ちつつも高尚が存在する人間もいるかもしれないし、高みを目指すふりをしていながら精神は本当の意味での低俗に浸りきってる人間も少なからずいるのだろうね。
前者はある意味では最も高尚な人間かもしれない。
後者はある意味では最も人間らしい姿かもしれない。
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