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オートマティック

女と付き合っていた頃、高い所にある物を取るのは当然ながら俺の役目だった。しかし、神と暮らすようになってからはその役目は免除されている。

「牧さーん、これ開けてもらえますか?」

夕食の支度を始めた神が、リビングにいる俺の所に持ち込んだのは大きな蜂蜜の瓶だった。それぐらいだったら神でも余裕で開けられるのでは…という気もしたが、やはり男としては頼られるのは嬉しいので快く応じてやる。

「…っと、これでいいか?」
「あー、ありがとうございます」

大した手間もなく蓋が開いて、黄金色の蜜の表面がゆったりと波を打つ。嬉しそうにそれを受け取った神が、慌ただしく台所へ引き返そうとする背中に声を掛けた。

「何か手伝う事ないか?」

立ち止まり、振り返った神が何かを思案するように宙を見上げる。

「んー、とりあえず今はないですけど…あっ、後ですっごい大事な用事を頼むので、牧さんはちょっと休んでて下さい」
「大事な用事?…ん、わかった」
「―――すっごい大事な用事ですからね?それまで、体力温存しといて下さいね」

謎めいた言葉を残し、パタパタとスリッパの音を響かせて神が台所へ消えて行く。やたら「すっごい」を強調していた事が少しばかり引っ掛かったものの、「体力を温存しておけ」というありがたい仰せに従い、俺はソファーに腰を下ろしてテレビのスイッチを入れた。





夕食の後、食器を洗うのは俺の役目だ。しかし、俺がする事は食洗機に食器を並べ、洗剤をセットしてスタートボタンを押すだけなので「大事な用事」とは程遠い。

コンタクトを外し、眼鏡を掛けた神がソファーに身を沈め、マグカップの茶を啜っている。食洗機が滞りなく運転し始めたのを確かめ、俺もリビングへ足を踏み入れて神の隣に腰を下ろした。

「なあ神、大事な用事って…」

カタン、とカップをテーブルに置いた神が、無言のまま俺の方へ倒れ込んできて俺の膝に後頭部を預けてくる。あまりに突然だったので、状況を飲み込むのにある程度の時間を要した。

「…そういう事か」
「言ったじゃないですか、すっごい大事な用事だって…」

神の屈託ない笑顔を目の当たりにしつつ、短めに切られた前髪や白い額に手を這わせる。まるで猫をあやしているような気分だ。くすぐったそうに鼻を鳴らした神が、眩しげにその目を細めてみせる。

「一日の終わりにエネルギーをチャージする、俺にとってすっごい大事な時間だから邪魔しないで下さいね?」
「ふーん…わかった、じゃあキスしていい?」
「ダ…メです今は、そういうのはまた後で…」

瞬時に頬を赤らめた神が唇を尖らせ、ふい、と視線を背ける。指先で触れた肌が急速に熱を帯びるのを感じたが、わざと気づかないふりで額や耳たぶ、首筋といった辺りを撫でさする。

「じゃあ、こんな風に触ってるのは?」
「んー、それは…まあ、ギリオッケーです」
「そうか。…何か、このまま寝落ちしそうな勢いだけど大丈夫か?寝るならちゃんと風呂入れよ?」
「うー、ちょっと自信ないかも…」

まさに猫のように背中を丸めた神が小さく欠伸をし、今にも蕩けそうな表情のままでゆっくりと瞼を塞ぐ。俺の懸念をよそに、静かに繰り返されていた呼吸音は規則正しい寝息へと変化してしまった。

「仕方ねえな…」

とは言え、可愛い恋人が膝枕でまどろむ姿というのは愛おしい以外の何物でもない。俺は神の顔からそっと眼鏡を摘まみ上げると、それをテーブルに載せる代わりに置き去りにされていたマグカップを取り上げた。少しぬるくなった中身を口に含むと、ほうじ茶の優しい甘味が喉に染み渡っていくようだった。

解説(4)

「0.0025」(2014.10脱稿)

前作「寓話的な何か」の続きであり、3部作の第2弾です。タイトル「0.0025」の由来はUNCHAINの楽曲から。

神の誕生日は何となく11月下旬生まれの射手座っぽいなあ…と考えたら、三島由紀夫の命日(と言うか自害した日)が思い浮かんだので11月25日に決定してしまいました(^_^;)
神は三島由紀夫とかけっこう好きかも知れないけど、たぶん一番好きなのは村上春樹かな。それで毎年、「あー、今年もノーベル文学賞取れなかったよ〜!」とか言ってそうな気がする(笑)。

あと、牧が買ってきたケーキの名前は、もっと小難しい名前にしたくていろいろ検索したのですが、これ!っていうのが見つけられませんでした(´Д`)最近のケーキって割と普通の名前なんですね…いや、普通でいいんだけど…

うちの牧神は、神が高1(入学時は15歳)から10年間密かに牧に恋していて、神としては一生打ち明けるつもりのない思いだったけど、酔った勢いで告ったら牧も神が好きだったって事に気づいてしまい、紆余曲折あった末に付き合う事になったという設定に何となく決定なので(「スウェルター」参照)、神は今はすごく幸せだけど、ふとした拍子に「この幸せがいつまで続くのか」っていう不安にかられると思うんですね。でも、牧は神を一生幸せにすると決めたら絶対にそうしてくれるので、何が言いたいかっつーと「もっと牧に寄りかかってもいいんだぜ神」って事なんですけど…!神、けなげな子…!

そしてこの話は、3部作の第3弾「インターコンチでシャンパン飲んで俺に抱かれろ編」である「ワールド・スタンダード(タイトル決定しました)」へと続きます。これから書くのですが、お察しの通りがっつりエロの予定なので( ̄∇ ̄)少しお時間を頂くかも知れません。こちらをUPする前に、小ネタを一つか二つUP出来れば…と考えております。


いつも当ブログにお越し下さり、誠にありがとうございます。そして拍手もありがとうございます!私がただひたすら書きたい話を書いているだけのマスターベーション的ブログですが(汗)、私の書いた物をどなたかが読んで下さっていると思うだけで心強く、大変励みになります。何しろ牧神は、わかっちゃいたけど超マイナーカプだからな〜(;´Д`)いや、でも全然関係ないです!牧神好きだーっ!もう原作からして夫婦感溢れまくりですよ!そんな牧神をこれからも頑張ってお届けしていく所存ですので、ぜひまた覗きに来て頂けると幸いです。

0.0025

三島由紀夫の命日と俺の誕生日が一緒だ、と言うと必ずと言っていいほど微妙な反応を示されるので、この頃では口にしないようにしている。それを牧さんに話すと、やはり困惑したような眼差しを浮かべながら「それは確かに、あまり積極的に発信するような情報じゃないかもな」と笑われてしまった。

その、11月25日の今日―――と言っても平日なので普通に家で夕飯を食べる事になり、俺は自分の誕生日ディナーのためにサンマをおろしている。俺は、サンマはあくまでシンプルに塩焼きで食うのがベストなのだが、さすがにそれでは「ディナー」とは呼べないだろうという訳で、サンマのペペロンチーノを作ろうとしている最中だった。

「サンマのペペロンチーノって作った事ないけど…まあいいか、適当で」

サンマを揚げ焼きにするのとパスタを茹でるのは牧さんが帰ってきてからでいいとして、あとは適当ミネストローネと適当ブロッコリーのサラダさえ作ってしまえばディナーの準備は完了だった。まあ、平日に家で食う夕飯なんてたいがいこんな物だろう。本音を言えば、俺一人だけだったらそれこそサンマの塩焼きと納豆か何かで済ませている所だ。

「ミネストローネ、明日の朝も食べられるように四人分で作っとくか…」

牧さんは特に好き嫌いはなく、作った物はたいてい何でも美味いと言ってくれるので本当に助かる。それは、一緒に暮らすようになってから良かったと思う点の一つだった。
みじん切りにした野菜やベーコンを鍋にぶち込み、水を張ってコンソメキューブを落とした所で携帯が鳴る。急いで手を洗って手近にあったタオルで拭い、テーブルの上でせわしなく点滅しているそれを取り上げた。

「牧さん?」
『もしもし、神か?今、駅を出た。あと10分ぐらいでそっち着くから』

周囲の喧騒に紛れて届けられる、牧さんの低めの声がひどく心地よい。わかりました、と頷きながら俺はコンロのスイッチを右にひねって点火した。

『ちゃんと、ケーキ屋でバースデーケーキも受け取ってきたからな?何つったっけ、ガ…』
「ガトー・フロマージュ・ド・ショコラです」
『そう、それ』

何かチョコレート味のチーズケーキだよな、といろいろと台無しの事を言われて思わず噴き出してしまう。まあその通りなんですけど、と返しながら、じきにもう一人の家主が帰ってくるという幸せを今さらながらに噛み締めた。

『そっちは大丈夫か?』

それが何を指しているのかはわかりかねたが、とりあえず「大丈夫ですよ」と答えておく。そうか、という相槌の後に「じゃあ、あとでな」と電話を切ろうとした牧さんを慌てて制した。

「待って下さい、あの…もうちょっと話しませんか?」
『うん?まあ、別にいいけど…飯の支度は大丈夫なのか』
「大丈夫です、今、鍋を見てる所なんで」

スープがふつふつと煮え立ち、灰汁を掬う段階になるまでに少し余裕があった。同じ屋根の下に住むようになってからは、当然ながら電話で話す機会というのもほとんどなくなっている。俺はもう少しだけこのイレギュラーな状態を楽しみたいと思い、牧さんの方にも異存はないようだった。

『二十代も後半になりゃ、時間経つの早すぎてあっという間に年食う感覚だろ』
「確かにそうですね…でも、ここ2年ぐらいはすっごく充実してますよ、俺は」
『そうか?』
「牧さんがそばにいるから」

面と向かって言うのは照れ臭い事も、顔が見えなければすんなり口に出来るのも電話のいい所だ。普段はあえて知らせる事もないけれど、これでも牧さんには日々感謝しているのだ。俺を好きになってくれて、俺の気持ちに応えてくれてありがとうと。

『今日はやけに素直だな』
「まあ、誕生日ですからね。一年に一回ぐらいは…」
『何だよ、一年に一回しか素直になってくんねーの?』
「俺はこじれた大人なんで、すみません」

牧さんが小さく笑った直後、往来を走ってきたらしい救急車のサイレンの音がいきなり割り込んできて現実に引き戻される。けたたましいサイレンは次第に遠ざかり、それを黙ってやり過ごしていた牧さんが息を吸う気配が電波を通して伝わってくる。

『ありがとな』
「何がですか?」

まさか「生まれてきてくれてありがとう」などという、いかにも女子が喜びそうなこそばゆいセリフを言うつもりか。まあ牧さんなら言いかねないか、と密かに身構えたが杞憂であり、牧さんからもたらされたのはもっと単純で率直な感謝の念だった。

『一緒にいてくれてありがとな。いや、今までだってずっとそばにいた事には変わりねえんだけど。俺の人生の中で誰かが、ここまでぴったり嵌まったのは初めてだったからさ』
「牧さんこそ、今日は随分と素直なんですね」
『俺はいつも素直なんだ、悪いけど』
「知ってます」

そう、牧さんが常に正直なのは周知の事実だ。良くも悪くも、と付け加えた方がいいかも知れない。だからこそ俺はふと、もし牧さんの俺に対する気持ちがなくなってしまったら―――と想像してしまうのだ。10年間報われない恋をしていて、それがひょんなきっかけで叶ってしまって、果たして本当に平穏が訪れたのだろうかと。

『…また余計な気ぃ回してるだろ』
「わかりますか?」
『わかるよ、お前の事なら何だって…』
「あっ、鍋が噴いてきました」

スープの表面がポコポコと泡立ち、白い灰汁で覆われ始めたのを確認して牧さんの声を遮る。それでも牧さんはまだ何か言いたそうだったが、「すみません、また後で」と口早に断って電話を切ってしまった。俺の方から「もうちょっと話しませんか」と頼んでおきながら、我ながら勝手な仕打ちである事は十分すぎるほどわかっている。

牧さんが家に着くまで正味5分ほどだろう。帰ってくるなり、「勝手に電話切りやがって」と怒られるだろうか。それとも、何事もなかったかのように無言で俺を抱き締めるだろうか。

スープの灰汁を掬う一方で、小房に分けたブロッコリーを電子レンジで加熱する。これは、作り置きの玉ねぎドレッシングと和えるだけなので「サラダ」と呼んではいけない気もするが、俺としてはあくまでサラダと言い張る所存ではある。

―――ガチャリ、と玄関の鍵が開けられる音に全身を強ばらせる。神経を研ぎ澄ませてキッチンから様子を窺うと、ひやりと吹き込んできた外気と共に、ケーキの箱を下げた牧さんが玄関口にその身を滑り込ませて俺を見やった。

「…お帰りなさい」

一旦戻ってコンロの火を切り、恐る恐る声を掛けたが返事はない。それどころか牧さんは靴も脱がず、チェスターコートも羽織ったままでその場に立ち尽くしている。強い、剥き出しの視線だけが俺を捕らえて離さなかった。

「―――牧さん?」
「おいで、神」

ケーキの箱を下駄箱の上に載せ、足元に鞄を置いた牧さんが俺に向かって両腕を広げてくる。俺の胸に飛び込んでこい、というわかりやすい意思表示だったが俺はその場に根付いたように一歩も動けなかった。

「…牧さんの方から来てくれないんですか?」

カラカラに乾いた唇を舐め、なけなしの勇気で抵抗を試みる。しかし牧さんは首を横に振り、俺の横着を決して許さなかった。

「ダメ。お前から来て」
「……」
「いいから早く」

わずかに苛ついた口調で促される。それでも俺が往生際悪く躊躇していると、微かに漏れたため息と共に牧さんの眼差しがほんの少しだけ緩められた。そこで俺はようやく床に張り付いていた足を前に踏み出す事ができ、そうなってしまえばもう、短い距離を全力で駆けつけるのみだった。

牧さんに抱きつき、その首に腕を回して思いきりしがみつく。けっこう強い衝撃になってしまったが、苦もなくそれを受け止める牧さんに動じる素振りはまるでなかった。片手で俺の背中を引き寄せ、もう片方の手は俺の後頭部をやんわりと包み込む。

「誕生日おめでとう」
「それ、今朝も聞きました」
「何回だって言うよ」

大事な日だから、という囁きが優しく耳朶を打ち、体内に溶けていく。もはやそれ以上の会話は不要であり、後はただ、牧さんの唇が触れてくるのを静かに待つのが俺に与えられた役目だった。

解説(3)

「寓話的な何か」(2014.10脱稿)

せっかくなので季節ネタでも…という訳で、ハロウィン@牧神です。神がハロウィンだっつって最大限に譲歩してかぼちゃの煮物を作ったくだりは、吉田戦車の「伝染るんです。」の、「レストランのコック長があまり子供を好きでないため、お子様ランチならぬ『子ランチ』という、すっげー殺伐としたメニュー(麦飯・ニラ・モツのケチャップライスだったり、メザシや「首」と書かれた旗が刺さってたり)を提供した」というネタを思い出しました(笑)。もちろん、神の作ったかぼちゃのそぼろ煮は普通に美味いと思いますが…( ̄∇ ̄)

それにしてもうちの牧は、事あるごとに神を可愛い・好きだと言い過ぎな気がします…でも、本当に可愛いと思ってるから仕方ないんです!牧は正直だから!そしてこの話は神の誕生日当日ネタ「0.0025」、さらには「インターコンチでシャンパン飲んで俺に抱かれろネタ(タイトル未定)」へと続いていきます。まあどっちもこれから書くのですが、「0.0025」は可愛いラブストーリーになると思いますが、インターコンチの方は間違いなくがっつりエロの予定ですのでよろしくお願い致します(°∇°;)

神の誕生日って、公式では特に決まってなかったですよね?まあ牧もだけど…牧はやはり8月生まれの獅子座でしょうか?神は何となくですが、11月下旬生まれの射手座って気がするのでそういう事にしちゃいました。勝手に決めてすみません…(>_<)

ところで先日、娘(2歳)と「おかあさんといっしょ」を見ていたのですが、「やぎさんゆうびん」の歌を勝手に「白ヤギさん(神)からお手紙ついた 黒ヤギさん(牧)たら読まずに(白ヤギさんを)食べた」と脳内変換していました…ふふふ、黒ヤギさんったら…(*´∀`)♪もちろん、「仕方がないのでお手紙書いた さっきの手紙のご用事なあに」の部分は割愛でございます。

寓話的な何か

「今日、何の日か知ってますか?」

夕飯のメニューの一つである「かぼちゃのそぼろ煮」を口に運び、咀嚼して飲み込んだ後に尋ねた。「今日?」と、サンマの塩焼きを食う事に没頭していた牧さんがおもむろに顔を上げ、その眉間に縦皺を寄せる。

「今日って10月31日だろ?…あっ、そう言や今朝のニュースでやってたな…もしかしてハロウィンか?」
「そうです、ハロウィンです。だから…」

箸先で、牧さんの器の中のかぼちゃを指してみせる。牧さんは、器を覗き込んだ姿勢のまましばらく固まっていたが、ようやく合点がいったという風に「あーっ…」と声を絞り出した。

「だからって、かぼちゃの煮物って…後付け感ハンパねえな。それに、どっちかっつーと冬至とかじゃねーか?かぼちゃの煮物は 」
「あー…まあ、そうとも言いますね。じゃあ、冬至の時はかぼちゃの小豆煮にしましょうか」
「まあ、お前が作ってくれる物なら俺は何でもいいけど…」

美味いけどな、と牧さんが箸でかぼちゃを摘まんでパクリと口に放り込む。総じて牧さんの食べ方は綺麗で、それは恐らく育ちの良さから来ている物だと想像されるのだった。今、牧さんの前にあるサンマにしたって清々しいほど身は食い尽くされ、頭と骨だけが残されている。

「あっ、あと、ハロウィンの時に何か言うやつあったよな?お菓子をくれなきゃイタズラするってやつ。あれ何つったっけ、確か…」
「はい」

すかさず、食後のデザートとして用意していた物を食卓に載せる。牧さんの目が驚いたように見開かれ、セロファンにくるまれたどら焼きをまじまじと見つめている。

「何だ?」
「栗どら焼きです。って言うか、お菓子です」
「それはそうだろうな…で?」
「今、『トリックオアトリート』って言おうとしたでしょ?それを言わせないために先手を打ちました」

きっかり数秒の間を置いて、不可解だと言わんばかりの牧さんの声が飛んでくる。

「そ…こまでわかってんなら言わせろよ!」
「嫌です、だって何か恥ずかしいし!だいたい俺は基本的に、日本の風習に合ってないイベントは好きじゃないんですっ。ほんとはどうでも良かったけど、かぼちゃの煮物だって俺的にはめちゃくちゃ譲歩したんですからね!」
「譲歩したのかよ!えー、じゃあクリスマスは?」

牧さんにしてはチープな質問だった。ほらね、やっぱりね、と俺は肩を竦め、我ながらもううんざりだというように大袈裟にため息をついてみせる。

「それも今まで、何百回と聞かれましたよ。クリスマスは好きですよ?日本の風習にすっかり溶け込んでるし、街並みだって綺麗だし…でもね、ハロウィンって無理して盛り上がってる感が何か好きになれないんです。それに…」
「それに?」
「お菓子をあげようがあげまいが、イタズラするんでしょう…?」

思わず口を滑らせてから、激しい後悔に襲われる。次の瞬間、実に満足そうに緩められた牧さんの顔がすぐ前にあった。

「そうだな、するよ?そんなの当然だろ?ここまでお膳立てされてんのに、俺がお前に何もしない訳がねーだろ、悪いけど」
「あっ、開き直りやがった!もー、だから嫌なんです俺はっ…!」
「あー、そういう可愛くない事言う?そうか、お前が嫌なら俺は別に無理強いするつもりはな…」
「えっ?!」

―――しまった、と舌打ちしたが既に遅かった。箸を握り締めたまま、言葉もなく食卓に突っ伏す俺の頭上に牧さんのとどめの一言が振り落とされる。

「俺の勝ちだな」
「……っ!悔しー、牧さんのくせに…!」
「俺に勝とうなんて百万年早えよ」

さらに「もう少し修行積んでこい?」という、ありがたい忠告と共に頭を撫でられる。不思議なもので、そんな簡単な動作一つでつまらない意地はどこかへ消え失せてしまう。何だかんだ言っても、結局は牧さんに頭が上がらないのは今に始まった事ではなかった。

「まあ、こんなのに勝ち負けなんか意味ねーんだけどな。俺は、隙あらばお前に触りたいと思ってる訳だし…」

なっ?と、もう一度わしゃわしゃと髪を掻き回された後に、ゆっくりと手が遠ざかっていくのを気配で感じる。俺はのろのろと顔を起こし、すっかり乱されたであろう髪型を決まり悪く撫でつけた。

「ところで、もうすぐお前の誕生日だよな」
「あー、そうですね…また一つ年取っちゃうなあ」

冷蔵庫の側面に貼られたカレンダーを確認すると、いつの間にか該当の日が赤いマジックで囲まれている事に気づく。牧さんがそうしてくれたのかな、と思うと急に嬉しさと照れ臭さが込み上げてきて、俺はない交ぜになった感情をごまかすように茄子の味噌汁を啜った。

「誕生日当日は平日だから、その週の土日にどっか行かねえか?」
「えー、じゃあ中華街行きたい」

そう言えば最近、足を運んでいなかった事を唐突に思い出す。中華街にはその名も「海南飯店」という有名な店があり、そこの名物である汁なしネギそばが久々に食いたかった。

「中華街な、わかった。海南飯店のネギそばだろ?」
「そうです、当たり。さすが牧さん」
「他には?」
「中華の食材と中国茶が買いたいかな。…あと、江戸清のブタまんが買えれば」

どうせ牧さんが持ってくれるんだから、多少荷物が多くなっても全く問題ないだろう。ピータンに中華麺に餃子の皮にプーアル茶と、買いたい物はいくらでもあった。あとは黒酢とナンプラーと紹興酒も…などと頭の中で算段している俺に向かって、牧さんがとんでもない提案を仕掛けてくる。

「じゃあ、夜はインターコンチにでも泊まるか」
「あっ、いいですね…って、えっ?ええーっ?!」

インターコンチってあの?と、ヨットの帆をかたどったという横浜のインターコンチネンタルホテルの特徴的な形状を宙に描いてみせる。それに対して、牧さんが「そう、それ」とあくまで自然に頷くものだから、俺はもう少しで「あー、やっぱりそっちですか」と納得しそうになるところだった。

「―――やっぱりそっちって何なんだよ、だいたいインターコンチって言ったらインターコンチネンタルしかないじゃん。何言ってんの俺…」
「独り言にしちゃあ声デカすぎるんじゃねーか?すっげー筒抜けだけど…」
「あーっもう!牧さんは黙ってて下さい!何で泊まらなきゃいけないんですか、しかもインターコンチに!」
「だって誕生祝いだから、お前の」

うっ、と喉の奥を詰まらせながら恨みがましく牧さんを睨みつける。もちろん牧さんは涼しい顔でそれを受け流し、腹が立つほど落ち着き払った口調で「まあいいから聞けよ」と言った。

「どうせお前の事だから、中華街で死ぬほど買い物するんだろ?それなら車で行った方がいいだろ?で、夜は酒飲むだろ?そしたらもう泊まるしかねーじゃん」
「…どうしてわかるんですか、死ぬほど買い物するって…」
「わかるわそんなの、誰が見たって…清田が見たってわかるぞ、絶対」

よりによって「清田が見たってわかる」とまで言い切られ、俺のプライドはズタズタに引き裂かれる。ぐうの音も出ないとはまさにこの事か。

「車で行かないか、酒は飲まないっていう選択肢はないんですか…?」
「えー、せっかく中華街行くのに飲まないで帰んの?俺は嫌だ」
「…でも、何もインターコンチに泊まらなくてもいいじゃないですか。今まで、歴代の彼女たちとはそういう所行ったかも知れないですけど…」
「まー、ぶっちゃけ今まではな?」

味噌汁を飲み干し、綺麗に夕飯を平らげた牧さんが箸を置いて椅子に座り直す。いつになく和らいだ表情を浮かべられ、俺はつい嫉妬めいた発言をしてしまった自分を恥じた。

「でも今は、お前としか行く気ねえから。もちろん、これから先もずっと…な?」
「牧さん…」
「だから、当日はホテルにチェックインして、車置いてから山下公園行って、中華街で死ぬほど買い物して、海南飯店で飯食って、ランドマークの展望台で夜景見て、インターコンチでシャンパン飲んでから俺に抱かれなさい。という訳で、この件に関しては以上」
「すっごい完璧なスケジュールだけど、何か二箇所ほど引っ掛かる点があるのは何故だろう…」

特に、インターコンチでシャンパンを飲んだ後の行為に問題があるように思えたが、牧さんに「気のせいだろ」の一言で片付けられ、俺としては黙るより他にない。こんな時、根底に先輩後輩という絶対的な上下関係が潜んでいる事がたまらなく癪に障るのだった。

「一個ぐらい年が上だからって、それがいったい何だっつーんだよ…あームカつくっ…」
「だから、さっきからすっげー丸聞こえなんだって…まあいいや、可愛いから」
「何か言いました?」
「いや、何も。それよりどら焼き食っていい?」

牧さんが栗どら焼きの包みを取り上げたので、慌てて「あ、お茶入れますね」と言って席を立つ。

「ちょっと神、その前に耳貸せ」

牧さんが俺を呼び止め、ちょいちょいと手招きする。何の疑いもなく素直に応じた俺の耳に、牧さんのやけにセクシーな声が吐息と共に流れ込んでくる。

「Trick or Treat?」
「あっ…!」

咄嗟に片耳を押さえて後ずさる。今のは完全に油断していた。呆然とその場に立ち尽くす俺を見て、牧さんは堪えきれないといった様子で肩を震わせて笑っている。

「やられた…今、完っ全に油断してた!もう、ハロウィンも嫌いだけど牧さんはもっと嫌いっ…!」
「ハロウィンと俺を同列に扱うなよ。つーか、ハロウィンより嫌いって…」
「こうなったら絶対、中華鍋や蒸籠やすっげー高い茶器も買ってやるんだから!牧さん持ちで!」
「だから独り言がデカいって…あ、今のは別に独り言って訳じゃねえか」

ほんと面白えなお前、と殊更に慈愛に満ちた眼差しを向けられて俺は腐った。もはや何に対しての怒りなのかを見失いつつあったが、辛うじてお茶を入れる事を思い出してシンクの前に立つ。

茶筒を開けると、俺が気に入っている中国緑茶の茶葉が残り少なくなっているのが目に留まり、あー中華街行ったら100グラム6000円の龍井茶も買わなくちゃ、と今度は独り言の範疇ではなくはっきり聞こえるように呟いた。
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プロフィール
嬉野シエスタさんのプロフィール
性 別 女性
誕生日 5月10日
地 域 神奈川県
血液型 AB型