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考える

プラスとマイナスはお互いに惹かれあう

陰と陽みたいに

磁石のプラスとマイナスをくっつけようとしてもつくのは砂ばかりで彼らはくっつかない

永遠にだ。

プラスはプラス

マイナスはマイナス

弱いものは強いものに惹かれるだろうか?

太陽という名の神が眩しくてソレに触れようとした下等なる人族が焼かれたという神話がある

これもまたプラスとマイナスなのかな?

強いものは弱いものを他の強いものから守る

そんな世界だったらいいのにと願う一方

今の世の中は昔から変わらずきっと

強者は強者、弱者は弱者であるからして

弱肉強食なピラミッド方なのだろう

世の中プラっとよくよく観察してみると

理想の弱きものを守る強者など手に数えて一握りだ。

たいてい弱いものを上から下から横から押し潰す強者達だらけである

でも違う視点で考えてみた。

井の中の蛙という言葉がある

結局強い蛙も弱い蛙も蛙は蛙なんだ

井戸の中から人の手によって引き上げられた蛙はいったいどうなるんだろう?

これぞまさにヒキガエル\(^o^)/

て冗談はさておき

人と蛙ならば当然ヒトが強者である。

そうすると強者の蛙とて手も足も出せずにジタバタとするだけだ。

ちなみにヒトから見たその蛙が強いか弱いかなんてわからない。

だって違う種族だもの。

同じ種族でさえ強いか弱いかなんて定かじゃない。

なので蛙は蛙。

人は人。

では人が恐れるモノはいったいなんだろう?と考える

近辺にいる強者か?

違う。

人が一番恐れるのはこの世にないものと心理だ

『恐れ』とは、『興味』の非対象でもあると考える。

つまり興味のあるものには全てに対して好奇心と共に少なからず恐れという気持ちもセットでついてまわるのだと思うのだ。

好きなもの

嫌いなもの

気になるもの

興味のないもの

悲しいもの

切ないもの

愛しいもの

恐れるもの

煮えたつもの

全てヒトという種ならではの【感情】という機能だ

動物にだって感情はあるという説はまた別の機会にじっくりと考案することにするが今回の考察テーマは【ヒト】である。

感情。

すなわち喜怒哀楽。

これによってヒトは生まれた瞬間から『伝える』事を祝福される。

生あるものは本能で動いている

『考える』という事ができるのは人だけである。

それは喜怒哀楽という煩わしくも神にも勝る素晴らしき感情と思考があるからこそこれによるコミュニティが築きあげられるのだろう。

コミュニティ内では何人もの人が集まる。

しかし人は人でも同じ人はいないだろう。

似ている人はいるだろうけどもまったくの同じ人間に出会うのは到底ムリである

飛行機が落下する確率、宝くじが当たる確率、雷に打たれる確率と同じくらいに己という個はあくまでも単品なのだ。

その単品同士が商品に食品コーナーに陳列しているとしよう。

見た目は様々で味も食感もみんな違うものである。

そのうち似たような味のものは種類ごとに選別されるだろう

例えば

サラダ味とか

卵味とか

がっつり肉味とか

スパイス効いたカレー味とかに

種類分けされた食品という名の人達は同じグループ同士でもやはりまた細かく選別されるとしよう

サラダ味のトマトよりとか

卵ハムとか

肉は肉でもステーキやらハンバーグやら

甘口、中辛、辛口カレーやらと、さらにさらにと細かく選別されていくんだ。


最終的に食われたらおしまい。

食べられたら死ぬ。

つまり

いきつくとこ結局みんな全部

ダストボックスという名の墓場である。

生前にどう美味しくなるかが味なのだと考える今日この頃もう途中で考える事を放棄した業務3分前のアカでござったイミフ!(ノ>Д<)ノ~┻━┻


某シンジ『わけがわからないよ?!』

★イカ

うおおおおおスプラトゥーン楽しすぎるーーーー!!!!♪Ю―(^▽^o) ♪(/^0^)/⌒●~*(o^ O^)シ彡☆(*^▽^)/★*☆♪
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