今回はジョニー・デップ主演のこの映画を鑑賞しました。

もっと古い映画だと思っていたんですが、まだ15年しか経っていないんですね。小学生の頃に見たのですが、その当時の私には“難しい、微妙”という印象しかなかった。その後も何度か挑戦したけれど、どうしても途中でどうでもよくなってしまい、最後まで見れず終いでした。
中盤辺りかな、なぜか話は動いているのにこちらの集中力が途切れるシーンがあるんですよ。いつもはそこで挫折してしまうんですけど、レビューを書きたかったので頑張ってラストまで見たら、思っていたよりいい映画でした。子どもの頃は気付かなかった感動もあった。すごいと思いました。

私はジョニー・デップを評価していない。日本ではなぜか、“役作りがうまくて演じる役ごとにがらっと雰囲気を変える俳優”というイメージが定着してるけど、実はそうでもないんですよね。あれって、メイクや衣装のパワーに頼るところが大きく、実際のジョニーというのは貼り付けたように毎回同じ顔をしてるんです。「そういう顔なのだから仕方ない」というレベルを超えて、とにかく変化がない。彼自身クールな方なんでしょうね。
私はどちらかというと、表情豊かな俳優が好きで、ジョニー・デップは好きになれないんですが、今回はその無表情が大事な要素なんです。ギルバート・グレイプほどジョニー・デップの特色を生かせるキャラはいない。彼でないギルバート・グレイプを想像できない。間違いなくこの映画は、ジョニー・デップの代表作に相応しい。

舞台はアメリカ中西部、アイオワ州エンドーラ。主人公ギルバート・グレイプ(ジョニー・デップ)は、その町に古くからある食料品店に勤めているが、近くに大きな食料品店ができてから客足は遠のいていた。さびれていく一方の店を手伝いながら、他界した父の代わりに家族を支えるギルバート。ちっぽけな家と大きな中身。自由になりたいけれどなれない。
そんな折、町の外から美しい女性がやってくる。彼女はトレーラーハウスで方々を旅して暮らしていた。自由の香りのする彼女にギルバートは惹かれていくが―…。

ライリーちゃまはギルバートの友人・タッカー役。がたの来始めたグレイプ家の様子を、ちょいちょい見に来てくれる技術スキルマックスシム。自分で家を作るって、アメリカではよくあることなのかな。

内容はとても良かったです。ただ、本当に淡々と展開していくので、ちょっと飽きるかもしれませんね。それでも見る価値のある映画でした。
個人的にギルバートの妹エレン(メアリー・ケイト・シェルハート)が良かったです。かわいかった。ラスト直前彼女が、「みんな見に来るわ」と涙するシーンはいいですね。お母さんはそのことで、ショックを受けていたから、彼女の涙に重みを感じた。彼女は作中通して生意気な印象だけど、思春期の子なんてそんなものだし、なんだかんだ家族を思いやる姿勢には好感を持てた。
生きていてくれて嬉しいときもあるけれど、そうでないときもある。家族なんてそんなものだ。それでも精一杯支え合う姿は美しかった。

どんなにアーニー(レオナルド・ディカプリオ)が暴れても暴力は振るわなかったギルバートですが、映画の中で一度だけ、かっとなって手を上げてしまいます。その際の(ギルバートの)拒否反応ぷりったら…。殴られたのはアーニーなのに、殴ったギルバートの方がかわいそうになってしまうほど。
そんなに気にしなくていいのに…と思うけど、これぐらい神経質になった方が親代わりとしてはいいと思う。殴られて育った子は、やっぱり人を殴って生きるもの。躾のためと理由をつけても絶対に許されないこと。自分たちの親の世代が何を言っても、どこかで暴力の連鎖を断ち切らなくちゃ。
やっぱり人間だから、かっとなって手を上げることは誰にだってある。それを、“躾のためだから”とか、“子供が悪いことをしたから”とか、理由をつけて正当化するんじゃなく、戒める。そんなギルバートの姿勢は、私には尊敬に値するものだった。