雨ニモマケズ



風ニモマケズ



雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ



丈夫ナカラダヲモチ



慾ハナク



決シテ瞋ラズ



イツモシヅカニワラッテヰル



一日ニ玄米四合ト



味噌ト少シノ野菜ヲタベ



アラユルコトヲ



ジブンヲカンジョウニ入レズニ



ヨクミキキシワカリ



ソシテワスレズ



野原ノ松ノ林ノ蔭ノ



小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ



東ニ病気ノコドモアレバ



行ッテ看病シテヤリ



西ニツカレタ母アレバ



行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ



南ニ死ニサウナ人アレバ



行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ



北ニケンクヮヤソショウガアレバ



ツマラナイカラヤメロトイヒ



ヒドリノトキハナミダヲナガシ



サムサノナツハオロオロアルキ



ミンナニデクノボートヨバレ



ホメラレモセズ



クニモサレズ



サウイフモノニ



ワタシハナリタイ










現代語に直すとこうなります。


雨にも負けず 風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けず

丈夫な体を持ち

欲はなく決して怒らず

いつも静かに笑っている

1日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを自分を勘定に入れず

よく見聞きし 分かり そして忘れず

野原の林の下の蔭の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行って怖がらなくてもいいと言い

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろと言い

日照りのときは涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

皆にデクノボーと呼ばれ

ほめられもせず 苦にもされず

そういうものに私はなりたい








自分のことだけを考えるのではなく、人を思いやって生きていく素晴らしさは、

今の世の中で見かけることは少なくなってきているのではないかと思います。




そして、この詩には宮沢さん本人のこういう人になりたいとは思っているけど

なかなかなれない自分がいるという、
理想と現実のギャップから生じる葛藤を
強く感じます。



雨ニモマケズには
実はモデルがいたのです。


実は「雨ニモマケズ」にはモデルがいるとされています。



その人の名前は斉藤宗次郎という人。
斉藤さんはクリスチャンなんですが、

この頃と言うのはクリスチャンは迫害されていました。


彼の娘は
エスカレートしたクリスチャンの迫害によって死んでしまいました。



それでも彼は

くじけることなく神に祈り続け、

子供に会ったらアメ玉をやり、
仕事の合間には病気の人のお見舞いをし、励まし、祈り続けました。



彼は雨の日も、風の日も、雪の日も
休むことなく、

町の人達のために祈り、
働き続けたそうです。



彼は「でくのぼう」と言われながらも、

最後までFOR YOU精神を貫き、
彼は花巻を去って

京に引っ越すことになったとき、
駅には自分のことを迫害していたはずの大勢の人が見送りに来ていました。



「御心がなりますように」と神を信じ、人を愛し続け、

当たり前のように人のために行動できる斎藤宗次郎。



こんな人と
関わりを持っていた宮沢賢治は

こういう人になりたいという
願いをこめて、

この「雨ニモマケズ」を書いたとされています。



人という生き物は、自分の身の回りの環境や人にとても左右されます。

尊敬する人がいて、その人の生き様に多かれ少なかれ影響を受けています。



































勝テズトモ 負ケナイ人間ニ

私ハ ナリタイ





YouTube
youtu.be