満月がすっぽりと地球の陰に隠れる
皆既月食が26日午後8時過ぎ、
晴れていれば全国で南東の低い空に見られます。




日本で観察できるのは2018年7月以来
約3年ぶりで、今回は1年で最も大きく見える満月「スーパームーン」と重なります。




天気予報では北日本や東日本は晴れるところが多く、雲の動き次第では赤黒く輝く満月を楽しめそうです。





国立天文台によると、
月は午後6時44分から欠け始め、
午後8時9分から28分の約19分間、
完全に地球の陰に隠れる皆既食となります。




地域によって「月の出」の時間が異なるため、
西日本などでは欠けた状態で月が昇ってきます。



スーパームーンは
1年で最も小さく見える満月と比べ、
見た目の直径は約14%も大きい。




日本で見られるスーパームーンの皆既月食は
1997年9月以来約24年ぶり。 




次は2033年10月まで見られない珍しい天体ショーとなる。スーパームーンではない皆既月食を次に日本で観察できるのは22年11月。





 皆既月食が赤く見えるのは、
地球を回り込んで月に届くわずかな太陽の光のうち、波長の短い青い光は大気を通過する際に散乱し、波長の長い赤い光だけになるからだ。




この時の赤黒い月の色は「赤銅色(しゃくどういろ)」と呼ばれております。




古来、夜空に浮かぶ月は人々にとって愛でる対象だったのですが、昔の人びとは月食という現象に何を感じたのでしょうか。実は日本の中世では、忌(い)むべき対象とされていたのです。




九条兼実の日記『玉葉』や鎌倉時代の歴史書
『吾妻鏡』には、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて起こった月食の記事が多くあります。






当時の人びとは月食を

「何か良からぬことが起こる兆し」

だと考えていたようです。




例えば、九条兼実は月食のときには、
「一字金輪法」や「愛染王法」
(密教の修法の一種で、人に何か悪いことが起きるのを止めるためのお経のようなもの)をひたすら唱え、月を見なかったと言います。




また、鎌倉幕府初代将軍の源頼朝は、
月食を理由にわざわざ御家人の家に泊まったこともあります。これは月食の光を避けるためだったようです。




ただし、その際に頼朝は酒宴を催していますので、その実、月食は単なる口実だったのかもしれません。いずれにせよ、それが口実として成立していたわけですから、月食が忌むべき対象だったことは事実のようです。




そもそも『玉葉』や『吾妻鏡』では、「月食」ではなく、「月蝕」と表記してあります。「食」が単にものを食べるという意味であるのに対し、「蝕」は蝕(むしば)む、つまり端から少しずつおかしていくという意味になります。このような表記をしていたことからも、人びとが月食を良いものとして捉えていなかったことがうかがえます。




平安時代末期の歌人西行も歌に残しています。「忌むと言ひて 影に当らぬ 今宵しも 破(わ)れて月見る 名や立ちぬらん」--『山家集』よりこの歌は「世間の人々は月蝕は不吉だと言って光にも当たらないようにしているが、私はそういう月であればなおさら、無理をしてでも見ようとする。奇人変人の悪い評判が立たなければ良いのだが」という意味になります。





西行にとっては、月食も好奇心からつい見たくなってしまう対象だったようですが、この歌からも世間では月食が忌まわれていたと言えるでしょう。現代に生きる私たちは月が地球の影に入ってしまう現象であることを知っていますが、
あえて昔の人びとの思いを巡らせながら、
月食を楽しむのも興趣ではないでしょうか。












わがこころ いつしか和み あかあかと 
冴えたり月の のぼるるを見たり


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