大家
たいへんな人だなあ



...この人通りを見て、
考げぇたんですけどねぇ...


大家
なにを?



これだけの人から一銭ずつもらっても
大変なものですぜ


大家
おぃ、
そんなみみっちぃことを云うもんじゃぁねぇ。
もっと大きなことを云えねぇか!?



大家さんッ!


大家
な、なんだ?



しばらく札で鼻をかみませんねぇっ


大家
よせよ、下らないよ。
通る人が笑ってるじゃぁねぇか。
しょうがねぇなぁ、ったく...
それ、上野だ。
みてみろ、きれいに咲いてるじゃぁねぇか 



あぁ、こりゃぁいいや


大家
さあ、
このすりばち山の上の方が見晴らしがいいぞ



いや、なるべく下の方へ行きましょうよ


大家
下の方?



下の方がいいですよ、下の方。な、みんな



そうそう


大家
どうして? 
下の方はほこりっぽくていけねぇ



いゃぁ、ほこりなんざどうでもいいんですよ。
それよりね、上の方で本物を呑んで、
食ってるでしょ。ひょっとしたら何かの拍子に、
うで卵か何かが転がってこないとも限らねぇ..


大家
そんな賤しいことを云うんじゃぁないよ...
まぁ、どこでもいいや。
おめぇたちの好きなところへ毛氈を敷きな



も...へっ、そうそう。毛せんでした。
毛せん、どこ行った?



おぃ、見ろよ、毛せんの係りを...
あんなとこへ突っ立って、
本物呑んでんのをうらやましそうに見てるぜ。
見てたってしょうがねぇじゃぁねぇか...
おーぃ、毛せん! 毛せんだよ! 
おぃ、毛せんを持って来なよ! ...
ぜんぜん、気がつかねぇ



だめだめ。そんなんじゃぁダメだよ...
いゃ、だめなんだよ。
本人は毛せんなんぞ持ってる了見じゃぁねぇんだから...

おーい、毛せんのむしろ、持ってこい!


大家
おぃおぃ、
毛せんのむしろたぁなんてぇ言い草だ?



だって、
そう云わなくちゃ気がつきませんから...
ほらほら、持って来た


月番
すいません。いえ、ね、あすこで、
あんまりうまそうに本物やってるもんですから、
つい...



こっちだって、始まるんだよ。
がぶがぶのぼりぼりが...


大家
よせよ、そんなことを云うもんじゃぁないよ。
さぁ、毛氈を敷くんだ...おぃ、どうするんだ、こんなに細長くならべて敷いて...


月番
こうやって、一列に坐りましてね、
通る人に頭を下げて...


大家
なにを云ってんだよ。
物乞いの稽古をしてどうするんだよ。
みんなでまぁるくなって坐れるように敷かなきゃいけねぇじゃぁねぇか...

そうだ、そうだ。それでいいんだよ。
じゃぁ、さっそくお重と一升瓶を真ん中に出して、湯飲み茶碗はめいめいが取るんだ。

さぁ、
きょうはおれのおごりだと思うと気詰まりだろうから、ンなこたぁ忘れて、遠慮なくやってくれ



だれがこんなモノ、
遠慮して呑むやつがいるもんか...


大家
なにィ?



いぇ、こっちのことで...


大家
さぁ、幹事、ぼんやりしてちゃぁいけねぇ。
どんどん酌をして
回らなきゃいけねぇじゃぁねぇか


月番
へ、へい、じゃぁ留さん、いっぱいいこう



そ、そうかい? 
じゃぁ、ついでもらおうか...
ほんのおしるしでいいよ。
ほんのおしるしで...お、
っとっとっと...とっと..も、もういいよ! おぅ! おしるしでいいってぇのに、
どうしてこんなにつぎゃぁがった! 
おれが茶碗を引いてるってぇのに、
おめぇ、グィグィ押し付けて注ぎやがったな! 
おぅ、おめぇ、
おれに何かうらみでもあるのか? 
覚えてやがれ、べらぼうめ!


大家
なんだな、いっぱい注いでもらったら
喜ばなくっちゃぁいけねぇじゃぁねぇか



喜べって...
冗談じゃぁねえや...
あっしゃあ小便がちけぇから、
あんまり湯や茶はやりたくねぇんで...



おう、おれにくんねぇ。
さっきから喉が渇いてしょうがねぇんだ...
うん、うん...なるほど、
へへっ、こりゃぁ色だけは本物そっくりだ。
これで呑んでみると違うんだから情けねぇなぁ.
ねぇ、大家さん


大家
なんだ?



大家さん、いい酒ですねぇ


大家
そうか。
そりゃぁ嬉しいことを云ってくれるじゃぁねぇか



こりゃぁ宇治ですか?


大家
酒が宇治てぇことがあるか。
灘だよ。灘の酒だとお云いよ



いゃぁ、これだけの酒ともなると、
宇治にちげぇねぇや


大家
さぁ、酒らしく、
一献けんじましょうか、くれぇのこと、
云ってみな



じゃぁ、勝っちゃん、一献けんじよう



いゃぁ...献じられたくねぇ



おぃ、断るなよ。みんな呑んだんじゃぁねぇか。おめぇひとりだけ逃れようったって
そうはいかねぇ。
これもすべて前世の因縁だと思って、
諦めて...南無...


大家
おぃ、妙な勧め方するなよ



一献けんじよう、紙くず屋の大将


大家
それを云うなら、紙屋の大将と云いな。
聞こえがいいじゃぁないか



そうですかねぇ...
おぅ、紙屋の大将! ...
クズの方の...


大家
それじゃぁおんなじじゃぁねぇか



さぁさぁ、どんどんやっとくれ。
そっちの猫の皮剥きの親方


大家
そう、いちいち商売を云うなよ...
さあ、どんどん遠慮無しにやってくれ。
おい、亀さん、お前、さっきからみてるけど、
ほんのひと口しか呑まないな。どんどんおやりよ



いゃ、あっしゃぁ下戸なんで...


大家
そんなこと云わずに、やってごらんよこの酒はいい酒だから下戸でも呑めるから



えぇ...あっしゃぁふだん、
あまり冷てぇのをやらないんで


大家
そうかい? 冷やはやらねぇのかい?



ええ、いつも焙じたのをやってるんで


大家
酒を焙じてどうするんだよ...
辰っあん、お前さんもやんな



下戸です!


大家
下戸なら下戸で、食べるものがあるじゃぁないか



...一難去ってまた一難ときたか...


大家
なにぃ?



いぇ、なんでもねぇんです...え? 
卵焼きですか? 
あっしゃぁね、このごろすっかり歯が悪くなっちゃって、この卵焼きはよく刻まねぇと、
食べられねぇかと...


大家
卵焼きを刻むやつがあるもんか...
じゃぁ、寅さん、おまえさん、肴はどうだぃ?



じゃぁ、その白い方を下さい


大家
色味で云うなよ。かまぼこなら、かまぼこと、
大きな声で云いなよ



じゃぁ、その...でこぼこを


大家
でこぼこってぇやつがあるか! 
そら、かまぼこだよ。少し厚めのをやるよ



へぃ、すいません。あっしゃぁねぇ、
このかまぼこが好きでしてねぇ


大家
そうかい、そりゃぁよかった。
そんなに好きかい?



えぇ、なにしろ、毎朝、千六本に刻んで、
おつけの実にします、へぃ。
それに胃が悪いときにゃぁ
かまぼこおろしにして...


大家
なんだィ?



このごろは練馬の方へ行きましても、
すっかりうちが建て込んじまって、
かまぼこ畑が少なくなりやしたねぇ


大家
かまぼこ畑なんてぇものがあって堪るか!



でもね、あっしゃぁ、どっちかてぇとかまぼこの葉っぱを浸しにして...


大家
いい加減にしな! 
ばかばかしい、早く食べちまいな!



へぃ...う、こ、こりゃぁ、
漬けすぎてすっぺぇや


大家
酸っぱいかまぼこがあるか...
お前はもういいよ! 竹さん、おめぇさん、
なんかやりなさいよ



すいません、じゃぁ、卵焼きをひとつ...


大家
うまいなぁ、向こうのやつが
こっちをヒョィと見たよ...へへっ、
じゃぁひとつ、卵焼きらしく、音を立てねぇように食べておくれ



えっ? 音を立てねぇで?こりゃぁ驚いたねぇ、
この卵焼きを音を立てずに食うのは至難の業..


大家
そこをひとつ、やっとくれ、と頼んでるんだ。
さ、やっとくれ



そこをひとつ、ったって...おぅっ...
あむっ...う、うぐうぐっ...
うぐぐぐっ...



おい、竹さん、どうした、しっかりしなよ



かわいそうに、卵焼きを丸呑みにして、
喉につっかえたんだよ。
背中をひっぱたいてやりな。どーんと、ひとつ



そーれ! (ドン、ドン)
竹さん、しっかりしろい!



あー...フワァ...た、助かったぁ...
みんな、卵焼きは気をつけろ、
これを音を立てずに食うのは命懸けだぜ


大家
さぁ、酒が回ったところで、
威勢良く都都逸でも始めな



...冗談じゃぁねぇや...
これで唄なんか唄ってりゃぁ
狐に化かされてるようなもんだ...


大家
おぃおぃ、
いちいち変なことを云ってちゃあいけねぇなぁ。
お花見なんだよ。なんかこう花見に来たようなことをしなくちゃぁ...そうだ。
六さん、お前さん、俳句をやってるそうだな。
どうだ、花見に来たような句をよんでくれねぇか



そうですねぇ...花見の句...どうです、
「花散りて 死にとうもなき 命かな」てぇのは?


大家
なんだか、寂しいなぁ。他には?



では
「散る花を なむあみだぶつと いうべかな」


大家
なお陰気だよ



なにしろ、
がぶがぶのぼりぼりじゃぁ陽気ンなりようがねぇ


大家
愚痴を云っちゃういけねぇなぁ...
誰か陽気な句はないかい?



大家さん、いま作った句を書いてみたんですが、
こんなのぁどうでしょう


大家
おぅ、勝っあん、できたい? おぉ、お前さん、
矢立てなんぞ持って来たとは、風流人だねぇ。
いや、感心したよ...
どれどれ、「長屋中...」、うんうん、
長屋一同の花見てぇことで、
長屋中と始めたところは嬉しいねぇ。
「長屋中 歯を食いしばる 花見かな」 え? 
なんだって? この「歯を食いしばる」てぇのはいったい何なんだい?



なーに、別に小難しいこたぁねぇんで、
あっしのウソ偽りのねぇ気持ちをよんだまでで.
まぁ、早い話しが、どっちを見ても本物を呑んだり食ったりしてるでしょ。
ところがこっちは、がぶがぶのぼりぼり...
あぁ、実に情けねぇ、と思わずバリバリッと歯を食いしばったという...


大家
おいおい、止めとくれよ。だいいち、周りの連中だって、なにを食ってるか分かりゃぁしねぇぜ。
あんな顔したって、どこもおんなじようなもんだ



へっ、ンなこと云ったって、こうこで番茶なんぞ呑んでるやつが他にいてたまるけぇ...


大家
おいおい、どうも弱った連中だなぁ。
おめぇたちはどうも心構えが後ろ向きでよくねぇ。気分直しに、今月の月番、
景気良く酔っ払っとくれ


月番
えっ!? 酔うんですか? 
酔わねぇふりをしろってんならできますけどね、
酔ったふりなんて、
考げぇたこともねぇから...


大家
そこをひとつ、まげて酔っとくれ。
あたしゃ別に恩を着せる気はねぇが、
お前さんの面倒はずいぶんみてるはずだよ


月番
へぃ、そのとおりでござんす。
大家さんにそう云われちゃぁ、
あっしゃぁ一言もありません。
一宿一飯の恩義に絡まれて、
あっしゃぁ酔わせていただきます


大家
まぁ、ご苦労だが、ひとつ頼むよ。
威勢良く酔っ払って、
べらんめぇかなんか云っとくれ


月番
へぃ、それじゃぁ、大家さん


大家
なんだい?


月番
さて、つきましては...酔いました。
えぇ、改めまして...べらんめぇ


大家
なんだい、そりゃぁ...
そんな酔っぱらいがあるもんか...
じゃぁ、来月の月番、おめぇも幹事だろう。
さぁ、うまいところ酔っとくれ



いやなときに幹事になっちゃったなぁ...
へぇ、そりゃぁ幹事の役目でござんすから、
酔えとおっしゃられれば、酔いますけど、
なにぶん手ぶらじゃぁ酔い難いや...
その湯飲み茶碗を貸してくれ...
さぁ、酔ったぞぉ、あぁ、酔ったとも!


大家
その調子、その調子



おりゃぁ酒呑んで酔ったんだぞ! 
番茶で酔ったと思うかぁ、ふざけるねぇ!


大家
余計なことを云わなくていいよ



いゃぁ、断らなきゃぁ気が違ったと思われちまいますから.さぁ、酔っぱらった。酔っぱらった。
すっかりいい気持ちになってきたぞ。
こうなりゃぁ地所でも売り飛ばしちまおぅ


大家
いいねぇ、景気がいいよ。
しかし、地所なんぞあるのかい?



...ガキのこさえた箱庭が...


大家
しまらねぇなぁ、云うことが...



さぁ、酔った! 貧乏人だ、
貧乏人だとバカにすんねぇ! 
借りたもんなんざぁ
どんどん利息をつけて返してやらぁ!


大家
いいぞ、いいぞ



ほんとだぞ、大家がなんでぇ! 
店賃なんざ払うもんけぇ!


大家
悪い酒だなぁ...どうだ、いい酒だろぅ。
えぇ? 酒がいいから、
いくら呑んでも頭に来ないだろ?



頭にゃぁ来ないけど、腹がダブついて...


大家
どうだ、酔っぱらった心持ちは?



酔った心持ち? ...


大家
でもおめぇは感心だ。
よく酔ってくれた。長屋の連中の手本だ。
おぃおぃ、みんな、
どんどんとお酌してやっとくれ



さぁ、こうなりゃぁ、
みんなのぶんもまとめて面倒見るから、
どんどん注いでくれ! 
おっとっと、ずいぶんこぼしちまった...
もっとも、
こぼしたって惜しいような酒じゃぁねぇが...
さぁ、呑むぞ、
あっ、大家さん、大家さん... 


大家
なんだ?



近々、
うちの長屋にいいことがありますよ、きっと..


大家
おぅ、嬉しいねぇ。
そんなことがわかるかい?



わかりますとも


大家
どうして?


茶碗の中を覗いてご覧なさい。
酒柱が立ってます