水脈 1st 完


十人寄れば気は十色、と申します。
お顔の形が違いますように
皆さんそれぞれに心持ちというものが違ってございます。


あなた、どちらからおいでで?品川? 
はー、あたしも品川ですよ。
奇遇ですねぇ。

おひとりでやってらっしゃる?
そうですか。
どうですか、お近付きの印に、
一献...


あ、そうですか...へへへ、
あたしも嫌いじゃない方ですんでね、へい、じゃ遠慮無く...(グイッ)

あぁ、あなたいい酒呑んでますねぇ。
うらやましいねぇ、どうも。
じゃ、まぁ御返杯



なんてやったりとったりしているうちにもうすっかりお友達ですな。



 そこへいきますと、
どうも、ぼた餅をやったりとったり、というのはいけませんな。


どうですか、お近付きの印に、一個。
ぼた餅、噛りかけですけど...

これはどうも
具合が悪うございますが、

ま、人それぞれに違いがあるからこそ人生面白いのでございましょうな。


兄貴分
おうおうおう、なんだなんだ、表が騒がしいじゃねぇか? 
なんだ、長太じゃねぇか。
蒼い顔して駆けてくるぜ、
おい、
長さん、こっち入りねぇ!


若い衆
ひぇーっ、はぁっ、はぁっ、
驚れぇたぁ...


兄貴分
なんだよ、えらい汗だねぇ、
どうしたってんだ、いったい?


若い衆
す、すまねぇ...
水、いっぱい飲ませてくれ...
お、おぅ、ありがとよ...
(ゴクッ、ゴクッ...)
ふぁーっ、やっと落ち着いた...


兄貴分
どうしたよ、
何かあったのかよ、長さん


若い衆
どうしたもこうしたもねぇや、おぅ、なんだか
大勢集まって来やがったなぁ、
いいか、おれの話を聞いて驚くなよ

 おれぁ、今、この町内のお湯屋の裏路地を抜けてきたんだけどさ、

おめぇらも知ってるだろう、あの路地は大家んちの植込みが伸び放題で、
湯屋のひさしとに囲まれて昼間でも薄暗くってじめじめしてらぁ。

おれぁ、なんとなく陰気臭せぇ、
薄っ気味の悪い思いがしてよぉ、
さっさと通りすぎちまおう、とスタスタっと足を速めたと思いねぇ。


その時だ、フと気がつくと、暗がりの奥から、まるで路地を吹き抜けてくる風の音みたいな声が

『長さん...長さん...』


おれの名を呼んでるじゃねぇか...ところが振り返ると誰もいねぇ。
気のせいかな、と思って歩き出すと
また



『長さん...長さん...』



...振り返っても誰もいない。
そんなことを二度、三度と繰り返して、もうこれが最後、とギッ、と振り返ると...そこに...



いたんだよ...



若い衆 さ...さようなら





兄貴分
こらぁ、そこのやつらぁっ、
捕まえろ! 
いいか、逃げるんじゃねぇぞ、
てめぇら! 

ここまで聞いたら付き合いだ。
最後まで聞きやがれ。
そ、それで、長さん、

だ、誰だったんだよ



若い衆
誰がじゃねぇんだよ、

こう、ズズーッと長いのがグルグルッととぐろを巻いて、鎌首をヒョィッと持ち上げてさぁ...
赤い口をパクッと開けて
青い舌をチロチロッと...

兄貴分
...そりゃぁ
...おめぇ、ヘビじゃねぇか?


若い衆
じゃねぇかじゃねぇや、
ヘビなんだよ! 
そりゃぁおっかねぇのおっかなくねぇのったらねぇや! 
ヘビの野郎、おれへ向かって
『おいで...おいで』って
手招きして...



兄貴分
ウソつきやがれ! どこの世界に手招きするヘビがいるんだよ。
まったく、さんざん人を脅かしといてヘビ!? 
ったく、臆病だねぇ


若い衆
そんなこと言ったってさ、
おれはガキの時分からヘビは
大の苦手なんだ。

ヘビだけじゃねぇ、鰻、どじょう、
めめず (めめず:ミミズ) 、
とにかくなげぇものは
何だって苦手なんだ


兄貴分
そのくせ名前が「長太」か?
若い衆 だから、名前を呼ばれるってぇとぞっとするんだ


兄貴分
だらしがねぇなぁ、ったく...
ま、人間、偉そうなこと言ったってひとつくれぇ嫌いなもの、恐いものがあるってぇのが正直な話だ。

おぅ、春さん、
おめえさん、何が恐い?


若い衆
え? おれか? 
へへっ、そう、面と向かって聞かれると決まりが悪いけど...
ま、カエルだな


兄貴分
へぇ、市さんは?


若い衆
ナメクジ


兄貴分
なんだよ、ヘビから始まってカエル、ナメクジかい? 
三すくみ が揃っちまったな。

忠さん、お前さんは?


若い衆
オケラ


兄貴分
そりゃ妙なものが恐いんだな

若い衆
オケラをばかにしちゃいけないよ。
人間、オケラになっちゃお終いだよ。

第一、オケラは人の言葉が分かるんだ。

あれは去年の夏の終わりのことだったなぁ...

近所の子供がおれんところにオケラを持って来てさ、『おーけらおけら、忠さんのちんちん、どのくらい』って
聞いたんだよ。

そしたら、オケラの野郎、
『このくーらい』って、手でこうやって...オケラの野郎...どこで見てたんだ...


兄貴分
おい、おめえの持ちモノは
ホントにそんな小せぇのか? 
情けねぇなぁ...

で、隣は? 
おめえさん、どうだい?


若い衆
クモ。やだねぇ、あれは。
ところ構わず巣を張ってさ、
ああやって待ち伏せしようってぇ
了見が許せねぇ


兄貴分
怒ってるねぇ。

で、隣は?


若い衆
ウマ。曲がり角からあの長い鼻面が出てきたら、誰だって腰を抜かすぜ


兄貴分
抜かさねぇよ。

そっちは?


若い衆
アリ


兄貴分
な、なんだと?


若い衆
アリ


兄貴分
アリだと? 
ウマの次はアリか? 
こいつはやけに小さくなりやがったなぁ。
なんだってアリが恐いんだよ


若い衆
いや、おめえはアリ一匹だけを考えるからそんなことを言えるんだよ。
いいかい、アリってぇのは何かってぇと行列をつくってさ、こう、何だか知らないけどお互いにツラ同士突き合わせて、ゴジョゴジョ、ゴジョゴジョ言ってやがるンだよ。

おれ、あれ見るとさ、いったいおれのことでどんな悪口言ってやがるんだろうって...
それ考えると夜も眠れねぇ...


兄貴分
ずっと起きてろ! くだらねぇこと心配してるんじゃないよ! 

おい、その隣で脇向いてタバコ吸ってンの...源さんじゃねぇか。

お前さんは何か恐いもの無いかい?


源さん
...ん? ...恐いもの? 
ヘッ! 無いね。

恐いものなんざ、ねぇよ


兄貴分
そ、そんな言い方しなくたっていいじゃねぇか、
みんなで楽しくやってんだから...

付き合いってものがあるじゃねぇか。オケラが恐い、アリが恐いってみんなで言ってんだからさ、お前さんも何かあるだろ、言ってごらんよ


源さん
何を言ってやがるンでぇ! おぅ!! さっきから黙って聞いてりゃぁ
何だ!? だらしがねぇ、アリが恐いってヤツぁどいつだ? 

おう! 
てめぇ、ちょっとは恥を知れ、恥を。
いいか、人間は万物の霊長ってんだ。
動物の中で一番偉くて一番賢いのが人間様だ。それが何だ? 

ヘビが恐い、ナメクジが恐い、オケラが恐い、挙げ句の果てにアリが恐いだぁ? 笑わせるなってんでぇ!!


兄貴分
たいそうな啖呵を切るじゃねぇか。
源さんにゃ恐いものは無いのかい? 
ヘビとか、クモとか


源さん
おぅ、ヘビを見たらゾクゾクすらぁ


兄貴分
ほら、やっぱり恐いんじゃねぇか


源さん
ヘッ! 食いてぇンだよ


兄貴分
食う?


源さん
当たり前よ! 場違いな鰻なんぞ食うよりよっぽど旨めぇや!


兄貴分
カエルは?


源さん
ありゃぁトリ肉に似てタレを付けて
焼くと旨めぇ


兄貴分
あ、これは聞いたことがある。
土地によっちゃウシガエルなんてのを食うそうだ


源さん
当たりめぇよ、
ナメクジが恐いってヤツ、
よく聞いとけ。

ナメクジにきな粉を塗して食ってみろ。葛餅よりずっと旨めぇんだ。

クモなんぞ、納豆に混ぜて食うと糸の引き様が全然違って旨めぇの旨くねぇのったらねぇぜ。
ウマはな、馬肉と言ってな、刺し身で食うと旨いんだ。
おれはな、四つ脚のあるものは何だって食うんだ...と、もっとも、
『本当に食うか』って櫓炬燵(やぐらこたつ)を持ってきやがったやつがいたが、こういう当たる ものは食えねぇ


兄貴分
...俺達は落語を聞いてるんじゃないんだよ...


源さん
アリが恐いってやつ、あんなものは
ゴマの代わりに赤飯にパラパラふって食うと、酸味が利いて旨いんだ。
ただ、ゴマが動いて食いにくい


兄貴分
そりゃ食いにくいだろうよ...


源さん ヘッ! この通りよ! 
こちとら恐いものなんざねぇんだ! 
なんでも持って来やがれ
...ってんだ
...あっ
...な、何でも
...ほ、本当だぞ
...恐いものはねぇ
...や
...


兄貴分
な、なんだよ、その「あっ」てのは。
ちょっと調子が変わってきたねぇ


源さん
い、いや...ちょっと、イヤなものを思い出しちまってな...


兄貴分
何を


源さん
いや...
実は恐いものがあったんだ...


兄貴分
なんだよ、散々啖呵切っといて、
いまさら...


源さん
いや、実はおれにもあったんだよ。
いや、つい勢いで啖呵切っちまったけどさ、思い出しただけで寒気がしてきた...
ああ、脈が早くなってきた...
む、胸が苦しい...
ウウッ、持病の癪が...


兄貴分
なんだよ、
急に情けなくなっちゃったな。で、
なんだよ、その恐いものってのは。

言っちまいなよ、そのほうが気が楽になるぜ


源さん
おれの...
恐いものは...
ま...

まんじゅう...


兄貴分
ま...んじゅう? ってのはどんな虫だい?


源さん
虫じゃねぇ、食う饅頭なんだ


兄貴分
食う饅頭? あれか? 
あの、手のひらに収まるくらいで、
丸くって、薄い皮があって、パカッと割ると中にアンコガ...


源さん
よ、よしてくれよ...
饅頭と聞いただけでコワイってのに、
割るとアンコが入ってるなんて...


兄貴分
へぇ、
変わってやがんねぇ、じゃあれか? 
唐饅頭とか、
栗饅頭とかも恐いのかい?


源さん
や、やめてくれぇ! 
いい饅頭になればなるほど恐い!


兄貴分
へー、そんなもんか?


源さん
気分が悪くなってきた...
隣の部屋で休んでいいか?


兄貴分
ああ、そうしねぇ。おぅ、
おめぇ、布団敷いてやんな...
どうだい、源さん、医者呼ぼうか?


源さん
いや...それはよしてくれ...
饅頭で寝込んでるなんて知られたくねぇ...
横になってりゃじきに治る...


兄貴分
なんか薬でも飲むかい?
源さん いいよ、心配しなくても


兄貴分
そうかい、じゃゆっくり休みな...

おい、聞いたか、源の字、源公、あのざまだ。あんな嫌なヤツはいねぇよ、
おれたちが右ってぇと左、
左ってえと右。白いって言えば黒い、
黒いってえと白いってんだ。
「皆で集まって呑もうか」ったって、
「ヘッ」の一言で、一度だって付き合ったことがねぇじゃねぇか。
お前たちだってオケラだのアリだのが本当に恐いわけがねぇじゃねぇか。
みんな付き合いで言ってんだ。
それを言いたい放題言いやがって


若い衆
いや...
おれはホントにアリが恐い...


兄貴分
おめえは帰れ! とにかくだ! 
あの野郎、散々偉そうな啖呵切りやがって、『人間は万物の霊長』だってやがって、
挙げ句の果てに饅頭が恐いだと? 
笑わせるねぇっ!?


若い衆
どうだろうね、ここらであの野郎をギャフンと言わせるためにさ、饅頭買ってきてあいつの寝てる枕元に山積みにしてやろうじゃねぇか


兄貴分
そいつぁ面白れぇや! 
乗ったよ、その話!


若い衆
よしなよ、饅頭のことを思い出しただけであんなに蒼くなって寝込んじまったんだよ、饅頭を見せてごらんよ、
死んじまうよ


兄貴分
いいよ、死んだって...
いいんだよ! 世のため人のためになるヤツじゃないんだ。死ねば喜ぶやつが大勢いるはずだ


若い衆
でもさ、饅頭で殺したから
「餡(暗)殺」だなんて...


兄貴分
いいねぇ、アンサツなんて...
よーし、源公に永年の恨みを晴らしたいヤツは早速銭をはたいて饅頭を買ってこい! 
いろんなのがあった方が面白いや!







ずいぶんと揃ったねぇ...
唐饅頭に田舎饅頭、蕎麦饅頭、栗饅頭に腰高饅頭、葛饅頭、中華饅頭、豆大福...大福ってのは饅頭か? 
まぁいいや


よーし、
この饅頭を全部盆の上に載せて、
このままヤツの枕元に持っていこうじゃねぇか。で、ヤツがキューッと参っちまったところですぐに医者を呼んで来ておくれよ。
ホントに殺しちまったらこっちが警察に引っ張られて面白くねぇからな。
いいかい、
石屋じゃないよ、医者だよ。
墓を建てようってんじゃないからね。
石屋は早すぎますよ...


そうだ、
今のうちに湯を沸かしといておくれ。
何でって、野郎が片付いたらみんなで茶を飲みながら饅頭食おうってんだよ


若い衆
おれに葛饅頭をひとつおくれよ


兄貴分
おい、意地汚いねぇ。
野郎を片づけるのが先だよ


若い衆
いや、食おうってんじゃないんだ。
葛饅頭って柔らかいからさ、野郎の頭に思いっきりぶつけてやったらさ、
おでこに張り付いて
『うぎゃぁっ、饅頭に食いつかれたぁ』なんて右往左往...


兄貴分
お、いいねぇ、
その右往左往ってのが。じゃ頼むよ、
葛饅頭。

じゃ、ひのふのみ、で襖をあけとくれ、枕元へスッと置くから。
それから葛饅頭のうぎゃぁ、で右往左往だよ。いいかい、

ひの、ふの、みっ


若い衆
どうだい?


兄貴分
いや、布団被ってガタガタ震えてて、
様子がわからねぇ...

源さん...

源さん、どうだい...


源さん
なんとか、
動悸は治まったようだが...
まだ寒気がして...
なにやらうつつとなく幻となく...
饅頭が目の当たりにあるような
気がして...


若い衆
虫が知らせたのかねぇ...
目の当たりにあるような気がするとよ


兄貴分
へへっ...源さん、俺達はあっちの部屋でいるけどさ、ちょっと起きて、目の当たりに見たらどうだい


源さん
うるせぇな、まったく。
起きて、目の当たりに見ろだと...


薬でも持ってきてくれたのかい? ...

あぁっ、

枕元にっ、こんなに饅頭が!! 

ああぁっ、こ、こんなに山盛りに! 

うぎゃぁぁぁっ




兄貴分
始まった始まった。うぎゃぁ、
で右往左往だぜ


源さん
恐いーっ、恐いよぉっ、
なんだ、こりゃ、唐饅頭、
なんて恐いんだぁっ(もぐもぐ)、 
中は黒餡だぁっ、(もぐもぐ)
おれは粒餡よりはこし餡の方が恐いーっ(むしゃもぐ)


若い衆
な、なんだよ、
その「むしゃもぐ」ってのは...
ああっ、見てみろよ、
一杯食っちゃった!


兄貴分
食ったんじゃない、食われたんだ! あいつ、饅頭食ってるよ!!


若い衆
ふざけやがって、こん畜生! 
葛饅頭でも食らいやがれ! えいっ!


源さん
(ベチャッ)こらっ、せっかくの恐い
葛饅頭が潰れちまったじゃねぇか! 
ったく罰当たりめ...

うわーっ、
こりゃ恐いや(もぐもぐ)、
この葛の皮のツルッとしたところが(クチャクチャ)恐いこわい。
こう恐くちゃ目の当たりに置いておけねぇや、風呂敷き貸してくれぇ


兄貴分
饅頭をたもとに突っ込んでやがる...

やい! 

源公! 

お前の本当に恐いものは
いったい何なんだ!



源さん
いやーぁ、
今度は苦〜いお茶が一杯恐い








まんじゅうこわいというお話でした


お後がよろしいようで





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ジュゲム



「こんちわー、ご隠居いますかーい」


「はいはい、おや、
誰かと思ったら熊さんじゃないか。
まぁお上がりお上がり」


「どうも、ご隠居。今日はね、
ちょいとお願いがあって来やして」


「ほう、 お前さんがアタシに頼みなんて珍しいね。なんだい?」



 ご隠居が聞きますと、熊さん珍しく神妙な顔で言います。



「他じゃねぇんですがね、実はウチの長屋にオメデタがありやして」


「おや! オメデタ。
ほう、どういうオメデタ?」


「お子さんがお生まれになったんですよ」


「おや、そうかい。どちらのお宅だい」


「へぇ、アッシんところなんです」




 これには、ご隠居も呆れ顔。


「……何だよ自分のところかい。
自分のところに子供が生まれて
『お子さんがお生まれになって』なんて言い方があるかい。


 しかしまぁ、オメデタイこったね。
そうかい、そういやこの間合ったが、
お前んトコのおカミさん、溢れそうなお腹してたっけ。

そろそろかなぁと思っていたが
生まれたんだね。良かったじゃないか、おめでとう」


「へぇ、ありがとーございやす。
実は今日が『初七日』でね」


「え、……あぁ、そう、
こりゃぁ失礼した。そんな事とは知らずに『おめでとう』と言っちまった。

じゃぁ、お生まれになってすぐに、
お亡くなりになっちまったのかい?」



 神妙な顔でご隠居が言うと、
突然熊さんが怒り出します。


「冗談言っちゃいけねえや!
ピンピンしてますよ!」


「え? だって
今、初七日って言ったろ?」


「生まれて今日が七日目」


「……そりゃ『お七夜』てぇんだよ。
初七日ってヤツがあるかい、
縁起でもない」



 そんなご隠居の小言も熊さんは、


「あーそれそれ、お七夜だ。
確かシチがつくと思ってたんだ。

 それでカカァと話をしてたんです、
名前を付けなきゃいけないってんでね」



と、どこ吹く風。


「そうだな。
お七夜の日には名前を付けるもんだ」


「そんでカカァが、お前さん付けとくれってんですが、アッシは学がねぇし、
さてどうしようかと思ってましたら、

カカァがね『じゃぁ横丁のご隠居さん、あの人は物知りでお調子者だから、
聞けば何でも教えてくれる、
アンタ、ウマイこと煽てて頼んできて』と、こう言うんだ。

だからね、ウチのガキの名前付けちゃくれやせんか、頼みますよご隠居」



 ご隠居、
半目になって熊さんを見ながら、


「……へぇー。
さぁ熊さん、ここでアタシの質問だ。

お前さんは今、『誰と』話をしてるでしょう」と言うと、



熊さんしばし考えて、ハッとします。


「あ、ご隠居だ!
カカァも言ってました。当人の前で言っちゃいけねぇって」と照れ笑い。


「でもいいや、あなたは心が広いから」



「ごあいさつだねお前さんは。
はっはっは、まぁ腹も立たないがね。

 でも何かい、
名前を付けるってことぁ、アタシが赤ちゃんの名付け親になるって事だよ。構わないのかい?」


 もちろんと頷く熊さんに、


「そうかい、
じゃぁ喜んで付けさせて貰いましょ。
生まれたお子さんは男子(なんし)か女子(にょし)かい? 」と尋ねる。


「……え?」


「いや、生まれたお子さんは、
男子か女子か」


「………うん、さぁ、そこだ…、ネェ。『なんし』か『にょし』か。

 そこんところに付いちゃ、
アッシもカカァとよく話をしましてね。

まぁ、
なんしだのにょしかなんて、そんな人間にはなって貰いたくねぇと思……」


「お前さん意味が分かってないだろう。男の子か女の子か聞いてるんだよ」


「あぁー! だったらオスなんです」


「オスってヤツがあるかい。
男の子か、うん。
お前さんも人の親になったんだ。
こういう風に育ってもらいたい、
こういう風に成って欲しいなんて願いもあるだろう。
どういう名前がいいかな」



 すると熊さん、
ご隠居に顔を近づけると、


「長生きするような、めでてぇ名前なら何でもいいんだ。

 いやね、生まれる前ぇは、こうなって欲しいああなって欲しいなんて思いもしましたが、顔見ちまうとどうでもよくなっちまって。

へへ、親ってのは妙なモンだね。
とにかくまぁ、長生きしてくれりゃぁいいと思ってね。何かそういう名前をお願いしやすよ」



 と言います。それを聞いたご隠居は少し感心したように、


「ほう、長生きするような名前な。
それじゃぁどうだろうな。


 昔からよく
『鶴は千年、亀は萬年の齢を保つ』なんて事を言う。

鶴太郎とか亀吉なんてのはどうだい」
と言ってみる。


「お、なるほどねー。うん、結構には違いありませんけどね、
『千年』なんてぇと、千年『まで』、
万年なら、万年で死ぬって言われてる心持ちがするんでね、
他のはありませんかね」


「万年生きりゃ十分だと思うがね……、
まぁいいや、お前さんの気持ちも分からないわけじゃぁない。

 じゃぁどうだろう、これはアタシも聞いた話でお経を見して貰ったことがあるわけじゃぁないんだけどね、

お寺さんのお経に出てくる言葉で、
寿限り無しと書いて『寿限無(じゅげむ)』というのがある。
どうだい?」


「寿限り無し! そりゃめでてぇね。
めでたくて限りが無ぇんだ、
毎日ずっと寿なんて結構ですね。
他にも何かありますかね?」


と熊さん目を輝かせる。


「うん『五劫(ごこう)のすり切り』ってのもあるな」


「え、めでてぇのかいそれ、ゴボウのすりこ木?」


「ゴボウじゃないよ。
一劫、二劫と数えて五劫ってんだがね、三千年に一度、天人が天(あま)下ってきて下界の岩をその衣の裾でもってさぁっと撫でる。
これを丹念に丹念に岩の方が擦り切れるまで繰り返す。
それを『一劫』ってんだ。
それが『五劫』ってんだから何億年だか何兆年だか果てしがない。

どうだい、めでたかろう?」


「そりゃいいね。へぇー、そんな話があるとは知らなかった。
他にも何かありやすか?」



 感心しきりの熊さんに、ご隠居も悪い気がしません。


「『海砂利水魚 水行末 雲来末  風来末』ってぇのがあるな。

 『海砂利水魚』これは海の砂利、水の魚だ。獲っても獲っても獲り尽くせないという意味が有る。

 『水行末 雲来末 風来末』これは、
水の行方、雲の行く末、風の来る末だ。
 これも、巡り巡って果てしがないというので、おめでたい意味合いがある」


「めでてぇのそれ?」


「だってお前、
巡り巡って果てしないんだよ」


「あぁーなるほど。確かに」と納得する熊さん。


「こういうのもあるな。
人間に生まれてきて何が欠かせないって『衣食住』だろ。
それが『食う寝るところに住むところ』
それにね、『やぶらこうじぶらこうじ』なんてのもあるな」



 すると、それまで笑顔の熊さんが急に怒り出します。


「ケッ、いらねえ。今アッシは真面目に名前付けてもらおうって来てるんだよ。

ご隠居そんなアッシに皮肉言うこたぁねえやな」


「皮肉もイヤミもいってやしない…」


「言ったよ! 今『破れ障子ボロ障子』っつったよ」


「そうじゃない。『やぶらこうじぶらこうじ』ってんだ。



『ぶらこうじ』は中国の樹の名前でな、この樹は春に若葉を生じ、夏に花を咲かせ、秋になると実を結び、冬になるとその実に赤い色を添えて霜を凌ぐという。

一年を通じて丈夫な樹だ。

 お前さんにしてみれば、樹なんてみんなそんなモンだと思うかもしれないが、

アタシは当たり前に丈夫でいられるってのが、人として一番ありがたいんじゃないかとそう思うんだが、どうだい」
と、説明するご隠居さんに、


「はあ、なるほどねー。そう言われてみりゃぁ確かにそうかもしれねえねぇ。
じゃぁ、それも頂きやしょう」


熊さんの機嫌も治ります。


「こういうのも思い出したな。
アタシが子供の頃聞いた話だが、
昔、外国にね『パイポ』って国があったんだそうだ」


「ウッソでぇ、
そんな名前の国ねぇよぉ」


「いや、本当にあったんだそうだよ。

そのパイポという国に
『シューリンガン』という王様と
『グーリンダイ』というお妃様がいたそうだ。

その二人には
『ポンポコピー様とポンポコナ様』という二人のお子さんがいらして、
この四人が大層なご長命だった――という話を、今思い出した。
そのお名前にあやかってみるのも、面白いんじゃないかい」



 しかし、これには熊さんも渋い顔。


「……ご隠居さんねぇ、
人の子供だと思うからそう言うんだよ。自分の子供にそんな名前付けるかい?
ポンポコピーとポンポコナだよ?
 学校でいじめられんじゃねぇかなぁ。グーリンダイも、ねぇ。

まぁ、強いて付けるならシューリンガンかなぁ」


「いや、同じだと思うがねぇ。
 まぁまぁ、そりゃぁ今思い出したついでの話だ。

 例えば、
長く久しい命と書いて『長久命』
長く助けると書いて『長助』
なんてのも、アタシはいい名前じゃないかと思うがね。

 まだ調べれりゃあいくらも出てくるだろうが、どうするね、調べるかい?」



と言うご隠居に、熊さんは手を振って、


「いや結構、なんてったってお七夜は今日ですからね。

今日中に付けてやりてぇ。
ただ、覚えきれねぇんでね、ご隠居さん紙に書いちゃ貰えませんか」


と、言います。


 ご隠居がそれまでの名前を紙に書いて渡しますと、


「へぇ、へぇ、どうもありがとーございやす。

 どれどれ、
『ジュゲム、ゴコウのスリキリ、カイジャリスイギョ、スイギョオマツ、ウンライマツ、フウライマツ、食う寝るところ住むところ、ヤブラコオジブラコオジ、パイポ、シューリンガン、グーリンダイ、ポンポコピー、ポンポコナァァ、チョウゥキュウゥメイィィ、チョォウゥゥスケェェェ…………チーン。

って、
お経だねこれじゃ。
とても決めきれねぇや。

ご隠居、これ頂いていきやす。
家に帰ぇって、カカァと相談して決めやすから」


「そうかい。
それじゃぁ決まったら教えとくれよ」



と、ご隠居さんが言い終わるのも聞かないで、
熊さん走って行ってしまいました。

 名前を書いた紙を貰って家に帰った熊さん。おカミさんと話をするけれど、
どれもめでたい名前ですから、とても決め切れるものじゃありません。そのうちに考えるのも嫌になり、


「えーい
メンドくせー、全部付けちまえ」


てんで、候補に上がった名前をみんな付けちまう。

 ありがたい名前のご利益なのか、
この子は病気一つしないでスクスクと育ちます。

 やがて学校に通うようになると、朝、友達が迎えに来る。


「じゅーげむじゅげむ、ごこうのすーりきり、かいじゃりすいぎょのすいぎょうまつ、うんらいまつ、ふうらいまつ、くうねるところにすむところ、やーぶらこうじのぶらこうじ、パッイポパイポ、パイポの、シューリンガン、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの、ちょうきゅうめいのちょーーすけちゃん、学校行きましょ」



 するとおカミさんが出てきて、


「あらお早うよっちゃん、迎えに来てくれたのかい? それがウチの、
寿限無寿限無五劫のすり切り海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところやぶらこうじのやぶこうじパイポパイポパイポのシューリンガングーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助は、まだ寝てんのよ。

今起こすからちょっと待ってて頂戴ね。

 ほら、いつまで寝てるの。
学校が始まっちゃうじゃないのさ。
いつまで寝てるんだいこの子はまったくもう! 寿限無寿限無五劫のすり…」


「おばちゃん、
学校始まっちゃうから先に行くねー」



なんて事も日常茶飯事。

 そのうちに男の子らしく、
ワンパクに育ちましたから、
たまにはケンカもします。

 勢い余って、相手の男の子の頭をポコッと殴っちゃって、その子がコブを拵えて家に言いつけに来る。


「うえーーーーん! おばちゃんとこの、じゅげむじぇげむごこうのすりきりかいじゃりすいぎょのすいぎょうまつうんらいまつふうらいまつくうねるところにすむところやぶらこうじのぶらこうじぱいぽぱいぽぱいぽのしゅーりんがんぐーりんだいのぽんぽこぴーのぽんぽこなーのちょうきゅうめいのちょうすけちゃんが、アタシの頭ぶって、こんな大きいコブを拵えたよー!」


「え、なんだって金ちゃん、
ウチの寿限無寿限無五劫のすり切り海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところやぶらこうじのやぶこうじパイポパイポパイポのシューリンガングーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助が、金ちゃんの頭にコブを作ったって!?

そうかいゴメンよ。勘弁してねぇ」




と謝ると、おカミさん熊さんに向かって、


「ちょっとお前さん聞いたかい?
ウチの寿限無寿限無五劫のすり切り海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところやぶらこうじのやぶこうじパイポパイポパイポのシューリンガングーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助が、
金ちゃんの頭にコブを作ったって」


「何!
ウチの寿限無寿限無五劫のすり切り海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝るところに住むところやぶらこうじのやぶこうじパイポパイポの」

「パイポは三回」

「パイポパイポパイポのシューリンガングーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助が
金坊の頭にコブを拵えた!?


どれ金ちゃん、おじさんに頭ぁ見せてくれ…………って何だい金ちゃん、
コブなんかどこにも無ぇじゃねえか」



「あんまり名前が長いから、コブが引っ込んじゃった」





と、いうおはなし






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シニガミ


日本では
神様を八百万の神々と申します。

ところがおなし神様でも
あんまり人の喜ばないのがある。

風邪の神だとか、あるいは手水鉢の神、貧乏神、疫病神、……
死神なんという。

ええ、こういうのはあまり人は歓迎を致しませんで。

偽りのある世なりけり神無月 
貧乏神は身をも離れず

なんという狂歌がありますが……




「どうしたんだね。じれったいね。
僅かばかりの金が出来ないでウスボンヤリ帰ってきやがって。

お前みたいな意気地無しはね、豆腐の角へ頭をぶつけて死んでお終い!」


「ひでえことを言うなよ。豆腐の角へ頭をぶつけて死ねるわけなんて……」

「死ねるよお前みたいな意気地なしは!いくらでもいいから拵えろ! 

さもなきゃウチへ入れないから! 
出て行け!」

「出ていかい! ちきしょう!」
妻に追い出された男はぶつぶつと所在無くさ迷った。

「なんて凄いかかあなんだろうな。
豆腐の角へ頭をぶつけて、死んで、しまえ、なんて……
ぶつけてやろうか、こんちきしょう。

ぶつけたって死なないだろうなあ……。ウチ行きゃあ銭がねぇって、ギャアギャア言われるし、
どこに行ったって貸しゃあしねえし。

もう生きてんのが嫌んなっちゃったなあ。生きてたってしょうがねえ、
死のう。

どうして死のうかなあ。
身を投げるのは嫌だなあ。
七つんときに井戸へ落っこったことがある。あんな嫌な思いをするなら生きてた方がいい。どうやったら銭もかからないで死ねるかな」



「教えてやろう」


木の陰からヒョッ、と出てきたのを見る。歳は八十以上にもなろうか。
頭へ薄い、白い毛がポヤッと生え、
鼠の着物の前を肌蹴て、あばら骨は一本一本数えるように痩せっこけて藁草履を履き、竹の杖を突いた貧相なジジイ。


「なんだなんだ、え、なんだい」




「死神だよ」




「えっ、死!? あっ。ああ、嫌だ。ここへ来たら急に死にたくなったんだ。俺は一度も死のうなんて考えたことなかったんだ。てめえのお陰だな、この。そっちいけ」


「まぁそう嫌うもんじゃあねえ。
仲良くするからこっちへおいで。
ま、いろいろ、相談もあるから」


「やだよ、相談なんぞ」


「おいおいおい、待ちなよ。
逃げたって無駄だよ。
おめえは足で歩いて逃げる。
俺は風につれてふわっと飛ぶんだから。逃げられやしねえよ。

まあ色々、話もあるからこっちへ来いよ。おめえと俺には古い古い因縁があるんだ」


死神はふわふわと
男の目の前に立ちはだかった。



「怖がることはないよ。
人間と言うものはいくら死にたいと言っても寿命があればどうしても死ねるもんじゃあねえ。

え、生きたくても寿命が尽きればそれでもう、駄目なんだ。

おめえはこれからまだまだ、長い寿命があるから心配しなさんな。


おめえに良い事を教えてやる。
医者になんな。儲かるぞ。

長患いをしている病人の部屋へ入れば、枕元か足元か、どっちかに必ず死神がいるんだ。

足元の方に座っている病人は、こりゃあ助かる見込みがある。

枕元へもう座るようになったら寿命が尽きているから決して手をつけちゃあいけねえ。


いいか、死神が足元に座ってるときに呪文を唱えてポン、ポンとこう、手を叩くんだ。

そうすりゃどうしても離れて死神が帰らなきゃいけないことになってんだ」



「そ、その呪文ってなんだい」



「いいか、おめえに教えてやるが、
こんなこと決して人に喋っちゃあいけねえよ。よく覚えろよ。」



『アジャラカモクレン フジサン テケレッツノパ』



「……あれ、死神? 死神さーん。

あっそうか呪文を唱えたから帰っちまったのか」


さっそく蒲鉾板の古いのに覚束ない仮名で看板を書くと、
ものの二十分経つか経たないかで最初の客が来た。

主人が重病であるという客の後についていくと、病人の足元には良い塩梅に死神が座っている。


「しめた」


「え、なんでございましょう」


「あっ、いやここへ入ってこの襖を閉めたということで……、へへ」


「はあ」


「ところでお礼のところは……」


「ええ、ぜひとも…いかようとも」


「ああ、じゃあ治しますね、おまじないをやります、いかばかりか」


『アジャラカモクレンフジサンテケレッツノパーポンポン』


死神がすっと離れると、
苦しそうに唸っていた病人がふっと眼を開け、腹が減ったと言った。

「ああ、天丼でもうな丼でも好きなもん食わせなさい」

さあ、あの先生はご名医だと治った人が言うから間違いはございません。
男はたちまち評判になった。


それじゃあ私どもも、手前どもも、
と頼まれていくと良い塩梅に、
大抵足元に死神が座っている。

たまたま枕元にいると

「ああこれは寿命が尽きているからお諦めなさい」と言うと、
表へ出るか出ないに病人が息を引き取る。

ああ、生き神様ではないかというえらい評判。



今までは裏側でくすぶっていたやつが表へ出て立派な邸宅を構える。
食いたい物も食う。着たい物も着る。

さてそうなると
小じわの寄ったカミさんなんざ面白くない。

ちょいとオツな妾かなんか置きましてね、このほうでモタモタされればいいから家の方へは帰らない。

するとカミさんはやきもちを焼いて
ギャンギャン喚く。

「かかあなんていらないから、ああ、子どももつけて金をやるから別れよう」


所帯を全て金に換え、妾と上方へ行って金に明かしてあっちこっちと贅沢三昧で歩きましたが、金は使えば無くなるもの。

さて金がなくなってみると女も消え、一人でぼんやり江戸へ帰ってきたが、一考構えて、さ、俺が来たら門前市をなすだろうという体で待ち構えたがどうしたことか、まるっきり患者がこない。


たまたま頼まれていってみると、
死神が枕元へ座っている。


どっかいいところがないかしらんと待ちぼうけていると、
麹町五丁目の方で伊勢屋伝衛門という江戸でも指折りの金持ちから依頼が来た。


これならば、と奴さん、てんで勢い込んで行ってみると相変わらず枕元の方へ死神がどでんと座って笑っている。



「……せっかくだがこの病人はもう、助からない、お諦めなさい」



「先生、
そこをなんとかお骨折りを……」



「お骨折りったってねえ……寿命がないものは」



「先生のお力で…
まことにかようなことを申し上げては失礼でございますが、五千両までのお礼は致しますがなんとか……」



「五千両ったってねえ……
寿命がないものはしょうがない」



「ではいかかでございましょう。
たとえ二月三月でもよろしいのでございますが、寿命を延ばしていただけたら一万両までお礼を致しますが……」



「い、一万両!? 

……なんとかして、寿命を延ばしたいねえ」



男はうんうんと知恵をめぐらせるとひらめいた。


「病人が寝ている四隅に気の利いたやつを四人置いて、
あたしが膝をポンと叩いたら途端にスッ、と回してくれ。
頭の方が足になって、足の方が頭になるんだ。


一遍やり損なったら駄目だ、
いいかい」


夜が更けるに従って死神の眼が異様にギラギラと輝いて、

病人がウーン、ウーンと苦しむ。
そのうちに夜が明ける、
白々とした色になってくる。

死神だってそうそう張り切っちゃいられない。

疲れたと見えて、
コックリコックリ居眠りを始める。
ここだなと思い目配せをする。
ポンポンと膝を叩く!


『アジャラカモクレンフジサンテケレッツノパーポンポン!!』


死神が驚いて飛び上がって、病人はたちまち元気になった。

さっそく金が届いたと言うので、
奴さん酒なぞ飲んで食わえ楊枝で出てきたが……


「うーん、
我ながらいい知恵だったねえ。
死神の奴ワーッと驚きやがって、
ククッ」


「莫迦野郎」


「うわっ」


「何故あんな莫迦な事をするんだ。

まさかおめえ俺を忘れやしねえだろ。
あんなことをされたんで俺は月給を減らされたよ」



「げ、げ、月給って。

あっ、

か、金ならこっちにあるからァ……」



「まあまあしちまったことは仕方ァねえこっちへこい。ここへ降りな。おい降りるんだよ。俺の杖に掴まって来い。大丈夫だよ。ビクビクしねえで早く来い。


……おい。ここを見ろ」


「あらっ これは、
ずいぶん蝋燭が点いてますね」


「これがみんな人の寿命だ」


「ははあ……
人の一生はよく蝋燭の火のようだなんて話は聞いたことがありますが、

たいしたもんですねぇまあ。

長いのや短いのやいろんなのがある。


……あっ、ここに長くて威勢のいいのがありますね」


「それはおめえのせがれの寿命だ」

「へえ、あいつは長生きなんだなあ……。

いいなあ。うん。

このとなり、半分くらいの長さでボーボー音を立てて燃えてるヤツは?」


「それがもとのカミさんの寿命だ」


「ああ、ああ、ああ、へぇ、なるほどねぇ。あの、ババアの。

で、その横のは? 

暗くって短くって今にも消えそうなのがありますね……

これ、これって、まさか……」



「そうだおめえの寿命だ」



「お前の寿命だよ。けえそうだ…
けえる途端に命はない。
もうじき死ぬよ。

お前の、本来の寿命はこっちにある半分より長く威勢よく燃えている蝋燭なんだ。

お前は金に目がくらんで、寿命を
とっ換えたんだ。

くくっ、気の毒に、もうじき死ぬよ」



「い、命が助かるならなんでもするから」



「……しようのねえ男だ。

ここに灯しかけがある。

これと、そのけえかかっているのと繋げるんだ。

上手く繋げれば、助かるかもしれん」

「早くしないと、けぇるよ。

何を震える。震えるな。

震えると、けえるよ。

けえれば命がない。

早くしな。

早くしないと、けぇるよ。けぇるよ。

……消えるよ。

くくっ、

あっ、消ェる…

くくっ」



「待ってくれ、手が震えちまう」



「早くしな。消えるよ。

ほらほらほら、くくっ、……




ほーら、消えた……」








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