咽び泣く紫の花 : aria : bookmark


2011/11/26 Sat 23:03

君だけが僕の可愛い人



こんばんは、ご機嫌いかがでしょうか?

先の日記で載せましたお城のお写真、
答えて下さった方もいらして嬉しかったです。

お察しの通り、彦根へ参りました!


……ひこにゃの可愛らしさに、完全にやられました!

もう全てが可愛い。


あの大きなゆるいお顔とか
おしりのたぽたぽ具合とか
後ろ向きから振り返っての決めポーズとか

自分を可愛いと分かっている感じがもうツボです。
メロメロのにやにやです(笑)


ひこにゃんの愛らしさはお写真では伝えきれませんねえ。
未だご覧になったことのない方は、是非ご自分で足を運ばれることをお勧め致します!




さてさて。
ひこにゃんというのは、アリアの目的の半分。

井伊家の居城、彦根城それこそがアリアの目的です!

せっかくですので、井伊家のことを少々お話させて頂きたいと思っております。




まず、近江のこの地を治めていたのは、かの有名な石田三成です。
彼の居城は佐和山城、その名の通り佐和山に聳える山城です。


天下分け目と呼ばれた関ヶ原の戦いで、豊臣派の石田三成は敗北。
佐和山城も焼け落ちることとなりました。


その関ヶ原の戦い、徳川派で武勲を収めたのが、井伊直政さまです。
彼は大変な美貌のひとでした。

その美しさのために敵に見縊られることを避けるため、わざと怖ろしい面をつけて戦へ出たそうです。
男色の気のなかった徳川家康公ですら靡きかけたとか。

勿論、美しさだけでなく、直政さまは実力も伴った武将でした。
勇猛果敢で武術にも長け、策士でありました。

家康公は彼をそれはそれはお気に入ってらっしゃいまして、手ずから結婚相手の世話もしてやったほどです。



しかし直政さまは、関ヶ原の戦いで勇ましく戦った末に大怪我を負います。
一命を取り留め佐和山城に凱旋、戦後の処理に尽力されますが、
結局、怪我が原因でお亡くなりになります。



跡を継いだのは、直政さまのご嫡男、名を万千代さまと仰います。
母君は正妻の唐梅院さまです。
聡明であり、優れた統治者ではございましたが、生来病弱なことが心配されました。

そして若君はそして名を直継さまと改めて、若干13歳で当主となられました。


のちに直継さまは兵部少輔という官位をお受けになられますが、
まだ年若い頃にお受けになられた官位から、右近殿とお呼びすることと致しましょう。



16のときに先代のときに決められた許嫁、鳥居忠政の娘を妻として迎えます。

もともと鳥居家はそれほど有力な大名では御座いませんでした。

忠政の父、元忠は関ヶ原の戦いでは命を賭して大変な武勲を収めました。
その功績を認められ鳥居家は忠政の代で一躍、井伊家と釣り合うほどの有力大名となったのでした。



しかしこの右近様の奥方様、実は母方に豊臣家の血が流れていらっしゃる姫君。
それは彼女の井伊家での立場を難しくしていたのでした。



右近殿たちは愛宕屋敷にお住まいでしたが、ご当主になられてすぐ新しい城の建築を開始されます。
琵琶湖のほとりの井伊家の居城、此方が後の彦根城です。


佐和山城などはいかにも戦国の城というように、実践的で護りの強い山寺です。
対して、例えば二条城や名古屋城のような平城は、攻められることをあまり意識しておらず、どちらかと言えば豪奢な作りになっています。


そして彦根城はといえば、山城と平城の間といったところ。
佐和山ほど険しくない彦根山にあり、今は埋め立てられておりますが当時は琵琶湖に面して一面を防御しておりました。

何しろ建てられたのは戦国時代が終焉した直後、まだ大坂の陣も済んでおりませんでしたから
江戸時代といってもまだ攻められる可能性のあった時代ですものね。



完成は、着工からおよそ20年後のことでした。



しかしその後、右近殿は30代で隠居することとなります。
お家騒動の収集をつけるためという理由もあり、
弟の直孝さまにご当主の位をお譲りになられたのです。


この直孝さまは右近殿の同い年の異母兄弟です。
直孝さまは身分のあまり高くないお母様の子供でした。

若くして二代将軍秀忠公の側近として使え、
お父上譲りのその厳しさや寡黙さは夜叉掃部と恐れられたそうです。



この直孝さまが江戸の豪徳寺に上られた際、酷い雨が降りました。
そして大きな木のもとで雨宿りをしておられたとき、白い猫が手を招くような仕草をしたとか。
如何に、と思いそれについて行くと、その直後、
先ほどまで雨宿りしていた木に神鳴が落ちました。

白猫によって直孝さまが命拾いした、ということから招き猫伝説が始まったと伝えられております。



ああ、余談ですが。
右近殿と直孝さまの妹君は、独眼竜、ご存知伊達正宗の子息に嫁いでおられます。




このように、世間では井伊直弼ばかりが有名な井伊家ですけれど
礎を築いたのはここに記しました城主さま方なのです*

お分かりかと思いますが、アリアは右近殿が大好きですー。


このように、日本の歴史は奥深いなとつくづく思います。

なお、長々とお話申し上げましたが、アリアは決して歴史に対して聡くはないので
間違いなど発見なさいましたら、そっと教えて頂けたらと思っております。


お付き合い頂き、ありがとうございました!



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