この世界には様々な伝承がある。
ありがちではあるが、柳田国男の遠野物語に触発されて、わたしは民俗学の世界に入った。
自分の住む世界のなかに異境を見いだす作業、フィールドワーク。
それは人の生活のなかの精神的な化石を掘り出す作業である、とわたしは信じている。
しかし、わたしの師とわたしの級友はフィールドワークよりも神話などの類型にあてはめた比較考察などにちからをいれていたため、わたしは満足にフィールドワークを行うことができなかった。
そこで、わたしは作家になることに決めた。
と、いうと少々唐突なようだが、 幸い、親のすねはかじってもかじり尽くせないほどにあることだし、あまり知られていない伝承を残すだけでなく、いろんな人に知ってもらいたいと思ったのだ。
そして、いま、わたしは陸の孤島とも言える山村へとたどり着いた。
新緑の季節だけあって空と若葉の対比が眩しい。
そして、吹く風はなにか懐かしいような香りがする。
この村にはもう、人は住んでいない。
わたしは友人のおばあさんにあたる人から、ここの話を聞いてやってきたのだ。
――――――村の奥の林を、さらに抜けたとこ。
そこに、ヒナゲシの花畑があるの。
昔は、芥子の花だったらしいんだけど、アヘンを密造する人たちに見つかってね。
それをさらに警察がみつけて、全部焼き払われちゃったの。
だから、村のみんなでかわりにポピーを植えたんだって。
ちょっとずつ、ちょっとずつ花畑を広げてね。また一面花で埋め尽くそうって。
私たちが子供のころには、もう一面お花で一杯だったわ。
けど、みんなあそこにはあまり近寄らなかった。
「なぜならば。そこに、"あやかし"がいるから。」
口に出していってみたが、あまり現実味はわかない。
彼女はそのあやかしがどんななのか、見たことが無いと言っていた。
肝試しにも見に行かないような"あやかし"ということか。
それにしては、わたしには言わない何かがあるような含みもあったけれど・・・
そう思いながら歩いていると、すっと光がさしてきた。
林を抜けたのだ。
そこには、色があふれていた。
一面のヒナゲシ。
そして、その中央で抱き合う親子。
「・・・もしかして、あれが・・・」
あやかし?
美しい女性が、女の子の頭に手をおいて微笑んでいる。
女の子は仕合せそうに眼を瞑って母親の胴に腕を回している。
――――――そのあやかしのそばには、あやかしに魅入られた人が時を止めてそこにいるらしいの。
もしかしたら、いるかもしれないわね、まだ。
彼女はそう言っていた。
では、"母"と"子"、どちらがあやかしか?
わたしにはわからなかった。
どちらも生きているようだし、時を超えているようでもあった。
気づいたらもう触れられるくらいに近づいていたのに、二人の”あやかし”とわたしの間には、何か大きな隔たりがあるようだった。
「おとーさん?」
少女の声がした。
周りには誰もいない。
「ここだよ、わたしは、ここ。」
"あやかし"の少女に目を向ける。
「そう、わたし。」
「おとーさん。ずっとまってたんだよ。おかーさんとふたりで。」
おとうさん?わたしはまだ結婚すらしていない・・・わたしは彼女の父親ではない。
「おとーさん。おとーさんもぎゅってしてよ。」
父親ではないのに・・・その声はとても寂しそうで・・・・・わたしは、思った。
ちょっとだけ、ちょっとだけでもこの子を慰めてあげたい。
いや、慰めなければ。
ほんの、一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ
わたしは君のおとうさんに・・・
「だめ」
ささやくような声がして、わたしは我に返った。
「あなたには、これからあなたの本当の子供ができるのよ」
"あやかし"の母親の方が、動き、こちらに目を向けた。
長いまつげが顔に小さな陰をつくる。右目のしたに泣きぼくろ。
「ほんの一瞬が、ここでは永遠になるの。わたしも、そうだった。
子供を流してしまって、悲しくて悲しくて。ふと思い立ってここへ来てみたの。
そしたら、花畑のこの子がだれもいない空間に抱きついていたの。
わたしは子供をなくして、この子は母親を無くした。
だからわたしは、ほんの一瞬だけでも、この子の母親になろうと思った。」
そして、そのまま魅入られたのか。
たったいま、わたしがそうなろうとしていたように。
「わたしはそれでも後悔してはいないけど。
わたしは、わたしの遠い親戚から大事な人を奪う訳にはいかないの。」
彼女の視線は、わたしの胸にある天然石のペンダントへと向いていた。
気づいたら、日が暮れていた。
あやかしはまだ、そこに立っているけれど、また永遠のなかへと戻っていた。
わたしは、その”永遠”から放り出されてきたのだろう。
わたしは、彼女に感謝した。
彼女の言う通り、わたしには大切な人がいるのだから。
「そっかー。じゃ、わたしのおかげということかな?」
友人はにやにやしながらわたしからペンダントを取り上げた。
「どうせきみのおばあさんの入れ知恵だろ?」
彼女は出発する直前に、この「お守り」を首に下げておくようにいったのだ。
「まーね!そうでなきゃだれがあんたにこれを貸すもんですかー」
「僕としては、それ、貰いたいんだけどな。」
「え、なんで知ってるの・・・おばあちゃん?おばあちゃんなの!?」
急に混乱しだす友人に、わたしは返事を催促しなければならなかった。
「ちがうよ、あの"あやかし"の人に聞いたんだよ・・・・で、答えは?くれるの?くれないの?」
わたしは、"あやかし"の"母"に感謝した。彼女は別に知らなかったと思うけれど、わたしは、この幼なじみに好意をつたえるきっかけを待ちわびていたのだから。
小説を書くための文章力と根気がほしい。
いろいろアイデアとかはあるのに書き上げる前に情熱が潰えるんだけど。
そしてこういう短いのですら文章がつたなすぎて泣ける。