忘れてしまう道がある。
地元の道はほとんど忘れてしまったかもしれない。目を閉じて思い返しても、道は途中で霞みがかったように白く見えなくなる。あの図書館へのあの近道も、あの店へ続く静かな細道も、記憶のなかで淡く濁っている。

自転車が好きだった。
遠くへは行けないし不便なところもあるけれど、気持ちの良い道でペダルを漕げば、生きていると実感できる。
国分寺への道中はいつも学芸大学を通り抜けていた。東門をくぐると延々といちょうが並び立ち、すこし走れば新小金井街道の喧騒はすっと音をひそめる。
小金井公園の賑やかな新緑や通学路沿いに咲いた金木犀や誰も知らない公園、お気に入りの場所はいくつもあったけど、今でははっきり覚えていない。公団を天幕のように覆うあの桜の香りも、花弁の手触りも消えてしまった。

記憶から遠ざかることはオレと無関係に近付くことなのだろう。
楽しいことも嫌なことも忘れてしまったなら、それははじめからないことと同じなのかもしれない。
そう考えると些か救われる気もする。