薬研



猛禽ねえ。
むしろいまは蜂みたいじゃないか?
放っても運ばれてくる蜜を待つ女王蜂さ。
その爪と嘴で、欲しいものは全て手中に収めた。あの手もこの手も、人の牙も何もかも使ってさ。
もう、爪も嘴も必要ないんだよ、あれには。

ほんの数滴の蜜を垂らせば、誰もが、全てを統べる女王様のために何だってするんだ。



薬研は今日も今日とて寝不足である。もう何人の皮膚を縫ったかわからない。大あくびをしながら、硬いソファに寝転がる。
何人助からなかったかわからない。
なにが楽しくて争い、血を流し、誰のために死ぬのだろう。それは彼女にとって永遠の疑問である。そんな繰り返しで出来上がった世界はこの処置室の天井よりきたない。

『薬研、だいすきです。急じゃないですよ、いつもだいすきですよ!あいしています、薬研』『薬研、妹たちをしばらく頼みたい。私はあの方に呼ばれているから、行かなくてはならない。家族に愛していると伝えて、もちろん、薬研も愛しているよ』

愛しているという別れ言葉を二度聞いた。一度めは、まるで彼女の存在がまぼろしだったかのように、跡形もなく彼女はいなくなった。退学も済まされており、個人情報だどうのと言われ、職員室の机を蹴飛ばして、やみくもに探し回った。どこにもいるはずがなかった。三条を訪ねたが、自分のような一般庶民が立ち入れる場所ではなかった。
二度めは、それは、幸せそうな顔をして眠っていた。それを姉だと認識した瞬間、なぜか、ほんとうになぜだかわからないが、安堵したのだ。姉は地獄を生きているようだった。終止符を打ったのは姉自身だった。
共通点は明らかだ。もう何も確かめなかった。この頃から、小鳥と偽った猛禽の羽の下で女王の卵が羽化していたのではないか。そんなことを考える。ゆるりと正体が変わる様子は、なんて気持ちが悪いだろう。

「かわいそうにな」

ナイフを突き立てた俺にそう言い放った女は、笑うでもなく、悲しむでもなく、ただ憂いた顔で、本当に『可哀想』だと言ったのだ。
俺がなくした二人の存在を、まるでいまはじめて知ったような顔で。



「よっ、薬研。元気か?」
「あんたは元気そうだな。今日は鶴じゃなくてフラミンゴかなんかか?」
血濡れの国永が窓から顔を出してきた。返り血だということは明白なので、心配はしない。何が起きたのかは多少面倒ではある。
「友成の」
「話なら中でしな。誰が聞いてるかわからん」
おっとそうだな、と軽快に返した国永は窓を閉め、扉からずかずかと入ってきた。抜刀したままの刀をしまって欲しいのだが、めんどうくさくて、正面のソファを勧める。
「友成のやり方が気に食わんという輩が後を絶たなくてな。俺も暇つぶしに出陣してるわけだ」
「東町の組員潰したのあんただろ。見るに耐えなかった。多少は綺麗に斬ってくれ」
「悪いな、鬱憤が溜まってたんだ」
国永の鬱憤の原因といえば、あの女狐と呼ばれた三日月のことだろうか。詳しいことは知らないが、その辺がややこしいということは知っている。ここでは、知らない方が都合が良いことの方が多い。
「きみは大抵、何も聞かないな」
「聞いてまともに答えられた試しがない。所詮余所者の闇医者もどきだ。聞く必要も答える必要もねえよ」
言い切ると、国永は複雑そうな面持ちで、あぐらをかいた脚の上に肘をつく。
「例えば、きみの親友を斬ったのが俺だと言ったら?」
「……悪い冗談はよしてくれや。疲れてんだ」
色素のない目に捉えられた瞬間、薬研は悪寒した。この鶴の言うことは大抵信用ならない。そうだ。そうだろう。なあ国永。
「友成が、きみの姉の死をただ見届けただけだとしたら」
「は、続きか?」
ひどく眠い。寒い。吐き気がする。ああ、そろそろ次の患者がきそうだ。
「おっと、お客人か。俺はお暇するぜ」
「なにしにきたんだか……」
鶴はひらりといなくなった。重たい頭で、片手の小指がないささくれた男の手から脈を取る。生きている。傷は、ああ、これは面倒だな……


なあ国永。
俺は近々、お前さんと刃を交えるかもしれん。
あらゆる手段で組織に取り入り、ここで医療以外の力をつけていることは、教えただろうか。患者を診れば弱点はわかる、それは精密に正確に。複数の患者を相手に、実験も成功した。なんのためだと思う?

俺は、あの女王蜂を標本にしないと、気が済まないんだ。