こんばんはー
いつの間にか12月ですね。恐ろしい…

ここ2週間ほど色んなことがありました。

何より一番大変だったのは、じいちゃんが死んだこと。

でもこんなこと言うとあれだけど、ようやくじいちゃんの闘いも終わったんだと思う。ここ一年ほどほんとに大人たちがストレスフルな状態で、介護ってほんとに何なんだろうと考えさせられた。そんで孫たちも散々振り回された。

じいちゃんが死んだって聞いても、全然悲しくなかった。人が死ぬってことは鈍い痛みなのだろうか。
じいちゃんがそれなりに長生きしたからそう思うのかは分からないけど。

お通夜が始まるまでの間も涙が出ることはなかった。唯一涙が出たのは喪主の挨拶を叔父さんがした時。叔父さんが涙ぐむ声につられて泣いてしまった。

お通夜が終わった後の夜中、従兄と姉がじいちゃんの前で泣いていた。その姿は私をイライラさせただけだった。
ああゆう場になると、やっぱり年の順によって立ち振舞いや役割も変わってくるんだろうと思った。そんな中で長男長女たちは、自分が全部背負わないとって思っているような感じがしてすごく気に食わなかった。

自分だけが我慢すればいいって思って頑張ってるつもりかもしれないけど、その姿にこっちは気を遣うんだけどな。

同じ孫と言えど私は何処と無く居場所がなかった。
気を回したところで、何もせず邪魔にならないようにすることが一番良かった。

お葬式も悲しくなかったけど、やっぱり叔父さんの挨拶につられてしまった。そして最期のお別れの瞬間親族が次々に泣き出して、嗚咽まで聞こえてきた。
気付いたら従兄弟や姉がわんわん泣いてた。母や叔父さんたちも泣いていた。おばあちゃんもわんわん泣いていて、「お父ちゃん!なんで私をおいて逝くんや!」って言っていたのにはびっくりした。
私も涙は出たけれど、何の涙だったのかは未だに分からない。皆が何でそんなに泣くのか分からないから私も泣いていた。その輪の中に入っていけないことに泣いていた。おじいちゃんのために流した涙ではなかった。

わんわん泣いてる皆から少し距離をとった場所に私は居た。わざとそうしたわけではなく、自然とそうなっていた。私の回りには親族じゃない人のほうが多かったんじゃないかな。これでも孫なんだが。

すべてが終わった後、身内だけでご飯食べていた時に母が「号泣してる姉ちゃんに対して冷静なみゆき」だったと言っていた。別に冷静なわけではなかったのだが。母の目にはそう映ったんだなー
まあ、きっと他人の目にもそう映ってるだろうが。

そういえば昔はよくポーカーフェイスだと言われていた。成長するにつれて感情を表に出すことも増えて、今ではよく笑っているけれど、やっぱり感情表現は下手くそなんだと気付かされました。

自分の悲しみを受容して消化することが出来ないから、こんなめんどくさい人間になったのだろうか。

あと、じいちゃんにありがとうってやたら連呼したことで気付いたけど、素直に感謝を意を表すって、身内相手にはやっぱり難しいもんだね。


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