2012/3/19 Mon 15:42
白く凍えた息(高佐)


「もう一回、言って?」

自分の声が震えているのが分かった。

電話から聞こえてくる声を、頭が拒否する。聞こえているはずなのに意味が分からない。

周りの雑音と入れ混じって聞こえるのは、電話の向こうの、音は。




けたたましくなるサイレン。機械を通してでも分かる。

何度も何度も、聞いたことのある。



―――高木くんが、病院に運ばれたらしいわよ。



***



詳しいことは私にも分からないの。さっき、本庁に戻ったら救急車が慌ただしく出てったのよ。
それで、なにかあったのか―って訊いたら高木くんがぶっ倒れたって言われて―――美和子、聞いてる?

「え…あ…ええ」

由美が捲し立てるように言う言葉をなんとか飲み込むと、うわべだけの相槌をうつ。

「一先ず、私、そっち行くから」

―そっちって? 本庁?

「他にどこがあるのよ」

―病院でしょ! 美和子ぉ、あんた高木くんの彼女なのよ。しかも今日のあんたは非番。あたしに会いに来てどうすんのよ。

「あ…」

そっか。そうだった。
状況を飲み込むのに精一杯でおもいつかなった。
車のキーをコートのポケットに入れると、玄関まで駆けた。母に煩いと言われたような気がしたけど、無視。
止まることは考えなかった。




「ぶっ倒れたってどういうことなのよ…!」

父のお古のFDのドアを少し乱暴に閉めると安全運転なんて言葉は頭から飛んだまま、アクセルを踏み込んだ。
夜の暗さは、まるで、悪夢のようで。

***

しんとした廊下を歩く。
自分のヒールの音とナースステーションにいた夜勤なのであろう看護師たちの、小さな話し声以外はなにも聞こえない。
彼を見舞うために病院に来たのは今年でもう何度目なのだろうか。決して貧弱なのだと言いたいわけじゃない。無茶し過ぎ―そう言いたいのだ。

ネームプレートを見ると、見慣れた名前が目についた。癖で戸をノックしようとした手を慌てて引っ込める。
…ぶっ倒れたって言うくらいだから、きっと寝てるだろう。起こすのは可哀想だ。なぜなのか緊張して、息を止め慎重にゆっくりと戸を開ける。

室内の空気は、ひんやりとした廊下とは一変して暖かかった。開けたばかりの戸をまたゆっくり閉め直すと、遠目で様子を窺ってからベッドの方に歩み寄った。

「寝てる…わよね」

見てすぐに分かることなのに思わず口にしてしまうあたり、もしかしたら私は彼に起きてほしいのかもしれない。
そんなことが頭に過って、そしてそれを全力で否定した。―倒れたんだったら、休んでもらわないと困るじゃない。

「ばか…」

無理なんかしちゃって。格好つけてるつもりかしら。そういうのは若手がやることでしょ。
警視庁の刑事ともあろう人が、自分の体調さえ管理できなくてどうするのよ。ただでさえ、ついこの間凍傷だのなんだのあったんだから、少しは外回りを減らしてみるとか、仮眠をとるとか…。
もっともっと自分を大切にしなさいよ。

備え付けのパイプ椅子に腰を下す。張りつめていた糸が切れたように、深く深く息を吐く。

そっとその頬に触れてみると、いつもより幾分も熱い。自分の手が冷たいからだろうかとも思ったけど、それだけじゃない。

「…熱、出てるのかな」

ここまできてやっと、自分が高木くんが何故ぶっ倒れたのか知らなかったことを思い出した。自分のおでこと彼のおでこに手をあてて感じた熱を比べてみると、圧倒的に彼の方が熱かった。

「…佐藤君じゃないか」
「―誰っ」 反射的に声を上げ振り返ってから、慌てて双方のおでこから手を離すと、口を押さえた。目の前に尊敬する警部の姿があったからだ。 「……あ、す、すみません、警部。勝手に来てしまって…」
「いやいや、由美君から連絡があったから大丈夫だ。それにこんな老いぼれよりも佐藤君にいてもらった方が、目が覚めたとき彼も嬉しいだろうしな」
いつの間にやら自分達の関係が職場内に広まっていることに改めて顔が熱くなった。
「―40度近い高熱だったらしくてなぁ…よくもまぁ日中バレなかったもんだと医者に言われておったよ」
「よ…よん、じゅう度ですか…?」
「うむ。まぁ、明日には退院できるそうだ。そのときに釘をさしておかんと…」
ハンガーにかけてあったコートをとって、シャッポの形を整えると、警部は私に声をかけた。
「ワシはもう帰るが、佐藤君はどうするかね?」
「あ…いえ。まだ残ります。その、来たばかりなので。お気をつけて」
敬礼して返すと、おー分かった分かった。と手を振りながら病室を出ていかれた。



―さて、と。


「いつまで寝てるフリする気なの? ―渉くん」



***



「いつから気づいてたんですかぁ?」
いつもより少し低い声が聞こえた。間延びしたような口調に、しんどいのだろうなと分かりきったことを思った。
恥ずかしいのか居心地が悪いのか、毛布を鼻あたりまで被っている。
「…おでこに手を当てたときに起きたんでしょ?」
睫毛が少し揺れたのを見たから。起こしちゃったのかな、なんて。
「当たりです…。美和子さんの手、冷たいんですもん…」
「今の渉くんは熱すぎじゃない」
「えぇー? そんなにですか」
「40度近かったんだって。まったく、無茶ばっかりして…。体調管理も仕事なのよ? それに職場で倒れるなんて言語道断、刑事の自覚あるの?」
口から小言が出た。違う、そうじゃない。こんなことばかり言いたいわけじゃなくて。
「体調が悪いなら仮眠をとるかお休みすること。―こうやってぶっ倒れられるくらいなら、家で休んでた方がマシよ。本当に貴方は人に心配ばっかりかけて――」
そうじゃない。そんなことを言いたいんじゃない。このままだと延々と彼を責めることしかできない気がして、やっと言葉を飲み込んだ。
「…どうかされました?」
毛布に顔を半分くらい埋めていた彼が不思議そうな顔つきで、ゆっくりと体を起こした。
心の中に生暖かい風が吹く。冷えきっていたそれは徐々に温かくなって、ぽわんとしたなにかが生まれてくる。とても穏やかで、心地のいい。
私は、これを待っていたんだ。あなたと一緒にいるからこその安心感や安らぎ。
最近になってやっと得られた暖かさ。
「…あのぉ…佐藤、さん?」
白のカーテンが歪んだから、慌てて俯いた。
冷たい雫が、今年もう3足目となるハイヒールに落ちる。これはなんの涙だろうか。
「それくらい、察しなさいよ」
私がどれくらい怖かったか。ここに着くまで、どんな想像をしてしまったのか。
そして、そして今、どれほど安心しているのか。良かった、本当に良かった。
「…え? あ、あえ…はい」
「…察しはついたの?」
まだ、彼と目は合わさない。
「怒ってます?」
「自己管理のならない部下をもって私ったら気の毒だわ」
「こ、今度から気をつけます」
その言葉も何度目になるのだろうか。報告書の誤字脱字も、ドジして資料なくしたりも、少しずつ…少しずつ、改善されてきているとは思うけど。
「怒ってるけど、それだけじゃないわよ」
ぱっと顔を上げた。きょとんとしていた彼と目が合った。
私の頬を流れる涙を見て、とろんとしていた目を見開き、彼はみるみるうちに表情を変えた。驚愕、戸惑い…そして苦笑いを作った。
「すみません」 見かけによらず大きくて男らしい手が、私の手を包んだ。そのときほんの少し躊躇い気味に腕を伸ばしたのがなんとも彼らしい。 「…僕は、ここにいますから」
まるで私に語り聞かせるように言う。ただ私はそう言われただけなのに。それだけなのに悔しいほど嬉しくて、涙が出るほど安心する。
「僕が嘘つけないって知ってますよね」
「…この前のデート、絶対に誰にもバレてないって言ったじゃない」
一課の男たちに張り込まれていたみたいだけど。
「す、すみません。でもっ! 佐藤さんとのや、約束はなにがなんでも! 死んでも守ります!」
あまりにも必死に言ってくるから、ぷっと吹き出しそうになって、こちらも必死に耐えた。


あんなに不安だった気持ちも、闇の怖さも、あなたがいるだけで晴れていく。大丈夫、いなくならないと、私に示してくれるだけで―そう。私はこんなにも強くなれる。
笑顔を作れる、あなたと笑い合える。




「でも、高木くん。死んじゃったら私との約束を守れないんじゃないかしら?」


―私の前からいなくならない。
ねぇ高木くん。あなたはきっと、守ってくれる、でしょ?

題/配布元→MEMO 大森雪南様


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