多分落ちてるだろーなーという感覚。
発表までがつらいな。
ふとした時に淡い期待を抱いては、ありえないなと現実に引き戻される。
まだわからないけど。ね。
いやだなーとは思うけど、ああいやだなーと本気で思うけど、
それでも前に進むしかない。
この半年、先生に拾ってもらって、面倒見てもらって、去年は考えられないくらいのたくさんの考古の人たちと関わった。
なんて幸せなんだろうと思った。
周りの人に恵まれすぎて落ちたくないと思った、受からなきゃと思った。
そんな風に思わせてくれた人たちがいて、私は幸せだ。
でも受からなきゃまさにキレイゴトだな。
わからないけど、ただ本当に進むしかない。まだ人生は長いのか、もうあっという間なのか、わからないけれど。
描いたビジョンはどんどん崩れていくけれど。
0からのスタート、私はなにができる?それすらも本当にわからない。手さぐり状態で、なりたい姿を想像することもできないけれど、絶対にクサってはいけない。それだけは絶対に守って生きていきたい。
先生、先輩、その他支えてくれた人たち、そして、こんなちゃらんぽらんなムスメをほっといてくれる家族、
ありがとうござました。ありがとうござました!!!
続けている勉強。
やらなきゃいけない気がするべんきょー。
べんきょーしたいと思えるのしあわしぇーだなーーーー
母親の前で、あー!あと少し!がんばれ!私!ってヒトリゴト言ったら、
あんたもうそれ時間と戦ってんでしょ。
と言われました。
本当に、その通りだ。
勉強を頑張ってるというよりか、時間が過ぎるのをただ耐えてる。
わたしが受かりたいと思うのは、まわりに迷惑をかけてきたからで、面倒をみてもらったからで、
自分が本当にやりたいからじゃない。
多分そうなんだ。
確かに勉強は楽しい。知らないことを知るのは楽しい。
でもガッついて試験合格しなきゃやれないことではない。合格しなくてもできることなんだ。
だから惰性が全面的にでているのだろうな。
はー、この感情を認めてしまった瞬間に一気に楽になったかも。
無意味にガンバロウと言わなくてよくなったし、変な禁欲をしなくてもよくなったし、好きに勉強して好きに生きたらいいんだね。わたしは。
でもきっと人生はそんな風に進んでいくんだと思う。自分の確固たる意志で進んでいることってあんまりなくて、まわりに影響されてやってみたり、その気になってみたり。きっとそんなことの繰り返しだと思う。
そこに体裁とか、見栄とか加えてみたり、プライドとかも?
今さらわかるってわたしチョーダサだな。
"とりあえず"試験ガンバロというくらいなら、もういいんじゃない?
そんな試験ならもう"とりあえず"終わればいいんじゃない?
よっくわからないな〜、いよいよ。
きました、試験前の迷いの時期。
本当にもう諦めすぎて何も言えない。
迷ってる場合ではないし、勉強しろって感じだし、先生や先輩にあんなにお世話になっといて落ちるとかふざけてるし、バイトいっぱい休んでワガママ聞いてもらって落ちるとか人間としてどうかと思うし、彼氏を軽井沢に逃亡するまでに追い込んどいて落ちるとかもう…なに…
でもなに、私、勉強楽しいけど、自由にものを知ってくのが楽しいのであって、試験のために、重要単語覚えようとしてやる勉強は頭に入ってかないの!!!
それ、全然楽しくないし、やりたくないよ!!!!
だからもう、諦めてる、と言われたらその通りなんだけれど、
その楽しくないのを我慢してやるのが受験なんだと言われたら何も言えないんだけれど、
でもでももう自分が楽しいように勉強することにしました!
それで落ちてももう悔いないし、辛いまま受かっても、院生生活楽しいかもしれないけれど、、わからんけど、、続かないような気がしましたので、そうすることにします!
ええええいこの支離滅裂な文章を書いてやるぞ、投稿してやるぞ、どうせ誰も見てないのだからなーーーー!!!
とか言って、本当は受かって終わりたい。そんなのは当たり前田のクラッカー。古い。
受かって旅行行きたいし、お世話になった先輩とまた発掘調査したいし、先生の僕になりたいし、考古学者になりたいし、、、悔しさもある。
それでも、不思議ともっと勉強しとけばな、とかって思ってないかもな。自分なりに楽しく勉強してるから?自分なりに毎日とは言わないけれど満足して生きてるから?現状を受け入れてるから?
諦めとは言いがたい感情を抱いてる。不思議な気持ち。
でもまあとりあえず本当に終わるまで頑張りましょ。私。
もう少しだっー!!!