息がきれる。見馴れたいつもの裏路地が、月明かりの元でまったく別のものに姿を変えていた。
道に点々と残る血の跡もその原因の一つかもしれない。
その血痕を追ってどんどん路地の奥へ歩を進めていくうちに、暗闇の中で微かだが必死な息づかいが聞こえてきた。
やがてその息の主が姿を見せる。どうやら袋小路に入ったようだ。青ざめた顔がこっちを見据えている。
その目には恐怖の色がありありと浮かんでいた。
手にもった包丁を高々と振り上げると、人も街灯すらもない裏路地の静けさを切り裂くような、大きな悲鳴がこだました。
――どのくらい経ったろうか、血のしたたる包丁を握りしめたまま、雲の合間に見え隠れする月をいつまでも眺めていた……。
「……っていう、夢をみた。」
ここは月明かりのもれる裏路地ではなく、西日のさしこむ午後の教室。すでに授業も終わり、皆帰り支度をしているところだった。
「妙にリアルな夢だったな〜。健二はこんな夢見たことないだろ?」
今まで大人しく話を聞いていた健二は、さも興味がないというように鼻で笑うと、
「殺人の夢なんて見たくもないな。つーかそんなん嬉しそうに語るな、匠。」
と呆れたように言った。
この健二とは家が近所で、昔から仲が良かった。いわゆる幼なじみというやつだ。お互いの癖すらも熟知している。
例えるならば、健二は動揺している時咳き込んでしまう。このことを知っているの人はそういない。
そんな健二だからこそこんな話もできるのだろうか。いつの間にか自然と声が低くなる。
「しかもな……今朝テレビを見てたら……。」
と、ここで言葉を切り、一呼吸おいてゆっくりと言った。
「……その夢で見たことがニュースでやってたんだよ……。」
場所は替わって、駅前大通りである。
ここらへんは最近急激に大きくなってきたところで、少し道をはずれると細く複雑に分かれている裏路地にすぐ入り込んでしまう。
そのうちの一つを匠と健二は歩いていた。
正直にいえば、健二にはまったく信じられない話だった。こんなところまで付き合うのもめんどくさかったが、隣で目を輝かせて話す匠を見ると、どうも言い出せなかった。
昔から自分は意思が弱くて困る。あのとき断っておけばと健二は思いを巡らせた。
「本当に夢の中のことをニュースでやってたんだって!」
と、匠はさっきから何度も同じことを繰り返し言っている。いささか聞きあきてきた。
匠の話をまとめると、夢に出てきた路地というのは自宅から健二達の通う青山高校への近道としていつも使っている道だったらしい。
目が覚めても記憶がしっかりしていたらしいのだが、特に気にせずにテレビを見ていると、その中のニュースで夢の中で殺した人が本当に殺されていたということだった。
「それで、その殺人現場に行ってどうするんだ?」
話はすでに、夢の話から夢に出た場所に行ってみようというものにかわっていた。
匠はもう行きたくてしょうがないらしく、そわそわしている。
「そりゃあ、捜査に協力するに決まってるだろ。」
あぁ、あのとき断っておけばと、無駄な考えを巡らせる。
「見えてきたぞ。」
その声で健二は、ふと我にかえった。
見ると、細い路地にはたくさんのパトカーが止まっており、黄色いテープが行く手を阻んでいる。
「マジだったんだ…。」
これにはさすがに驚きを隠せない。思わず咳き込んでしまった。匠はそれを見て少し誇らしげだ。
と、そこに一人の警官が歩み寄ってきた。
「君たち、ここに入っちゃダメだよ。」
「いえ、違うんです。」
と、すかさず夢の話を切り出す匠。
しかし話が進むにつれ、警官の目が冷たいものにかわっていく。
「ただの偶然だよ。さ、もう帰りな。」
そう言うと、警官はさっさと元来た方に戻ろうとする。その対応が気に食わないのか、匠の声のボリュームが上がった。
「被害者は大通りで右腕を刺されてから、ここまで逃げてきて殺害されたんですよね!?」
すると、その声を聞きつけて一人の刑事が近づいてきた。
「ちょっと話を聞かせてくれるかい?」
という彼の申し出に、匠の顔がほころんだのはいうまでもない。
だが、二人が連れていかれたのは薄暗い取調室だった…。
続く