パンケーキ


過去など気にしない?
2022.12.2 17:00
「ふうん」
私の反応の薄さも気に留めず、母が歌いながら台所に入って来た。
しかも選曲。
「かーこなーど気にしないー」

私としてはもう少し過去も気にして欲しくはあるけれど、良いことも、嫌なこともあったので、なんとも言い難い。
ただ、母が協力金を貰っていたとするなら、その過去は気にしてもらいたいと思った。
「おめでとうございます」
私はそう言って母を出迎えた。
母はいつものように冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぐと、それを一気に飲み干した。
「ぷっはー。うめえ!」
母は美味しいものを食べるときや、面白いテレビ番組を見たときに必ずこの台詞を言う。
「それで、あの件どうなったんですか?」
私が聞くと、母は麦茶のお代わりをしながら答えてくれた。
「ああ、お金? 結局出なかったよ。だってあれ、ボランティアみたいなもんだったし。でもまあ、あの時は楽しかったねえ」
「そうですか……」
そうだろうか? それにしては、と何か言いかけたが、言ったところで意味が無いのだろう。
どちらにしても、今の母は負傷していて、まだしばらく働きに出ない。
私がどうにかしなきゃ。そんなことを思いながら、母の横顔を見つめていると、母が突然振り向いたので目が合った。
「ん? 何見てるの?」
「別に何も。それより、お母さん、今日から仕事行けるの?」
「う〜ん……無理かも」
母は腕を組みながら眉間にシワを寄せると、難しい顔をして考え込んでしまった。
今は私が家事をしているのだけど、家事をしていても仕事をしていなければお金が減っていく一方だ。
貯金と保険金だけで、どのくらい生活できるのか、考えると心が重たくなる。

 そもそも、母の負傷の原因は、会社のお局に言われるままに重い荷物を無理に持ったことによるものだ。
結局辞めることになってしまったが、断れば良いのにと思うのに無駄なところで貧乏くじを引く母は、馬鹿真面目に受けてしまった。
それだけじゃない、今までも、無駄なところで貧乏くじを引く母と、やけにいびってくる周囲によって何かと嫌な目にあわされた。
何故なのか、母の周りには執拗な嫌がらせをするお局とか、突然喚くジジイの出現率が高いのだ。

  そして今回もまた、不運にも、母が怪我をしたことによって家計への負担が増えてしまった。
年金も払って居るし、母だけならどうにかなるのかもしれない。

 それと――――私は此処に居たくはなかった。
とにかく少しでも早く働けるようにして欲しいのだが……
 なぜ、既に資産があって、既に働いている人に、自分には痛くも痒くもないからとアレコレ規制されて禁止されているのだろうか。
 私が此処に居るのも、あの人たちが押しかけて来たことによるものだ。本当に腹立たしい。
私は怒りに任せて食器棚を開けると、そこに仕舞われていたグラスを手に取り、そしてまた閉めた。
危ない危ない。ついカッとなって割るところだった。



「新聞は使わないでね、いい?」
ぼんやりしていると母は、徐に台所の隅においてあるゴミ出し用の新聞を漁りはじめる。新聞が少ない、とは言っていたが、給料もすくない、ので新聞を取りはしない。高いし。
「……何に使うんですか?」
「んー、ほら、占いとか、スポーツの結果とか載ってるじゃん。あれ見るんだよ。あたし結構当たるんだよね」
「へぇー……」
てっきり、懇意にしている暴力団の抗争情報でも見るのかと思った。
適当に相槌を打っていると、母の顔色が変わった。
「うわぁ……すごいねぇ……」
母の表情の変化には慣れているつもりだが、これはなかなか見たことがない。
「どうしたんですか?」
「日本負けてるよぉ〜」
確かに、それはショックだ。
サッカーは日本が有利だと聞いていたのだが、まさかこんなことになるなんて。なんて言ってみたけれど、サッカーにさほど関心が無いのでよくわからない。しかし、負けたということはわかった。
「まあ、こういうこともあるんじゃないですか?」
「んー、でもなんか悔しいなぁ……。こうなったら絶対勝ってもらいたいよ。応援しよう」
母はそう言うとテレビをつけた。昔から、こういうところがある。チーム、の話に、私を巻き込むような。
応援しているスポーツ選手のチームの結果次第で、機嫌と夕飯のメニューが変わるような。
チャンネルを変えると、丁度試合が始まるところだった。試合は日本の優勢のまま進み、そして後半35分くらいになってやっと一点が入った。
「おおおっ! 入った! 入ってるよ!!」
「はいはい、よかったですね」
「これで勝てるかな!? いや、このまま頑張って欲しいけどね!」
母が興奮するのが、おぞましかった。こわい。
母も、他の家族と同じタイプで、自分の吐いた暴言を覚えていない。
ADHDというやつではないか、と密かに思っている。


 それでも、それを差し引いても、外で《どこに居ても》いきなり騒ぐジジイとかに会うのは確かに異様な光景だった。
 引っ越しても、旅行先でも、いつでも、どこでも、誰かしらが母を見ている。明らかに。まるで監視されているかのように感じる。
母は気づいてないが、多分、そういう人が多いから、母は余計に目立つのだ。





「過去など気にしない、か……」


 今も続いている監視も、私への恐喝も、気にしないなんて、できたら良い。
そう思ったが、私はその日、眠れなかった。

 ベッドに入り、目を閉じていると、あの人の事が浮かんだ。
何処かで会った気がするけれど、何処で会ったのか全く思い出せない人。もしかしたら気のせいだったのだろうか。
「こんにちは」
「こんにちは」
 その人は何かを言った。
私は何かを答えた。
道を歩いていた、それとも、車に乗っていた? それとも、夢の中?

あの目。
綺麗な瞳だけ。
それだけが印象に残っている。
「あれは、誰だったのだろう」
それなのに、また会いたいと思った。そして、聞くのだ。





「あなたは、誰?」
そうすればきっと、何かがわかるはずだから。
「……え?」
目が覚めると、カーテンの向こう側が明るくなっていた。
もう朝だ。
あれは夢だったのだろう。
それにしても、不思議な夢だ。
何か大切なことを忘れてしまっている。そんな感じがしてならない。
「ん……?」
枕元に置いてあったスマホを見ると、通知がきていた。
メッセージアプリを開くと、友人からの連絡だ。
『おはよう!』
『おはよー』
『ねえ、今日暇?』
『暇だよ』

『じゃあさ、ちょっと付き合ってくれない?』
私は、特に予定も無かったので了承の返事を送った。

「ごめんなさい、お待たせしました」
待ち合わせの駅前に着くと、既に友人は来ていた。
「大丈夫。今来たとこ」
彼女はそう言って笑った。
彼女、と言っても同性ではない。男性である。
この人と知り合ったのは、私がSNSで呟いていたことがきっかけだった。
その日はたまたま、愚痴を言っていた。
仕事の人間関係について。
それを見ていた彼からフォローされ、そしてDMが来た。
そこから仲良くなり、こうして二人で遊びに行く仲になった。
彼はとても話しやすい人で、私の愚痴にも嫌な顔一つせず聞いてくれるし、たまにアドバイスをくれたりもした。
だから、ついつい甘えて、ついつい何でも話してしまっていた。
一部を除いて。

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