ワールドバディカップ開催前、オレはアスモダイと一緒にしばらく泊まっていたホテルが選手用のものになることを告げられた。
「って、ええっ?!じゃあオレたち宿無しってことかYO!」
「そうなるな、どうするテツヤ」
「ん〜…」
正直に言えば、まだまだロスで見ておきたいこと、ものが盛りだくさんだ。日本に帰るのは惜しい、でもホテルはないし。
そもそもオレたちが先にとまってるわけなんだから、後の世話もするのが普通じゃないのかな。しょうがなくホテルのカタログを見ながら不満をこぼす。国が違えば都合も違うんだろう。アスモダイの条件に合うホテルはどこもかしこも膨大な価格、これはもう日本に帰ったほうがいいんじゃないか?と思ってしまう。
でも、ロスにはいたい。
カタログは早々に閉じて、笑いながらベッドに寝そべった。時刻は6時、にわかに街が賑わい始める。
もう暫くすれば灯りがついてあたり一面は星空のようになる。人間が作り出した虚構の星だ。
「アスモダイ、日本帰ろうYO……」
窓の外を見ると寂しくなってそう漏らしていた。
「そうか、わかった」
「でも、…牙王のファイトを見た後がいいYO。一回戦で充分だから」
そう約束した。
アスモダイが交渉してくれて、少しの間ホテルに泊まれることにはなったけど、牙王のファイトが終われば帰国しなくてはいけなくなってしまった。
夜風に当たろうとバルコニーに出る。
果たしてもう数日でこのホテルを後にしなければならない。寒さを感じて腕を擦ってみても、なかなか暖まらなかった。内へ入りたくても、なんだか入りたくなくて、本当はわざと鍵を壊したくなるくらいだ。だんだんと人の居なくなっていくホテルはきっとすぐに、選手のために変えられる。きっとどこかの部屋で牙王も泊まるのだろう。吐く息こそ白くはなかった。
ピンポン。甲高いチャイムの音が現実に引き戻す。アスモダイかな、じゃあチャイムなんて鳴らさないかな。どっちにしろ今はオレだけなのだから、対応をしなくちゃ。
窓を開けて、部屋に入ると暖房がつけてあるのかじんわりと暖かい。いやむしろ暑いくらいだった。怪訝に思ってパネルを見たかったけれど、それよりもインターフォンの前にいる誰かの対応をしなければ。セキリュティ万全の高級ホテルだから、部屋の中から玄関の外の様子は見れる。
「、え」
そこに居たのは。
「あらがみ、せんぱい……?」
もちろんオレはドアに向かう、そしてインターフォン越しで俯いてなにやらブツブツ言っていたあの人を部屋に招いた。倒れこむように入ってきた先輩は、やけに暑かった。そんなに外暑かった?ううん、寒いはず。
というか、なんでオレの部屋に先輩がいるんだろう。聞きたいことは山ほどあるのに、先輩は無言のままオレの肩に顎を乗せて、ゼェハァと荒く息をする。とりあえずソファに運ぼうかな、と少し長い廊下に目を移す。ソファのあるリビングよりも目の前にある寝室に運んだ方が早いかも。
「荒神先輩、お願い、ちょっと歩いてYO……」
「あぁ……」
久しぶりに聞いた声はどこか熱に浮かされているような声色で心配になる。寝室に入るやいなや違和感に気付いた。幾ら何でも暑すぎる。なにが起こってるんだろう。先輩をベッドに座らせてから、空調を見に行こうとしたら手首を掴まれた。汗ばんでいて熱い掌に、胸が高鳴る。
もちろんその先は言わずもがなで、オレはベッドに縫い付けられるように押し倒された。極度に暑い室内で異常に熱い体温の身体が、ますます熱を帯びる。オーバーヒートを起こしそうなくらいなのに、このままじゃ。
ばちん、と目があった。いつもの強い意志のある目じゃない。んー、会うのは久しぶりだしそこまで近い関係じゃないはずなんだけど。それでも確かにイメージの中にある荒神先輩とはかけ離れている。そう、まるで蕩けたような青い瞳は妙に熱を持っていて、先輩の体全部が熱源みたい。
褐色の肌も紅潮していて、包んでる空気がポワポワと何か浮いている。
「……せんぱい、もしかして酔ってる?」
鼻をくすぐるのは甘ったるく、でも苦みのある匂い。ほとんど確信を持って問いかけると、酔ったときの特徴的な上擦りで肯定してきた。未成年なのに。
俺を見下ろしていたかと思えば、突然首筋に舌を這わせた。
「っ、ぁ……ッせん、っぱい」
「塩っぱい」
荒く息を吐いて、舌をちろりと見せながら、味の感想を教えてくれた。
「なにっ、飲んだんだYOォ……」
「バナナカルーアミルク、バナナオレだって言われたんだ」
「っぷ、ふふっ……なにそれ」
久しぶりにあったのに、お酒のおかげでやけに素直だ。先輩は、オレの代名詞の「バナナ」のついたドリンクを飲もうとして、間違えてアルコールを飲んだ、だけ。それだけの話。
もちろん、先輩の酔いはそこまで深くはない。かといって軽いわけでもなかった。だから、一杯じゃないはずだ。途中から、お酒だと思って飲んでる、しかも何杯も……オレがちょっとでもイメージできるお酒。
よほどお酒が甘かったのか、何度か首筋に顔を埋めて舌を這わせていた。塩気が欲しかったんだろう。室温はまるで真夏のようで、どこまでも上がっていく。汗はもうじんわり、なんて表現じゃ足りないくらいびしょびしょになっていた。
Tシャツと肌の間に手が滑り込んでくる。温くて、むしろ気持ちよいくらいの体温。先輩、そんな体温高くないんだ。と改めて実感しながら、背中を持ち上げられる。
「っ、暑いな、」
「だよね……」
やんわり覚醒しつつある先輩は、体感温度が酒によるものじゃないことに、俺の体を触って気がついたらしい。汗でぐちゃぐちゃのシャツが気持ち悪くて、脱ぎたかった。手を止めた先輩はフラフラと辺りを見渡して、空調パネルを見つけると、俺から離れるように立ち上がる。
暑さに完全にやられたせいで、四肢をベッドに投げ出す。もうシーツも熱くて、涼しいところなんてどこにもない。アイスを頬張っても足りないくらいだ。もしかしたらバナナも元気がないかも、と自分の頭を触ると、やっぱりどうしてその通りみたい。
「ッ、……おい、テツヤ……消えない」
「へ?」
「暖房だ……30℃になってる」
「暖房なんて使ってないYO?」
パネルを数度タッチする様子の先輩も、だんだん眉間にしわを寄せて、最後にはパネルの横の壁を殴って踵を返す。
故障かな。だとしたらなんだ、フロントに連絡でもすればいいのか。うん、そうなんだけど……どうした?英語、話せなくて。あぁ。
「荒神先輩、お願いだYO…外国育ちなんだし」
「生憎だが俺も英語は」
「嘘ッ……」
「残念、マジだ」
暑いと漏らしながら、タンクトップでなんとか風を体に送り込もうとしてるけど、上手くいかないらしくて、苦虫を噛み潰したような顔をする。冷蔵庫の中のものを取ってきて口にしたところで、焼け石に水なのは明らかだ。困ったな。
打開策はないか、と唸ってると肩に手を置かれた。酔いが覚めたわけではなさそうで、まだ目が据わってる。それでも冷静に、口を開いた。
「バルコニーなら涼しいだろ」
言葉を聞いて理解するまでちょっと掛かった。
さっきまで自分たちがしてた行為を思い起こすと、先輩が求めてるのは続きだし、その続きを、もしかして、外で。たしかに、超穂高とか戦国学園とか何回か外でしたことはある。俺は唾を飲み込んで先輩の顔を覗く、何かギラついた目、思わず鼓動が高鳴る。期待するように、ゆっくり、肯定した。
誰がバルコニーに出てくるかなんて、わからない。それがいつなのかも。もし、他の部屋でも同じように空調の故障があったら?考えただけで、怖い。でも、それ以上に異様に興奮する。こんな体験きっと、もう、できない。縋り付くように先輩の背中に手を回す。まだ少しほろ苦いお酒の匂いがした。