一年に一度、胸を張って外を歩けない日。
その日ばかりは肩身が狭くなり、上手く息をするのも辛くなる。普段、何気なく歩く道も、どうも何か見張られているように思えてしまう。
彼は、誕生日が嫌いだった。
可愛らしい包装紙に包まれたプレゼントボックス。最後のリボンはせめて自分の手で、と彼は青のリボンに悪戦苦闘していた。ふわふわとした髪を揺らしながら、頬にきらり、と汗が流れる。
「あっ、もうこんな時間かYO……」
こんがらがったリボンを解きながら、時計に横目をやると、針はもう4時。そろそろ会いに行かなければ、この季節では辺りは真っ暗になってしまう。今日、会わなければいけないのに。ますます焦って、上手く結べない。
どうにか形を作り上げた歪なリボンは、祝いには相応しく思えない。彼は泣きそうな気持ちをどうにか堪えて、机の上に置いてあった自分のスマートフォンを手に取った。
あ行、…3番目。コール二回目、で相手は出る。
「もしもし、先輩」
「…お前か」
「うん、今平気かな」
少しの沈黙の後に、いいやと珍しく否定。
「え?」
「悪い、今日は外に出る気は無いんだ」
冷たく引き離すような言葉に、彼は驚いたように何度か声をあげる。電話の相手もその様子に困ってしまって、もう一度申し訳なさそうに断りの一報を加える。
暫く、彼は何か決め込んだように、息を吸う。
「じゃあ、オレ、今から臥炎タワーに行くYO」
「は?」
「先輩、…ううん、今はウルフだよね、大丈夫!持ってくだけだから」
なにを、と返事をする前に、彼が電話を切ってしまった。彼はといえば、急いでコートを着込み、玄関で靴を履く。冬の夕暮れ、この街でひときわ高いタワーに向かって走り出した。
時間はもう5時。流石に外も暗がっていて、帰りが怖くなるくらいだ。息を整えて、ついでに服も整えた。
入り口は自動ドアで、タワー内はスーツを着た大人が慌ただしく動いていた。彼はぼんやりそれを見ながら、当たり前のようにタワー内に入った。どうも今日は大事なイベントがあるらしく、どの人も忙しく話している。受付にたどり着いても、受付嬢が見当たらない。
「あの、」
「あら、君もキョウヤくんのお誕生日をお祝いに来たの?」
え。声を掛けたら、すぐさま疲れ気味の受付嬢が、彼の方を向いて微笑んだ。それから、キョウヤの誕生日、と言って彼の手を引いた。
彼の目的は、キョウヤの誕生日ではなかった。
奇しくも、誕生日が同じなだけだ。電話の相手はキョウヤではない。彼女に導かれるまま、たどり着いたのは煌びやかなホール。豪華絢爛な装飾と、多くのプレゼント、誕生日を祝う人々。政治家、ビジネスマンから、所詮モデルと言われる美人なんかも。彼は目を大きく開いて、おっかなびっくり辺りを見回す。ドレスコードがあるのか、皆が皆正装をしていて、彼は中でただ一人、普段着を着ていた。
ホールの真ん中にある玉座のような椅子に、足を組んで座っている臥炎財閥の総帥、臥炎キョウヤ。周りと空気の違う彼に気がついたのか、視線を送った。彼の反応に快くしたのか、玉座を降りて、彼のそばに近寄ってくる。
「やぁ、君も祝ってくれるのかい」
そんなわけない、と噛みつこうとしたがやめた。今日は、先の彼の誕生日でもあるし、それを祝いに来たのだ。もちろん、キョウヤなら知っている。
「お前の飼い犬は、ウルフも今日が誕生日なんだろ」
「意外だな、話していたのか。あれと出会ったのが今日だったに過ぎないよ、本当に生まれた日なんていつかは」
「そんなことはどうだっていいんだYO、今日は先輩に会いに来た……会わなきゃいけないから」
「そんなに睨まないでくれるかな、うん…ロウガ、ロウガね。その前に一口どうかな。パティシエは一流だから味は保証するよ」
唇に突きつけられたケーキは桃色。舐めるような赤い瞳が、彼の口を開く。薄く開けた口に、甘いストロベリィクリィムが飛び込んできて、それからすぐに弾けるパッションフルゥツ。妙な組み合わせなのに、お互いを引き立てあう魅力的な味だ。とろり、ととろけてしまいそうな感覚に、彼は膝をついた。
「なに、」
「ロウガに会いたいのなら眠るといい」
もう一度、キョウヤを睨んでやろうとしたが、先ほどのリボンの疲れが相まって、反応できずに、持っていたボックスを落とした。中には、彼が慎重に選んだロウガへのプレゼントが収まっている。
「ロウガ、僕からの誕生日プレゼントだ」
「なにが誕生日だ…お前が勝手に決めたんだろ、それにオレの名は、」
一人、暗がりの部屋でこうべを垂れていたロウガは、キョウヤの気配に振り向いた。そしていつにも増してネガティヴな返事を返しながら、その誕生日プレゼントに、青い目を開く。
「お前、」
「彼がやってきたんだ。健気だね」
恭しくキョウヤが姫抱きで連れてきたのは、確かに先ほど「会いに行く」と電話をしてきた後輩だった。それはもちろん、ロウガにとっては大切な相手で、彼が抱えたプレゼントボックスにも目を引かれた。
ロウガの腕の中に彼を置くと、態とらしく肩を回した。なぜ、こいつは眠っているんだ。いや、ケーキの毒味をやらせたら当たったみたいでね、別に強い毒じゃないよ、体が幼いからすぐ反応しちゃって気絶しただけ。キョウヤ。依存性も中毒性もないよ、そんな怖い顔しないで、ロウガ、それにいいだろ据え膳食わぬは男の恥って、ね。俺は弱った奴をどうこうと言った趣味はない。
「そう、まぁ、いいや。それじゃあ…後で、ケーキとシャンパンを持って来させようか。いちごがたっぷりのさ……だから、もう薬は盛らないよ、約束する」
睨み続けていたロウガをひょろりとかわし、冗談交じりに文句を返す。それで、キョウヤは部屋を後にした。そういえば、このドアノブは捻らないと回せないのに、どうやってこの部屋に入ってきたのだろう。外界を完全にシャットアウトしたくて、ドアなんかに興味を示さなかった。
眠っている彼を持ったままなのはかわいそうに思い、自分のベッドに寝かせた。キョウヤの部屋ほど豪勢ではないが、値は張る逸品だ。眠っているからか、あの軽いはずの身体も重みを持っている。キョウヤもキョウヤだ。眠らせる必要なんてなくて、こいつをただ俺の元に案内すればよいだけだったのに。ベッドが冷たかったのか、眉根を寄せた彼の顔が面白くて、まだ小学生らしい頬を撫ぜた。
「てつや、」
名前を呼ぶ。彼、テツヤは、ロウガと晴れて恋仲になっている。もちろん、相手の誕生日を祝わせて欲しいと、せがんだのはテツヤで、早生まれだと笑いながら初めて自分から、キョウヤに割り当てられた誕生日を告げた。
反して、テツヤの誕生日をロウガは知らない。頑なに教えてくれないのだ。代わりに、いくつか記念日を設けて、その度に食事だ、外泊だ、とイベントを起こしているが、ロウガもまたテツヤの生まれた日を祝いたかった。それは、自分が本当のそれで祝われないことをわかってのことだ。
ロウガはテツヤの唇に自らのをのせる。度々舌を入れながら、何度も角度を変えて口付けた。その度に、テツヤ、テツヤ。と甘く名前を呼ぶ。口の中は食べらされたケーキの味が残っていて、甘かった。
「ン、ぅ……」
しばらく、もう何度目のキスだろう。テツヤはようやく反応して、苦しそうに悶えると、薄く目を開いた。緑の、まるで宝石のような、魅了する輝きを孕む瞳が、ロウガを捉えると、テツヤは半覚醒のまま顔を真っ赤に染めた。
「うるふ……なんで、」
「誕生日、だからな。」
ロウガはわけもわからず固まるテツヤの隣に体を滑り込ませると、その身体に手を回す。抱きしめるような形になると、優しくも、しかし離そうとしない力で、ぎゅっと腕に力を込めた。
まだ頭の回っていないテツヤだったが、思い出したように腹の上に置かれたプレゼントボックスを手に取ると、ロウガの腕をトントン叩いた。そして体を捻らせ、向きを変える。ちょうど、顔が向き合うように。
「先輩、誕生日おめでとう!これ、プレゼント。…」
テツヤが差し出した黒色のボックスを素直に受け取った。開けにくい、とテツヤを抱きしめていた腕を離し、上体を起こした。解放されたテツヤは、コートとマフラーを脱いで、暑そうにパーカーのファスナーを少し、下げる、
ぎこちないリボンが可愛くて、テツヤの顔を寄せさせる。おまえが作ったのか、揶揄いそういえば、テツヤは少し寂しそうに、うん。と答えた。
「お店の人の包装じゃ、オレの気持ち全部は、伝わらない、から」
しばらく離れていたことを思い出して、胸が急に熱くなる。ロウガはこのリボンに込められたテツヤの真意を知って、リボンを解けなくなってしまった。しょうがなく、作ったであろう箇所をなるべく壊さないように外すと、箱自体はシンプルで、包装紙を剥がせば中身がすぐに見えた。
香水と指輪。高いものではないが、小学生がやれそれと買えるものでもない。どうして、とテツヤを問い正そうとしたがやめた。愛おしそうに香水を見つめている。ロウガは、その香水を手に取る。
「バナナ、ミルク…」
「バナナの匂いの香水だって、あの……先輩が、よくオレの首筋に顔を埋めて匂い、嗅いでるから。会えない時も、辛くないように。一応、ちょっと調合工夫して、オレの匂いに近づけてるYO」
手の中の香水を掠め取り、テツヤは部屋の中で軽く香水をプッシュした。
あたりにバナナの甘い香りが漂う。しかし、ただ甘いだけではなく、すんなり入ってくる爽やかな香りだ。調合をしたという通り、市販品ではなさそうだ。
「指輪は…マジックワールドで作ったんだYO。魔法と、オレの気持ち、織り込んだから……受け取って」
「お前からもらうことになるとはな」
指輪を玩びながら、呟く。銀色の目立たないリングには、青い石が埋め込んであった。いつの間にマジックワールドに行ったのやら、しかしそこから漏れ出る粒子は本物の魔法らしい。多少の魔法を習得したのだろう。
魔法が込められていようが、ロウガには関係ない。
指輪を贈るのは、自分が行いたかった。指輪は女性へ男性が誓いのために贈るものだ。テツヤを女性として扱っているわけではないが、ただ自分が与えたいものだったのだ。指輪も、香水も、もちろん誕生日プレゼントも。与えたいものばかりなのに、テツヤは自分の隙を見せない。いつも隙ばかりのような雰囲気を醸し出しているのに、こちらが狙おうとしてもなかなか手を出させてくれない。
ロウガは強く指輪を握りしめると、荒く息を吐いてテツヤの方を向いた。
「テツヤ、」
「ん、なに」
「俺はずっと、自分の誕生日が嫌だったんだ。キョウヤと同じ日、昔こそ一緒に祝われていたが、いつからかあいつは財閥の総帥になり、誕生日の形も変わってしまった。それから、同じ誕生日で兄弟として育っている俺を疎ましく思う人間も増えた。俺にとって、生まれた日も、名前も、立場もなにもかも全ては、キョウヤがきめたこと。俺が決めるもの、俺を決めるものなんてこの世界にはない、そう思っていた」
指輪を持ち変えて、指にはめる。サイズは不思議とピッタリ合って、まるで魔法のようだ。
「黒岳テツヤ、まさかお前が、俺だけを決めてくれるなんてな」
はにかんだ顔は、何のしがらみからも解放された優しさを持っていた。思わずどきりとする。テツヤが今まで見たことのないロウガの顔だ。自分が選んだプレゼントが間違っていたわけでも、その行為を咎めるわけでもない。ただ、ロウガにとってはテツヤが自分の誕生日を祝ったという事実だけがはっきりと残っている。
ロウガは少し体を起こしていたテツヤの体に腕を巻きつけると、もう一度ベッドに横になる。本物の匂いは、香水よりも濃厚だ。体の感触もあって、テツヤを離せそうにない、
「荒神先輩、誕生日おめでとうッ、」
抱き締める腕を見て、嬉しそうに祝いの言葉を投げかける。
「感謝してる…ありがとう」
ぶっきらぼうでらしくもない感謝の言葉が、テツヤにはやはり嬉しいようで、抱きしめられながらくすくすと笑った。
思えば夢のような時間だった。あいつはいつだって素直で、まっすくで、俺に対して唯一。変わらず輝く指輪に目を移す。変わらない希望の光のように、いつまでも純粋に追い続けるのだろうか。ロウガは、考えて、バカらしくて笑った。