ただ、落ちていく。所謂自由落下である。辺りは真っ暗で、自分がいることしか認識できない。上下左右の感覚はなく、落ちていくという実感だけがそこにある。元居た場所から随分と離れてしまったようだ。段々速くなる自分の体と、いつ衝突するかという恐怖だけがある。
僕は、死ぬのだろうか。

―死。

そこに恐怖はない。だとすると、僕は何を恐がっているのだろうか。





目を開けると、薄暗い中に見慣れた天井があった。汗でTシャツが張り付いているのがわかる。自分の荒れている息がやけに部屋に響く。息と心拍を落ち着け、一息吐き、体を起こして、時計を手にとる。デジタルの時計は五時ニ十二分を示していた。ちなみに気温は二十度四分。汗が冷えてきて寒い。ベッドから下り立ち上がる。少し立ち眩みがするが、それに耐えてキッチンへ向かう。食器棚からコップを取り、水道水を汲み、一口だけ飲んだ。

ここは、僕の部屋だ。一年前から住んでいる六畳一間。確かに、ここが僕の部屋だ。

放心していると、枕元に置いていた携帯が音を立てて振動し始めた。「何か」に躓かないように慎重にベッドに戻り、携帯を手にとる。どうやら如月からのメールのようだ。こんな時間に。しかも内容は一行だけ。「大丈夫ですか」と。可愛らしい絵文字も何も入ってはいない。あいつは僕の部屋に監視カメラでも仕掛けているのだろうか。一瞬探す素振りはしてみるものの、見付からないことは明白なので、携帯に目をやり、大丈夫だという旨の返信をする。
汗だくのシャツを脱ぎ、その辺に放り投げ、クローゼットから新しいものを取り出して着る。携帯をベッドに置き、自分も腰かける。このままもう一度寝ようか、はたまた、起きておこうか、微妙な時間である。しかし、いざ寝転んで目をつむると、落下の恐怖が蘇る。
目を開け、天井を眺めながら考える。あの落下は、なんだったのだろうか、と。
―あの恐怖は、なんだったのだろうか、と。
そうこう考えていると、再び携帯が振動した。慣れた手つきで片手で開ける。
「私はここにいるから大丈夫です。どこにも行きませんから」
ディスプレイにはそう表示されていた。
携帯を閉じ、元あった場所に置き直す。が、再び開けて、さっきのメールに返信をする。
「ありがとう。頼りにしてるよ」

僕は秋の夜長に、再び眠りにつく。