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(1)

始めの一週間は、方法について考えた。
飛び降り、事故、服毒、飢え、出血多量、エトセトラ。
どれもこれもが魅力的に思えたが、自分にぴったりなものは一体どれだろうか。多すぎる選択肢は幸福度を下げるとは、よく言ったものだ。ネットで色々と調べてみたものの、選択肢がありすぎると、決めきれないし、上手くはまとまらない。でも、これは私自身のことだ。しっかりと考えて決めなければ。私は、私とは、一体何なのだろうか。
そうだ、まずは私がどんなふうに生きたかを考えて、何を避けてきたのかを考えて、選択肢を削っていこう。
まず、出来るだけ他人に、家族に迷惑はかけたくないことを考えると、部屋を汚したり、何かが壊れるようなものは理想ではない。そう考えると、外での実行がよりベターだろう。
そこで、一番初めに消えたのは、事故だった。何より相手に迷惑がかかる。それはこちらの意図することではないし、不幸は私だけのものだ。
それから、できるだけ苦しみたくはない。ひと思いに、というのが、私にとってはより良い。服毒や飢餓もパスである。失敗すればただただ痛いだけになる予感がする出血多量も、止めておこう。
最後まで、樹海に迷い込んで、人知れず飢えていく、という案は魅力的ではあった。誰もいないところで、わたしのことを誰も知らないところで、私のことを認知すらしてもらえないような場所で、ひっそりと、空気と同化していくように、存在をすり減らす。でも、結局はその案は勃となった。恐らく空腹には私は耐えられない。食べ物を求めて人里を訪ねてしまう。そんな失敗は、きっと目も当てられないだろう。そんなやり方を完遂できるほど、私の精神は強靭ではないことは、こんなことを考えてる時点でまさに自明だ。
それに、自分がいなくなったことを、しっかりと誰かに伝えたい。樹海でひっそりと、なんてことになったら、誰も私がそこにいたことに気付かないし、私の存在自体が、人々の記憶から段々と摩耗していってしまうだろう。私はここにいたのだという事を伝えたい。
では、街中の喧騒に紛れ込むように、人を避けて飛び降りるか。いや、それはよろしくない。誰にも知られないのも嫌だけれども、人目に付きすぎるのも、事だ。人々の記憶から消え去るのは御免だが、こびり付いてしまうのはもっと御免だから。
それならば、寂れたビルの屋上から、この身を投げ出してしまうというのはどうだろうか。うん、それがいい、それが素晴らしい。誰もいない時間を見計らって、私は飛んで、朝のジョギングに精を出しているような人に見つけてもらおう。きっとそうすれば、私は、救われるのだ。

そんな風にして、私の初めての自殺は、寂れたビルからの飛び降りに決まったのだった。



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