遠い残響に耳をすませて

雨が降っている。
とても落ち着く。

家から研修所に戻ってきた。 
いろいろな悩みがまるでなくなったかのように、くだらない話で友達と笑いあえるときがある。
そのとき悩みはなくなっているのかというと、ちがくて、心の中に、脳内に、存在している。
それでも笑顔になれるときがある。
そんなふうに笑える私、私と笑ってくれる友達、そう考えるとかけがえのないものだと知る。

今を生きるっていう言葉が好き。
carpe diem 
seize the day
知ったのは大学のときだけど、今でもあの講義が心の奥底に沈んで、私の血肉となっていてくれればいいなって思う。

私は未来のことを心配している。
恐怖している。
戦慄している。
まるで今起きていることかのように、泣いてしまう。 
「食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから」
この私が明日も継続してる保障なんてない。 
でもだからやっぱり、明日死ぬように生きなきゃいけないんだ。

若くてかわいい今死にたいと思う。
でもそれだと大切な人が悲しむ。

一番大切なものを思うと、モテとか男とか本当にどうでもよくなる。ていうか全てがどうでもよくなる。
だからこまごました悩みごとは心底どうでもいいし塵ほども思考のリソースを割く必要性がないし命を使うのが無駄。
って思うときがある。

結婚とかも全部そのため。
自分起点で考えると本当にどうでもいい。というかこれ以上大切だと思う存在を増やしたくない。抱えたくない。
失ったときにつらすぎるから。
私のせいで、大切な誰かが悲しむのがつらい。

終わりが苦手。
なにかの終わりに立ち会うのが苦手だ。 
ささいな終わりでもムリ。
でもみんな普通の顔して生きてるのよね。つらさとか悲しさとか押し殺して。
だったら自分すらわけわかんなくなるのだって、別に不幸なことじゃないかもしれない。
でもそんな考え方って悲しすぎる。
ウールの第二作目を思い出した。

あーとりとめもない。寝なきゃ。