あたしに父はいない。いや。居なければ“あたし”というモノは、存在出来ないんだけれど、あたしには、父はいないのだ。
というのも。あたしの母は、かなり自由奔放な性生活を送っていたようで。その過程で、ひょっこり生まれてしまったのが、あたしだそうだ。
彼女は、望まなかった子供だった割に、あたしを愛してくれた。
彼女の両親、つまり、あたしの母方の祖父母たちとは縁を切られてしまったそうだが、彼女は案外と幸せそうに、生活していた。
彼女が死んでしまった今でも、よく思い出すのは、彼女が作ってくれた、唐揚げの味だ。彼女は、それを
『あたしのママの、味なんだけどねー』
と、嬉しそうに、あるいは、照れたように言っていた。
彼女は、彼女の母を“ママ”と呼んでいたが、彼女は、彼女自身を“ママ”等とは、決して呼ばせなかった。それは、きっと。ただの憶測でしかないのだが、彼女は、彼女自身が母親である資格が無い、と考えて居たのでは、と思っている。
娘であるあたしからすれば。あたしの母親は、彼女以外にはありえなかった。彼女は、良き相談相手であり、良き友であり、良き母であった。
何故なのだろう。彼女は、ある日唐突に、自ら命を絶った。
飛び降り自殺だった。
警察に呼ばれ、頭の割れた彼女を見ても涙は出なかった。今思えば、心が追い付いていなかっただけなのだろう。彼女が一番大切にしていたピアスが、彼女の耳許で血濡れになっていた。
彼女の葬式でのことだった。彼女の両親が現れたのだ。彼等は、あたしを見ると、泣きながら言ったのだ。
『ユリカの若い頃に良く似ている』
と。当たり前だろう。あたしは、彼女の娘なのだから。彼等はあたしを引き取りたいと言ってくれた。けれど、彼女が死ぬまで、あたしの顔を見にこようともしなかった彼等とは、暮らしたくなかった。だから、断った。
彼女の死にまつわる行事が終った翌日。あたしは、一人、彼女の死に場所にいた。感傷に浸るためではなく、彼女の血液で汚れたその場所を、綺麗にするために。彼女の血で汚れたピアスを耳からぶら下げて。
一人で黙々と作業をしていると、本当に、あたしは、ただの独りぼっちになってしまったんだなぁ、と感じた。
その時初めて、彼女の死に関して泣いた。寂しさからか、切なさからか、怒りからか、やるせなさからか。
「手伝っても良い?」
その台詞は、娘が母の料理を手伝っても良いか、と聞くような、軽薄さだった。
「あたしが、何の為の掃除をしているか、ご存じなら、どーぞ」
あたしは、洟をすすり上げ、無愛想に言った。
「ユーリの血でしょ、知ってる」
ユーリというのは、彼女の愛称だった。生前、彼女は言っていた。
『あたしのことを、また、ユーリって、呼んでくれる人が居たら、結婚するんだけどなー。そうそう、このピアスねー、その人がくれたんだよー』
あたしは突っ込んだことは聞かなかったけれど、彼女が最も愛した人だったのだろう、とは、予測がついた。だから、死に際ですら、ピアスを身に付けていたのだろう。
「あんた、彼女の、何?」
あたしは、作業をする手を止めて、その男を見た。背はあまり高くなく、眼鏡を掛けていて、黒髪の癖っ毛で、彼女の趣味からは、かけ離れていた。そこで僅かばかり、動揺した。
「その物言い、ユーリの生き写しみたいだ」
その男は、笑っていた。
「ざけんな! ユーリが死んだってのに、ヘラヘラしやがって!!」
あたしの発言は最もであったはずだった。けれど、その男は、哀しそうに笑う。
「ユーリが『あたしが死んでも泣いたりすんなよ』って、言ってたから、泣けないんだよね」
そんな物言いこそ、彼女そのものだった。
「…ちち、お、や?」
そうであって欲しいのか、そうであって欲しくないのか。あたしは、わからなかった。
「多分、正解」
「…た、ぶん、て」
「ユーリは、一番大事なことは、なんにも言わないで、居なくなっちゃったから、さ。でも、そのピアス…」
「……ユーリの一番のお気に入り」
あたしは、ピアスを耳からはずし、軽く握り締めてから、その男に差し出したのだった。
***
後々、その男から聞いた話だと、彼女と、男は結婚する予定だったらしい。だが、子供ができたり、彼女や男の両親が反対したり、と、まあ、色々、邪魔が入ったそうだ。
彼女の、性格や、やって来たことを勘定に入れれば仕方ないだろう。
そして、気付けば。ユーリは行方不明。で、ユーリの消息が掴めたのは、死んだときだった、と。そうなるらしい。
つくづく、自由な人だったんだ、と彼女について、思う。あたしも、そんなところを、受け継いでいるようだ。悪くない。そして、父から受け継いだのは容姿のようだ。
あたしに母はいない。いや。居なければ“あたし”というモノは、存在出来ないんだけれど、あたしには、母はいないのだ。彼女は死んでしまったから。
なぜ彼女が自ら命を絶ったのかは、未だに定かではないが、一つ二つ思い当たる節がある。
一つは、あたしの父親を探したかったのかもしれない。
もう一つは、彼女も色々抱えていたんだろう、と、至極普通の発想だ。
もし、一つ目の理由だったとすれば、彼女の思惑は成功したと言えるだろう。あたしは今、恐らく父親だと思われる人物と暮らしている。
そして、あたしは、彼女の生を消えぬように、書き留めたのだ。
end
話題:SS
12/06/17