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ガラクタに宝物の続編、未完
*男色青髭と航海士
*救いなし、色々と危ういです
いっそのこと、鞭で叩けばいい。背中の皮膚が剥がれ落ちてしまうほど、強く力を込めて撓らせればいいのだ。全身を巡る血液は沸騰しそうに熱く、動いてもいないのに心臓の早鐘が鳴り響く。
落ち着けイドルフリート、殆どは吐き出した。
プラシーボ効果という作用がある。何の効果も持たない唯の水でも、薬だと信じ込めば実際に変化が現れる。つまり、思い込みが肉体への変動を促進させるのだ。脳は自分が思っているよりも騙されやすく、常に冷静であることを心掛けなければならない。
冷静であれと念じる一方で、喉の渇きが酷くなる。じわじわと額に浮かぶ脂汗は気持ち悪く、身体に纏わりつく服も嫌悪感を募らせるしかない。皮肉だがぐらぐらと揺らぐ意識を保てるのは、眼前の男に屈しないという意思のお陰だろう。
「ふむ、静かだな。先程までの囀ずりはどうした。それとも、もう降参か」
金細工の薔薇が飾る豪奢な椅子に腰掛けた伯爵は、退屈げに声を投げる。肘置きに頬杖をつく姿は、道楽をし尽くした貴族そのものである。
まるで玩具箱をひっくり返したかのような部屋において、骨董品めいた椅子は異質でしかない。私は無言に徹し、どうにか足枷を外す術を模索する。部屋の片隅から繋がれた鎖は片方ずつ足首に固定され、立ち上がることは出来るが逃げ出すことは出来ない。
そして、気付く。
伯爵の上着の下、腰に吊るされている、鍵束の存在。あの中に、含まれているのではないか。この不愉快極まりない空間を打破するには、ただ時間の流れに身を任せているだけではいけない。
一か八か、賭けてみるか。
じゃらりと鳴らした首に掛けた十字架に、あの男を真似て願掛けた。相変わらず荒い呼吸を吐き出して、冷静な頭で誘いを投げる。身体を起こして気怠げに、さりとて伯爵に視線を向けたままだ。
「なぁ、青髭公。君は確か、私を愛でると言ったね。しかしこうして鑑賞しかしないとは、些か興醒めなのだが」
「……ほう?」
「どうせならば、触れてみたまえ」
汗で張り付いた髪を掻き上げて、挑発的な言葉を投げた。単に従順なだけでは伯爵は乗ってこない、それは把握している。なので訝しげな眼差しを受け流して、喉を震わせる。心の底から、嘲笑する意味で。
「それとも稀代の伯爵様ともあろう方の、ご自慢の槍は廃れたのかい?」
無謀な賭けだが、勝算はある。跳ね上がった眉の後に、地響きのような抉る低い嗤い声。腰の奥に訴えるそれに舌打ちしつつ、罠に掛かった伯爵の首に腕を回した。凌辱ではないのだと自らに言い聞かせるには、主導権は自分にあると自負することにある。
相手が何を望んでいるのか、此方が理解してやる。甘い声を欲するのならば啼いてみせるし、悲痛に歪むのを願うなら泣いてだって見せよう。それでせせら笑う男であるならば、所詮は私の掌の上でしかない。
それなのに、この男は。
「っ……は、ぁ……んう、ぅ」
「痛むのか?では止めよう」
「やっ、」
「あぁ、嫌なのだろう」
痛むのならば、嫌ならば、どれほど良かったか。
睨みつけようにも、伯爵に背後から抱き竦められており顔も見えない。押し退ける筈の手は、自然と伯爵の腕に縋るようになっていた。耳元を嬲る声にさえ反応してしまい、羞恥を耐えるように奥歯を噛み締める。
乱暴ならば幾らでも堪えられると腹を括っていたのに、伯爵の手つきは生娘を導く紳士めいた其れであった。始めは嘲笑い茶化していたが、何故だか怒ることもなく熱心に前戯が続けられる。
だから惑う、鈍る、調子が狂わされる。赦しなどしないのに、憎しみが揺るがされて、吐き出す息の熱だけが高まる。演技のつもりに上げる嬌声が、無意識に口をついて出る。
はだけた胸元に差し込まれた骨張った手には剣を扱う者特有の指ダコがあり、一瞬でもアイツと重ねてしまった。それが不味かったのだ。此処には居ない虚影に、媚薬ではなく身体の芯が熱くなる。認めたくない、あり得ないと打ち消す一方で、真似事の愛撫が重なってしまう。強情さを突き崩すのは力技ではなく、押し寄せる快楽を寸前で止められて、思考が段々と融かされていく。
だが、それすらも含め、よがる演技を見せた。一刻も早く、この悪夢を終わらせよう。隙を突くには、此方も晒さなければならない。
イドルフリートは振り返り、抱き締められているのではなく自ら跨がった。邪魔な髭を避けて、伯爵の首に噛みつく。無論、加減などしていない。惜しいことに、鉄の味はしなかった。平手打ちでも飛んでくるかと覚悟するも、その手は金糸の髪を梳くだけに留まる。
愛でるという言葉が真実であるのか、どうであれ身の毛がよだつ。じゃらりと足枷が鳴り、腰へ伸ばした手の指先が鍵束に触れた。
「なあ、賢くも愚かな航海士殿。このまま堕ちてしまうのか」
「っは。だ、れが、っ……君の、芸の無さに……っ同情すら、湧くね」
「ふふ、ははは、それでいい。貴様は羽ばたき続けねばならぬ。たとえ籠の中だとしても、鍵を求めて足掻き続けろ」
最も、貴様の求める鍵は此処には無い。
易々と重ねられた手が、鍵の在処の真偽を歪ませる。頭の片隅では予想していた言葉に、頭を振った。
堕ちてはならない、自分の誇りに懸けても。それは伯爵に言われたからではなく、他ならない私自身を保つためだ。海の男たるもの、軸である羅針盤を狂わせてはならない。その指針が示す先には、あいつがいるのだから。
「あぁ、ひとつ、伝えていなかったことがある」
「っ今更、なにを宣う」
「この部屋は、少し趣向を凝らしているのだ」
「っ?」
伯爵は言葉と共に指を鳴らす。合図を待ちわびていたように、部屋の照明が落とされる。突然の暗闇から、再び光が宿ると、それは私の知る世界ではなくなっていた。
何が起きているのか、あれほど溢れかえっていた玩具も派手な壁紙もなく、あれだけ広いと感じていた部屋の片隅が鏡面となっている。
それに、それだけ、ではない。見えてきた足元、その靴に激しく見覚えがあり、疑問のまま顔を上げた。思考の処理が追いつかず、さりとて血の気が急激に引いていく。脈打つ心臓の音が、熱の込められた息を打ち消した。
「っ……!?」
鏡面の奥に、あいつの姿がある。伯爵に跨がっている自分を見下ろす形で、フェルナンドは私の前に立ち尽くしていたのだ。
慣れ親しんでいる瞳に、愕然としている自分が映る。疑問、困惑、込み上げてくる羞恥心、猜疑心、不安、そして絶望。
咄嗟に顔を下げると、伯爵に前髪を掴まれ強制的に引き上げられてしまう。
「目を逸らすなエーレンベルク、もう何をしても遅い。いや、寧ろ泣いて叫ぶか?それはそれは、みだりに腰を振りよがる姿だろうなぁ」
「っ!!ちが、違うそんな馬鹿なことはしていないっ、これはっ」
「貴様が演技のつもりで私に応えたとしても、果たして見届けていた将軍は何を思うのだろう」
「そ、れは……」
「お前があの男にとって大切で愛しい相手ならば、是が非でも助けに来るのではないか」
何故、あいつは動かないのだろうな?
矢継ぎ早に紡ぐ否定を、さらに否定する伯爵の囁きは蛇のように絡みつく。投げ掛けられた言葉の刃にひゅっと息を呑む、背筋が凍る。
何でどうして違う馬鹿なこと嘘だこれは、違う違う違う違うちがうっ!!
まとまらない脳内では、ひたすらに現実を否定する声しか上がらない。
信じたくない信じられない、いつから居たのか、初めから、途中から、見ていたのか、ずっと?
どうして此処にいるのか、どうして助けてくれないのか、解らない、どうして、なんで、私は。
縋るように見上げた先で、フェルナンドに顔を逸らされた。 私の中での灯かりが、消える。
不意に伯爵の指が咥内に押し込まれ、舌を噛み切ることを妨害されだ。
ああ、終わらない、終わるはずがない。
「っふぅ、んんぅ」
「さぁ、あの男に届くような良い声で囀れ」
愛の囁きをするかのように甘い声が絶望を告げて、目の前を白く染めた。
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私は生きてます、という証明がこの作品って大丈夫じゃないですねえ(自覚あり)