何かが、割れる様な、水膜が破れる様な、これが初めての音。


「ほう? 成功か……」


赤銅色の髪を僅かに流して腕を組む男の赤紫の瞳が揺れて、ほくそ笑む。


これが初めての視界。



初めての呼吸は、少し乱れていた。


何となく、思った。



「……怠い……」



それが、初めて発した意味合いが有る振動。












ただ立って居るだけで怠い。
全身が重い。面倒臭い。


言い様の無い重圧感にその場に座り込んだ。



「ふむ。 やはり不完全……いや。
想定範囲内、と言うべきか?」



嫌に気に障る喉を鳴らす様な笑い声を溢して、男は言葉を続けた。



「確定が必要だ、お前の名前は?」



名前?

言われてはたと気付いた。


『俺』は、一体何者なのか?



記憶を探そうと脳が動き回るが、そもそも探すべき記憶が無い。


家族も、どうやって生きてきたのかも、俺自身にも、あてが無い。



「……」


「質問の意図が解らなかったか?
お前は、誰だ? そう訊いている」


俯いて黙り混む俺に俺は矢継ぎ早に同じ質問を繰り返した。



煩ぇよ。そんなの、俺が知る訳無いだろ。



「早く応えた方が身の為だが?
何時までも未確定では居られないからな」




疲労に思考が鈍っていく。
荒い呼吸、汗が流れ落ちてコンクリートを濡らした。




俺は、俺は、『俺』は『誰』だ?





やがて、声が聴こえた、気がした。





「っ、……」


「聴こえんな」




「俺、は、蓮見……音繰……だ」



見下す赤紫を睨み付ける様に、紡ぎ出してやっと吐いた、振動。


振動は音に鳴り、音は言葉になった。



「そうか……ククッ……」



俺は、満足そうに笑った。

成程、コイツはマトモじゃ無い。

そう思わせるには充分な笑いだった。



不思議と、身体を押し潰していた感覚が少し和らいだ気がして、膝に手を当てて立ち上がる。



「動作不具合は今の所無しか。
だが、やはり、そうだな」


鬱陶しい汗を手の甲で拭い去る。
この男は、一体何なんだ?


「身体が、辛いか?」


「は? まぁ……怠い」


「そうだろうな。コレを使え」



投げられたソレを反射的に掌で掴む。


思ったより小さく、硬質な触感に指を開いた。


銀色のピアスが一対。
そこにあった。



「俺、ピアスホールなんて、有ったか?」


不審に思って耳に触れると、微かな触覚。

何時空けたのか記憶には勿論無いが、自然な動作でソレを身に着けた。


途端、また身体が軽くなる感覚。



「……」



明らかに変で、理解出来ない出来事だ。


暫く自身の指先を眺めていた俺に、音が届く。



「動けるなら来い。
そこで呆けて居たいなら、別だが?」



気が付けば俺は背を向けて歩き出していた。

膝丈程のローブの裾が揺れて行く。



「…………面倒臭ぇ……」



一人ごちて、俺は男の後を追った。




それが、初めての一歩だった。