5〜6年前の初夏の頃の事です。駆け出しのアレンジャーがいました。仮に名前をAとします。Aはその日、都内の某スタジオでレコーディングをしていました。
そのスタジオは1階がロビー、受付、守衛室、駐車場。2階はA〜Cスタジオという風に3つのブースに分かれていてその日は2階のBスタでの作業となっていました。
アーティストとその関係者は既に帰った後でBスタジオにはAとエンジニア、そしてアシスタントの3名のみです。時間は深夜3:00を過ぎようとしていました。
コーヒーの飲み過ぎか腹の具合が悪くなったAは作業を中断してトイレに行きたくなりました。
「ごめん、ちょっと…」
二人を部屋に残してAは廊下に出ました。スタジオの中は冷房と除湿が効いていますが、季節がら廊下は湿気を含んだぬめっとした空気につつまれていました。
廊下を曲がり、暗くなったAスタとCスタを過ぎて突き当たりまで来て、普段なら常に電気のついているはずのトイレの蛍光灯が消えているのに気づきました。
明かりといえば階下から洩れてくるロビーの明かりと非常灯のみです。
「誰か消しちゃったんだな、ここまで消えてると流石に恐いな…」
そう思いつつAは蛍光灯のスイッチを入れました。ブ…ゥン、微かな音を立てて蛍光灯がつきます。そしてトイレに足を踏み入れた途端Aは自らの異常に気づきました。
全身の毛が逆立っているのです、とともに悪寒が身体を包み込みます。
空気も肩にのしかかるように重く淀んでいる気がしました。しかしAは自分の肉体が発している警告を信じる事が出来ませんでした。もともと霊感も無く休憩時間に前述の二人とスタジオにまつわる怪談話をしたせいもあり、怖じ気付いてるだけだと思ってしまったのです。何より下腹部の事情も事情です。思い直して奥の一つしかない大便所へ足を運びました。
ガチャッ。「あれっ……」
鍵がかかっています。ちょっと間をおいてコン、コン、とノックが2回返って来ました。全身の血の気が引いていきます。
「真っ暗なトイレでこいつ何やってたんだ?」
なによりAは知っていました。他のスタジオで仕事をしてた人達は12:00過ぎにはみんな帰ってしまっていた事を。1階に残っていた守衛達は1階のトイレを使う事を。