小柄なYちゃんは、厠の和式の方で両足を思いきり広げて踏んばっていた。
当時の便所は汲取り式で、便所の床の真ん中に縦長の穴があいていて、1〜2メートルばかり下に汚物を溜めておくようになっている。
昼でもうす暗く、鼻がひん曲がるような匂いが充満している厠。
なによりも恐いのはその長方形の穴の下で、そこには真っ暗な闇が果てしなく広がっていて、子供にとってはポッカリと開いた地獄の入り口のような無気味さがあった。
そんな厠にまつわる怪談は数限りなくあって、厠へ行くたびに思い出したくない恐い話を、なぜか完璧に思い出してしまうのである。
しゃがんでいると、「青い紙やろか…赤い紙やろか…?」という、か細い女の声が尻の下の闇から聞こえてくる…というのもそのひとつだ。
それは黙っていると、しつこく何べんも聞いてくるという。
あまりの恐ろしさに、つい「あぁぁぁ、青い、紙を…」とか言ってしまうと、真っ暗な闇の中からニューッと青白く痩せた腕が伸びてきて、しゃがんでいるお尻を冷たい手でなでるというのだ。
子供たちの間で流布しているなんの根拠もない怪談話なのだが、小さな子は親の言うことよりもしっかりと信じていて、夜の厠などは絶対に行かないと駄々をこね、オネショをしてしまう子が多かった。
Yちゃんはうす暗い厠で用を足しながら、額には腹痛の脂汗と薄気味悪さの冷や汗を交互にかきながら、思い出してしまった怪談の拷問に必死に耐えていた。
足元にポッカリとあいた闇の中からは、「青い紙…」という声が今にも聞こえてきそうな気配である。
ブルブルと体が震えるのは、腹の痛さだけではないようだ。
ぼんやりと照らす裸電球にからんだ蜘蛛の糸が、女の長い髪のように見える。
毒々しい色の蛾が、その灯りに誘われてパタパタと舞っている。
そんな恐ろしさに押しつぶされそうになりながらも、Yちゃんはなんとか用を足すことができた。
心細さに泣きそうになりながらズボンをあげ、またいでいた恐怖の穴から急いで足を戻そうとした。
その瞬間!
長い間しゃがんでいたため、両足はジンジンと痺れて自由がきかなくなっていることを忘れていた。
自分の足なのに自分の足でない感覚。
痛がゆいような痺れが足の踏んばりを奪い、あろうことかポッカリとあいた地獄の穴の縁に片足を引っ掛けてしまった。
あっ!という間もなくYちゃんはバランス崩し、その穴にペタリと座り直すような格好でふたたび尻から着地した。
尻を落としたところが床ならドシンと倒れるだけだが、あいにく尻は地獄の穴の真上だった。
「うわっ!」と大あわてで何かにしがみつこうとするが、子供にとっては大きすぎる穴である。
体のあちこちをこすりながら、ストンと吸いこまれるようにブラックホールに落ちていった。
グチュッ!という水気の多い、嫌な音を立てて、Yちゃんは穴の底に軟着陸した。
突然、真っ暗な空間に放りこまれたショックで茫然としていたのもつかの間、
すぐに強烈な匂いの中で、汚物まみれという最悪の状態に気がついた。