スーテルデ王国の南東にある、クルダス町。
薔薇園で、多くの薔薇と戯れていたのは、まだ14歳になったばかりの少女。
名前はラズメリア・イースクール・リセ。薔薇が好きな娘だった。
彼女の事を知る多くの者は「ラズ」と呼ぶので、そう呼ぶことにしよう。
「素敵な香り…これはヴェルヴェットの花ね」
ラズメリアが目を閉じる。夢心地の表情で、
その場から離れることはなかった。
「高貴で。美しくて…ただ一輪そこにあるだけで、魅了される…。
そんな薔薇が好き。だけど…」
ラズメリアが独り言を語っていると、彼女の後方から、くすっと微笑む男性が二人。
「赤い色が良かったのかい?」
ラズメリアを微笑ましく見ているのは、ミッシェル。
イースクール家の次男。猫ッ毛の髪の毛に、ひょうきんな性格。ラズの兄にあたる。
ラズメリアはくすっと微笑み、目を静かに開ける。
すると、そこにはふわりと優しく微笑む、ミッシェルの姿があった。
「うふふ。その声はミッシェルお兄様ね。私の心の声が伝わるなんて」
「薔薇から聞いたんだよ。こっそりとね」
「まあ、素敵。私もその能力が欲しいわ」
「ねぇ、お兄様…私は…」
ラズメリアは、薔薇を見つめる。
その可憐に咲く花を愛おしく思う反面、少し寂し気な表情をした。
「こんなに美しい薔薇が、白しかないなんて、とても物足りないわ。
赤とか、黒とか、いろんな色があっても良いと思うの」
「どうしたんだい?いきなり」
ミッシェルが問うと、
ラズメリアは少しうつむいた。
顔を上げず、ただ、その薔薇園の前で、立ち尽くしている。
「誰もが生きてて良い世界へ行きたい。私は、戦争がもう嫌なの」
ラズメリアが言ったとたん、
突然、風がざわついた。
まるで、彼女の言葉に、
自然の草木も、気づいているようだった。
自分たちが、恨みと憎しみの炎に包まれる事を、
わかっていたのだ。
二人の元に、しずかに母アントワーヌがやってきた。
「そうよ、ラズ。私達の生活は日頃から危機が迫っているの」
「お母様…」
「ラズ。お前は自分が「エドラ」であることを知っているわよね?」
「ええ。いつか白薔薇術士のお嫁さんになって、私の力で困ってる人の為にいっぱい働くのよね?」
ラズメリアは、太股に『薔薇』の印がある。これは、うまれながらにしてエドラという果実を身に宿している証拠。
この印がなくても、大半の薔薇術士は、エドラの近くに寄っただけですぐに気づくらしい。
エドラとしての魔力を感じるのだという。
エドラは女性、薔薇術士は男性にあり、男性の場合は胸元に刻まれている。
血筋は関係なく、神からの贈り物として神聖化され、
生まれて間もなく女性ならエドラ判定、男性なら白薔薇判定をされる。
白薔薇と判定された場合、5歳を過ぎた頃に、魔術協会へ送られ、ドヴェッヒという施設へ送られる。
そこで術士としての修業し、本来の力を引き出そうとしていた。
白薔薇の力は、戦争が勃発する国々の戦力として、非常に頼りにされている存在で、
貴族も、頭が上がらないほど、立場は大きかった。
一方、エドラは、生まれながらにして果実の素質を持ち、
それは白薔薇にしか引き出せないものだった。
果実を白薔薇が魔術により引き出す事で、白薔薇はより強力な魔術を放つ事が出来る。
18歳になったら協会へ送られ、幹部達によって定められた相手と結婚しなくてはならない。
『エドラ』にとって、白薔薇と婚約する事は素晴らしい事であり、誇りに思っても良いものとされた。
ラズメリアの母、アントワーヌは、穏やかに頷く。
「ええ。エドラに生まれた貴方は、白薔薇術士様の妻になる。それは誰しも羨むような幸福よ。
でも…ひとつだけ母さんと約束して欲しいの。この町を離れる時、その赤い髪を…決して誰にも見せない事。婚約者にもよ」
「どうして…?」
ラズメリアは、母の言っている意味が分からず、首をかしげた。
「それは、あなたが『特別』だから。普通のエドラ達と同じように、接してもらえないかもしれないから。」
「そして…貴方が、たとえ白薔薇術士と結婚しても…その人を好きになっては駄目よ」
「え…?」
ラズメリアの疑問は、どんどん増えていく。
これほどはぐらかす母親は、とても珍しかった。
アンワーヌは、話を続けた。
「エドラにとって、結婚とは白薔薇術士の仕事の力になる事。そこに愛が芽生えては…いけないの」
「お母様、でも、結婚とは…愛する者と永遠の愛を誓う事なのでしょう…?」
ラズメリアが疑問に思っている所で、彼女達の元には近所のファーメルト婦人がやってきた。
「貴方達、大変だわ!」
「どうしたの?ファーメルト叔母様」
「『白薔薇』が来ているわ!」
「白薔薇…?時々、この町にも来るでしょう?そんな騒ぐことではないわ」
アントワーヌが冷静に答えるが、ファーメルトは慌てた様子のまま話した。
「それが…協会を黙って抜けて、エドラと駆け落ちしようとした所を、この辺で貴族たちに見つかったようなの。
それで今…拷問を受けて…」
それを聞いたミッシェルは驚きながら、
「な…。エドラはどうなったんだ?」
「そのまま協会に送られましたわ。その後は私も…」
ファーメルトは、その光景を目の当たりにし、恐怖で震えていた。
ラズメリアにもミッシェルにも、見せたくない光景なのだろう。
アントワーヌは、突然声が小さくなり…
「やはり…『私達』が人を愛することは、『罪』なんだわ」
「お…母様…?」
―お母様…別の人みたい…
まるで、いつもの彼女とは違うような
二人の沈んだ表情を、はぐらかすかのようにミッシェルは
ラズメリアとアントワーヌの肩に、ぽんと手を乗せる。
「もうすぐ、この町も他国との戦争の場になるわ。貴方とミッシェルは首都ヴェネリーケへ移住すること。長男のテオドールの所へ行くのよ」
「お母様は、一緒に来るよね?」
「ええ」
それが、母と交わした最後の言葉だった。
※
その晩、スーデルテ王国と、スティア王国では激しい衝突があり、クルダスの街も巻き込まれた。
これは、平和を取り戻すための戦い。
この街を守り、また平穏な日々を送るために――。
アントワーヌは、剣を一つ、手に取る。
故郷を守るために戦う。最初から、『そうするつもり』で。
「神様。せめて、どうか我が子達を、お助け下さい」
※
「お母様は何処!?お母様!?」
ラズメリアとミッシェルは、アントワーヌを探して走っていた。
すると、ミッシェルは遠方で母親と、多くの術士たちを見つけた。
「ラズ!あそこにいるのは…!」
「ほお…お前『エドラ』だったのか…。娘がいる…ということは、普通の人間と結婚したのか」
「夫はすでに病死したわ。貴方達の世話にならないうちにね」
「腐敗した果実が…。だがお前を殺しても奴隷には出来そうだ。」
「っ…!」
「お母様!そんな!いやあぁああ!!!」
術士とエドラは、掟を破って勝手な行動をすると奴隷にされてしまう。
エドラは術士を愛すると、奴隷にされ、不要になるとその魂に宿る実だけ奪われてしまう。
戦争に使われる力に、少しでも『疑い』のある者を『不浄』なる者とし、
もはや自己の自由、生きる価値さえ与えられない。
白薔薇術士、そして貴族たちは冷酷だ。
それでも、『国』を守る存在ならば、それは神のように讃えられる。
オーディヴァルとは、そういう時代だった。
(白薔薇術士…ゆるせない…!)
(あれが正義なの?私達の崇拝する術士なの?白薔薇術士は…私にとって、最悪だわ…!)
あいつらなんかと結婚しないんだから…絶対にっ…白薔薇術士を許さない!」
森の闇は続く。出口を探して、二人は走り出した。