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動き回る一年

今年一年、ありがとう。

今年を振り返りますと、交流の絵を描き続けていたツイッター生活だった気がします。
他、テーマとして、文字化しようと思った景色を忘れないうちに書くことや、口を開かぬ分は絵を描いて過ごそうとか、そんな気持ちでやって参りました。
定めた事は、やれる分をやれる時に進めたなあという感じで、決して多い活動ではありませんが、楽しくやらせて頂いております。

思いもかけない私生活の変動については、今年度末からの予定の大幅な繰り上げであり、半年早く様々な事に手を付けねばならず、昨年末に予定・想定したものよりも遥かに走り回った一年となりました。

さらに今月は家の者の入院ということで、家の事、自分の事、雑事にかかりきり、来月も見通し立たず、何とも言えない状況が続いており、これまた想定外の一か月となりました。

全体的にイレギュラーな一年でしたが、自分であれこれと動いて出た結果ではありますから、身の回りの事や、自分の意思を固め、確かめ、これまでを振り返ることが出来た気がします。
来年は、今年整えた地盤に支柱だとか種が上手く育つ役立ちアイテムを導入する年にしてみようと思います。

みなさま、良いお年を。

手放す日の夜

 いよいよぼくはこの世界からいなくなる、という気分を体感したいとき、小さな安アパートから退去する夜を想像すればいい。棚は解体し植物は知人に預けた。長年世話になった洗濯機や冷蔵庫は無情にも売り払った。彼らは紙切れに変わっただけで、あれほど夜中にウンウン唸ったり、水を宇宙のように混ぜたりして立派に活動していたのに、物言わぬ紙切れになると何も言わない。きみたちがいなくなると正直寂しい。ぼくはぼくがここからいなくなることを差し置いて言う。明日にはこの部屋は空になる。
 物を手放すことは苦手なんだ。時間を岸辺から切り離してしまうみたいで。ごみ箱の中では渦が巻いていて、手を差し入れたりしたら腕からぱっくりもぎ取られてしまう。そんなところに放り込んでごめん。でもごみ箱は一部屋に三個は置いている。便利に使ってごめん。いったいどれほどの物をごみ箱に放り込んで来たのだろう。明日この部屋は空になる。片付いて四角い形に戻った部屋。重い鉄の扉を開いて外に出ると、渦が巻いていて、ぼくの体は波のような風のような圧の壁に巻き込まれてねじ切られる。
 まったく寂しいことだ。

普遍のぼくの部屋

 部屋に置いた小物や本、家の中に入り込む四季などは、わりと身近にある普遍のものだ。

 散歩していると毎度違うものに出くわすし、外は無限のフィルムが繰り返されることもなく流れ続けているから、見逃した景色は戻らない。外の活気を吸い込むと時間の波に乗れるから体に良い気がする。健康食品みたいな言い方をするけれど、外気は体に良い。活気を取り入れるということは消耗することでもある。だから私は普遍である閉ざされた部屋の中が大好きだ。
 部屋の窓からは田んぼが見える。奥に山脈。道路は一本だけ走っていて、田舎の電車の本数よりは多い頻度で車が走る。たまに車の音が聞こえる。鳥が風を切る音が聞こえたとしたらこんな音だろうというくらい伸びやかに聞こえる。農耕機械が唸る。遠くから電車の音がする。稀に人が歩く。私の窓には人の気配が映らない。窓は広大な田んぼの風景であっても、動物園のように安全にしてくれる。檻の向こう、一枚隔てた外は遠すぎるから、見ていて疲れるほどでもなく、コンパクトで愛しい。
 部屋に埃が積もる。掃除しなさいよと言う前に、安心する心を許して欲しい。誰も触らない場所。
 変わらない本棚の本が良い。ある意味部屋は時間が止まっているのだ。たまに追加する本については、これらは予め本棚にあったはずの物を迎え入れただけに過ぎないから、変化の内には入らない。気に入っているかどうか、という話だろう。予言の書が大好きな世紀末を生きた我々は、時々こんな言い回しをしてもすんなりと受け入れられるはずだ。そんなことないって? うん。明日世界は滅ぶだろう。挨拶のように予言される。

 たとえ終わりが来たとしても、この部屋は普遍である。

2016ねぶたメモ

青森ねぶた祭り、ねぶたメモ。
夜運行最終日5日目ということでほぼ全てのねぶたを見られただろう。
北村隆、北村蓮明、千葉作龍、竹浪比呂央は見逃せない。
今年は見所の違うねぶたが多かった。(……ような気がする。もしかしたら自分の見えているものが変化しただけかもしれない。)

以下、運行を見ながらメモしていった文章。
・手塚茂樹、マルハニチロ。どの角度から見ても立体感を楽しめる、これはいい。細かいパーツが多いために特に目がいくのかな。ねぶたの動かし方にもキレがある。海幸彦、鯛。水をイメージさせるようにねぶたをゆらゆらと振っていた。ねぶたの動きとしては珍しいような。
・竹浪比呂央、JR。堂々とした佇まい!本年のねぶた大賞。送りに向けて雪崩落ちるように広がる衣。山を見上げるようで逸品。
・内山龍星、PTA。ねぶたの表情が険しくて良い。
・北村隆、クロネコ。絢爛だ。手が込んでおり、ひたすら関心する。着物の模様はじっくり見ていたくなるほど密に描かれているし、魚は威勢良く泳ぎ回っている。前ねぶたも北村隆作で、同テーマ。盛り上がる。
・私たちのねぶた『舟弁慶』。華やかなねぶたの中で異彩を放つ、黒の目立つねぶた。色彩にぞっとするほど。こういった雰囲気のねぶたも増えるといい。場の空気が締まる。
・北村蓮明のねぶたは今年も優雅。見惚れてしまう。


今年は運行最終日が土曜日、7日のねぶた昼運行・夜の海上運行・花火大会が日曜日に重なり、人出も多く活気溢れる5日間になっただろう。奇跡的な日取りだ。
花火を背負って夜の海に浮かぶねぶた。海上運行も好きだ。きっと今の目で見ても新たな発見があるだろう。
ねぶたが終わった後の涼しさと寂しさ。夏が終わるなあ。(と言いつつ9月だって暑い。暑いけれど、寂しい。)
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