浚う風、昨日まで





今日までの私はきっと、いつの人生と比べても苦しみ傷つき悩み、きっとたくさんの決意をしたのだろうと振り返る。今日は節目、我はまた新たに未来を踏み出しているのです、小野寺です。




今年ももう終わりに近づいてきております現在では、突き刺さるような寒さの中で眠気に襲われては気分を空回して振り切っているのでしょう。限界はまだ遠い。


遠い地元の地に戻ることだけを只管に考えては労力を絞る日々に少しばかりの光を見つけました。ありがとうお兄さん。あなたは私の光でした。その一言でさえ私は夢にする。




最近は深く夢に足を突っ込んでしまっているのだから、私はきっと現実に置いてけぼり。とか思ってみましても、案外タフでありました我が思考はきちんと前を見ていたのです。



さて、来年はやはり、今年よりも多く笑い、多く楽しみ、多く遊び、多く感動出来るような、そんな年にしたいと心から思います。




今年一年ありがとう、いろいろなものたちに。

来年もどうぞよろしくはじめまして、いろいろなものたちよ。






欠点、苦行 そして線香




今までの全ての苦行、やはり私の味方でありました。時は金なり、味方とみたり。こんなに一言で私の全ては救われることを知ったのです。小野寺です。




細かいことなど、いつだってそこに置いといては振り返ることなどせずに駆け抜けて来たではないか。それが私の欠点でもあり、また言葉を変えて楽観的志向者という長所でもあったはず。こころのどこかでまた今回も、駆け出すタイミングをうかがっては息を潜めて待ち侘びていたのだろう。




しかし思考せねば。私は本当に考え足らずのくせに突っ走ってしまう癖が身について、何度も結果の出ない努力をしてきたではないか。学習せよ!今この時だ、私が私を取り締まるのだ。





これから待ち受けているであろう、様々な困難、難儀、面倒でさえも最も容易にこなしてしまうのでしょう。こんな私を時間も人生も未来も、見捨ててはいなかった。どうか楽しんで差し上げましょう!




お金は不安を呼ぶ。でもね、しかし私は幸福と笑顔を齎す。負けませんよマイナスオーラ。算数は私はあまり得意では無いけれど、足し算引き算だけはできるのよ、誤魔化さないで。



今はただ、幸せで涙しているであろう先の未来を想像しては、エネルギーを存分に使って今を生きることに専念するばかりです。




待っていてね、あとでいきます。
そばにいてね、ビリジーン。



滑る床、転ける痩ける





何をそんなに喪失せざるを得なかったのだろうか。いい加減にしなくては、それこそまさに取り返しのつかない程堕ちてしまうだろうに。小野寺です。




今回に懲りて私は暫くこの地を暇して、1人孤独にコツコツと自分を磨いてやろうではないか。そう思ってしまう程の幼稚な心境を誰かにぶつけられたのなら、其処まで私は考えることはないというのに。それでも内に込めて漏れ出す感情を誤魔化している私は今のところ、とても自分の首を絞めている戯け者以外の何者でもないのでしょう。




さて、何を疑って何を信じていいのかぐらい自身で決めるべきだろう。私は何年私を生きているのだ。信じるべきは自分だと、それ程不動の理由がありますか?それ以外は二の次、私を立てる事を第一に優先させなければ、我が人生に楽はない。





とか仰っているんですがね、いかんせん弱気なシーズンでございましてね、指先で感情を表すにはね、少しばかり冷静さに欠けてしまうわけなんですね、はい。




こればっかりは時間が解決してくれるんだろうなと、これまた他力本願な精神なんですわ。おやすみまた明日。あしたが良い日でありますように。





さらばジーザス、私の良心。












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