なけなしの、情


こんなところにおひとりで。何とも悲しくも切ない物語だろうか。否、それは美化してはならない、腐った現実を纏ったナマモノで御座います。小野寺です。




私が今まで起こした癇癪の辻褄と言いますか。人の感情を量れる物理的根拠が欲しいのです。私のこの気持ちだけが独り歩きしてしまっているように感じて止まないこの頃。彼を信じることの出来ない私をこれでもかと戒めて頂きたく候。





今日と昨日の狭間。私は置いていかれるのです。様々な今に。自己中心的な生き様を白い目で見守ってきた様々に私は今から突然、解雇宣言を告げられるのです。




耐えられる程の苦痛など、死ぬほど味わったのだ。今までも。これからはきっと、今までにない程の虚無感と劣等感と孤独感に苛まれては、行き場のないその身の内の毒たちを体内で飼い続けるのであります。




もうどうにでも成ればいい、とか。感謝を忘れて自分本位で考えてしまうあたり、何の成長もしていないとお見受けします。やはり時は平等であろうとも、使い方次第でどうにでもなるのだと、我が身を呈して実証したのであります。




さて、これからは私は本当のひとり。これをどう捉えるかによってまた、何かが大きく変わるのです。



もう我儘は致しません。出来るだけ前向きに思考致します。他人を第一に行動致します。心に余裕を持ち、行動致します。私22歳、そう精進致すことをここに誓います。




どれだけ無駄なことだろうが、書き残すことに意味がある。これで少しでもストレスを軽減出来れば、私の安眠は約束されるのだ。




あなたを知って孤独を知った。
だけどまた失った私は今、はじめて本当のひとり。




それ程の心境なのです。
口には出来ないことですが。





あなたの成功を祈ります。





しばし、それはそこまで




如何にして私は今ここにいるのか。それさえ考える力が残っていないのはやはり、日頃の思考力向上の努力を怠けた為の償いなんだろう。小野寺です。


時の流れとはとても恐ろしいものでございます。今この感情に蝕まれている私でさえ、先の事は見え透いているのです。流れ行ってしまった涙達を置いて素直な気持ちで笑い惚けていることでしょう。デジャヴュ、その言葉が脳裏を駆け巡ります。




とても怖いのです。これ程までに愛情を知らなかったから。人生における不必要だと思っていたからこその結果であります。手を離したくなかった、とまぁ聞いたことのあるようなフレーズの実写化を体験させて頂いたのだ。




林檎とおにぎりを片手に過ぎ去った思い出を馳せて、長旅は終わりを告げています。否、家に帰るまでが遠足。まだ私の長旅は終わってはいないのだろう。



眠りに就けてしまえば少しは荷が降りることでありましょう。それまでのしばし。待ちますよ私は。今までそうなさってきたように。





東京の夜明けは、いつかの夜明けよりも幾分が暗く冷えているように感じます。それもこれも、貴方が其処に、此処にいない所為なのもきっと錯覚ではないのだろう。





しばしの別れ。電波通信で繋ぐものはいとも容易く。しかし私たちの間では唯一といえる確認手段故、重宝せねばいかんのです。



さよならバイバイ、じゃあね。またね。










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