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不動ありき



矢張りそのときは来たのであります。暫くの浮遊、それ当にただの暇潰しなるのです、島袋です。



なんとも美しい唄声を長時間御耳に入れてさて、何かが変わったわけではありません。全ては不動、不変の限りです。一つの進歩として、断ち切ったのであります、地獄の如く押し寄せるストレスと。



ここで自由と叫ばずは、何の持ち腐れでありますか!其処で喜してこそ私自身で御座いましょう。この仕合わせはいつ迄続くかは自分次第であります。



帰沖致します、其ればかりは喜びと自由の頂点に御座います。しかし勝手がわからないのも一つの悩み、そうでありました。自分は至らぬ未熟者でしたこと。



お疲れ様です労働者。私は何にも密輸など、してはおりませぬ。出発手前で停められては、はて、何の話をしていたかな。




いざ行かん、我が産地。





又の名を




存じ上げて御座います。こればっかり腸の不調とは無縁でありますから故、帰ってきて数分、ここまできたのです。又の名を島袋と申します。



最近といえば足を遣って様々な地へと向かいます。すべては私を産み育ててくれました母親の行動。矢張り親子とは金魚と糞、それに擬したものでありました。さて今朝は浅草へ。




この生活を望むのならば直様の帰郷も厭わないとのことですが、わたくし、この地で生長させていただくことを覚悟致しました。あの六畳の間取りではどれ程の夢や現が展開出来るのであろうか。



さて時は金なりと顔も見知らぬ偉人様々が申しあげておりますこの頃の心境と何ら変わりはありません。帰郷したそのときは、どうか悔いのないよう過ごさせて頂きたい。懐かしい友人もまた、誘いを。




なんてことを発する時点でもはや前の生活に多大なる未練が絡まりきっております。あの大地は私のものだと言わんばかりに盛大に寝転んでみたいと思います限りです。




はて、おやすみなさんし。






無人の地




それは即ち私に辞世しろと言わんばかりの報告にあたります。なんで、どうして、そんな甘やかされた言葉じゃ理屈にならないんだそうだ。ならば私は死んでしまった精神を抱えるこの肉体を如何にして生きてゆかねばならないのか、島袋です。




ただのエゴとか言われましても、そのエゴはなんの保険も無くその口から放たれます。それを丸腰の私にどう受け止めろとゆうのか。やっとこさ自分の発砲口を見つけたこの弾丸を、どこに遣ればいいのだろうか。




この提灯がわたしを何処ぞへ連れてってくれれば失踪でもなんでも致します、いや、私が消えれば良いとかゆう問題じゃないそうで。



次々にやってくる仕合わせは不仕合わせと背中合わせで有りました。奴は隠れて其処に伺っていたらしい。




これで一悶着あれば私は何かが変わる気がするし、それで変わらなければ其処まで、御暇するだけであります。






しばし、別れ。





有害と腐敗




それは最早、職務怠慢というものに値すると思われる。ような気がしますが、どうでしょう?島袋です。




新たなる旅立ちと言わんばかりに半ニート生活に終止符を打つべき立ち上がりました次第で御座います。今は只々其の御言葉に従うばかり。さて、楽しみはやってくるのであろうか。




自分のことを棚に上げて、其れをそのまま降ろさずに何年経つのだろうか。いや、これから何年先まで上げ続けるのだろうか。あれはいつ頃返却するべきだろうか。そもそも奴は私の来店わ待っているのだろうか。




記憶に新しいあの地獄をまるで牛乳と蜂蜜で甘やかしたような生温い空間に再び足を踏み入れることなど、天地がひっくり返ろうが、塩と砂糖が入れ替わろうが、この御御足が三本に切り裂けようが、許されないと、自らが許さないと承知しております。





全く利己的な奴である。これ程までに自分を可愛がっては、周りの痛々しい視線には嘸気付きはしないのでありましょう。人の気を知らずに促す辺り、気遣いの足りなさを痛感致します。しかし、これが女か。自らを愛し過ぎるばかり、この容姿を褒めちぎる異性同性にはほやほやと付いていく、その尻の軽さは阿呆な小学生男子の脳味噌の如し。




さて、故郷へ謳歌!





すこぶる不機嫌





キチガイはキチガイへと生まれ変わるのです、其れは私には全く関係ない訳でありまして、お耳には快く受け入れる事は出来かねます、島袋です。




意地悪ね、とか抜かされても。そんな目線でテレビを拝見為されて、其れは愉しいだろうか?その立場ならばいくらの考えも通る事はないのに。無駄に愉しみを流して仕舞っては、不仕合わせと言うものです。





キチガイは考えます。その耳は人間のものであっても、脳味噌はキチガイでなければ成らない。故に無駄に空想を浪費しては嗤い声を上げるのです。惡は憎い、そう仰る凡人こそが、この世の規律を堅く重いものに、キチガイを世の末に追いやっているのだと思う今日であります。




これさえ乗り切れば、と踏ん張ってはみたものの、此の先に見えるはなんとも濁った悪しき世の結末に思えるのです。因みに私の云う世とは、非常に利己的な物でありますので、御了承為さっておくんな。




まったくの千切りにしてほしい。




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