ベロニカの虜04


授業が終わりチャイムが響くと同時に教室が騒がしくなる。
開け放たれた窓からそよぐ風がカーテンを揺らしたが、湿度を含んだ風は生暖かく頬を撫でた。

「ねえ、ユーリィ」
「んー?」

隣同士の席のふたりが紙パックのジュースを飲みながら、頬杖をついて顔を見合わせる。

「オレ、バイトするかも」
「えっ、どうしたんだよ、急に。欲しいものでもできた?」
「欲しいもの……」

ユーリィに言われてリリィは考えるが、欲しいものが特に思いつかなかった。単純に、月に決まって賃金が入るのはいいと思ったが。

「特にないや」

へらりと笑うと、ユーリィは目を見開いて信じられないものを見るような目で友人を見る。

「マジ!?オレは欲しいものだらけだよー、お洋服もほしいしゲームもほしいし…。リリィはどこでバイトするの」
「……本屋」
「リリィって本読むっけ?」
「まったく。活字は国語の教科書くらいだし、漫画も読まないや」
「バイトの面接で訊かれるんじゃないか?好きな本はーとか」
「ううー、やっぱそう思うよねえ……今からでも何か読んだ方がいいかなあ」
「なにか漫画貸そうか?」
「あ、ちょっと待って…え」

スマートフォンに届いた通知を確認したリリィの顔が青ざめる。

「どうしよ…バイトの面接、今日の放課後だって」
「早っ!どうする?昼休みに図書室で一冊でも本読んどく?」
「ううう、そうする……受かる気もしないけど、落ちたらどうしよ…」
「大丈夫だよ、リリィ。それにしてもなんで急にバイトする気になったの?」

ユーリィに昨日のルイとの話を説明する。
するとユーリィはなんだか楽しそうに笑っていた。





放課後、学校の最寄駅からふたつ離れた場所でルイと待ち合わせをしていた場所でリリィはきょろきょろとあたりを見渡す。

「あれ?ルイいないなあ…まだ来てないのかな」

小首を傾げると、突然後ろから「わ!」と声をかけられて驚いて振り返る。

「ななな、なに、デスカ…!?」
「あはは、片言になってる。少しは緊張がほぐれたかい」
「ほぐれるどころか余計緊張するよ!」

きいいいと噛みつくリリィの頭をぽんぽんとルイが撫でた。
それにどきりとした自分に気付いてリリィは驚く。

「どうしたの?」
「ううん、なんでもない」
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。挨拶ができて名前が言えれば受かるから」
「そんな小学生みたいな!」
「本当だよ。絶対に大丈夫だ」

相変わらずルイはにこにこしている。
本屋は駅からすぐのビルの中にあった。
売り場がふたつに分かれている。

「こっちは雑誌とかハードカバーの本があるコーナーで、あっちは漫画とか小説があるコーナー。もう少し詳しい説明は入ってからね」
「まだ受かるかわなんないし…」
「受かるよ」

なんでそう言い切れるのかと不満そうな表情をリリィがするが、ルイは涼しい顔をしている。

「この漫画コーナーの奥が事務室兼店長室だよ。いってらっしゃい」

人生で初めての面接というものに鼓動が早くなる。
ルイから離れて事務室へと向かう。
息を深く吸って一呼吸してから扉をノックした。

「今日、面接のお約束をしていたリリィです」
「あらあ、入っていいわよ」
「失礼します」

リリィが事務室の中へと入って数十秒後、中から「ぎゃああああああ!」と悲鳴がこだました。

「お、受かったみたいだ」

ルイはリリィの悲鳴を聞くとそう言って事務室へ向かう。

「店長、だめですよ」
「なっ、なにっ、なに……っ!?」

がっしりした筋肉質の巨体の男がリリィを抱きしめ頬擦りをしている。
髭がジョリジョリと当たって背中がぞわっとした。
太い指先がつう、と首筋を撫でる。

「リリィ、こっちにおいで」

ルイがそう言うと男の拘束も緩んだので、リリィ急いでルイの後ろに隠れた。

「あらやだ、珍しく紹介なんてしてきたと思ったらその子、あんたのなの」

店長が小指をたてながら目を細めた。

「そんなんじゃありませんよ」
「ねえ、ルイ!これなに!?面接は!?」
「今のが面接よお。はなまるで合格だわ」
「ヒッ」
「店長、リリィが怯えるから離れてください」
「失礼ね!」

ルイがリリィの肩に手を置いて、またにこりと微笑んだ。

「こわい思いをさせてしまったね。店長は見ての通りのオカ……オネエサンだから、可愛い男の子以外は採用したくないって駄々をこねるからなかなか人が決まらなくて。そんな時にリリィと出会って君なら…と思ってね」
「ルイだって入ったばっかりの頃は可愛い男の子だったのにいつからこんなに可愛げがなくなっちゃったのかしら」
「あはは、店長のおかげですよ」
「そんなことばっかり言う!もうっ」
「……リリィ?大丈夫?」
「………っ」

ふるふると細い肩を震わせているリリィに視線の高さを合わせてルイが顔を覗き込む。

「ごめんね、やっぱり嫌だったかな」
「…………った」
「うん?」
「面接落ちたかと、思った…!」

あと犯されるかもしれないとも。
屈強なオカマのおじさんはリリィにも相手にした経験がなく、何より本屋の面接だと聞いていたのでそんな気持ちで来ていなかったし、自分が薄汚い人間だからそうなるのだと思ったらこわかった。
こっちは口には出さないでおいたが。
するとひとつ、リリィの大きな目からぼろりと大粒の涙がこぼれた。

「ルイ…泣かせたわね」
「店長も同罪でしょう!?…ごめんね、リリィ。泣かないで」
「ちがっ…泣いてない…」

安心したのだ。
もうだめだと思った時、ルイが来てくれたのが。最初から出来上がってた話だとしてもリリィにはヒーローのように見えた。
それから一通り説明を受け、必要書類を渡され、まずはシフトをだしてほしいと言われた。

「ルイと同じシフトの方が楽かしら?この子教えるのは上手いから」
「あっ、はい…オレ、バイトって初めてで…色々教えてもらうことになると思うから…」
「私で良ければいつでもなんでも教えてあげるわよ」
「ヒッ」
「店長」

顔を寄せてきた店長から庇うように、ルイがリリィを抱き寄せた。

「つれないわねえ。それじゃあ説明は終わりよ。またね、リリィちゃん」
「し、失礼します……」
「じゃあ、俺も」
「ルイは待ちなさい」

ルイの後ろ襟を掴んで引き止めたのでルイが何度かむせた。

「げほっ…リリィ、外で少し待ってて」

リリィは不思議そうにふたりを見比べてから頭を下げて戸を閉めた。

「あんた、どこであんな可愛い子捕まえてきたのよ」
「こないだたまたまぶつかって」
「ロマンチック!恋の始まりね」
「始まってませんよ」
「そっか、ルイは彼女がいたわね」
「……別れました」

すると店長は少しだけ驚いたそぶりを見せたがすぐに大声で笑い出した。狭い事務室に声が響く。

「また振られたの?これで何回め?」
「…数えたくもないですよ」
「今度呑みにいきましょ。慰めてあげる。ねえ、振られたのならリリィちゃんいいじゃない。可愛いわよ」
「可愛くても俺もあの子も男ですし」
「小さいこと気にするのねえ。あの子、きっと尽くすタイプよ」
「はあ……」
「それに……なんだか危ういわ。世話焼きのあんたにぴったり」

リリィがなんだか危うげに見えたのはルイにもだ。理由はわからなかったが、放って置けない感じのする子だった。

「ちゃんとまもってあげなさいね」

店長のこの言葉がルイの深いところに響いた。それは悲しい予感だった。




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