ベロニカの虜02


ユーリィとは駅で別れた。
彼の背中が見えなくなるまで見送ってから、リリィはスマートフォンに視線を落とす。
二件連絡が入っていた。
駅前の人混みを避けて、適当なところで壁に背を預ける。
子どもの手を引く母親、同じ制服の生徒、忙しそうに時計を気にするサラリーマン、記念日なのかケーキを手にした老人の夫婦……行き交う人の声や足音で街はざわざわと音を立てる。

「ふたりかー。時間被らないかな」

ふたりとも男性からの連絡だ。
うーん、とリリィは顎に手をあてて考える。
ひとりはとにかくねちっこく嬲るのが好きで拘束時間が長い。けれど金払いはいいし、乱暴なこともしない。
もうひとりは外でするのが好きな所謂キモオタという類の男で、彼女もおらず、風俗に行く勇気もなく、男のリリィに金を払って抜いてもらっているのだ。

「キモオタくんは口ですればすぐ終わるし…その後に仕事おわりのおっさんとヤればちょうどいいかな。うん、そうしよ」

そう決めて連絡を返しながら、時間まで近くのドーナツ屋で時間を潰そうと歩き出したときだ。ドンっと衝撃がありよろけてしまう。
スマートフォンを見ていたため前から歩いてきた男性に気付かずぶつかってしまったのだ。

「あっ…!!」

ぶつかった男性が口を開いた次の瞬間、リリィにバシャリと冷たいものがかかった。

「うわっ…つめた…!」
「ああっ、ごめんね、よそ見をしていたものだから…!」

男性が手に持っていたタピオカミルクティーはリリィの肩からバシャリとかかって、空いたプラスチックのカップがコロコロと転がった。

「本当にごめん。これ制服だよね?クリーニング代なら出すから」

男性が謝りながら濡れた服や髪をハンカチで拭いていく。

「いや、オレも…」

スマホ見て歩いてたし…と言いかけて顔を上げると言葉が続かなかった。
相手の男は社会人だろうか。
短い黒髪におっとりした印象を与える二重の幅の広い目、反対に吊り上がった眉がしっかりとした印象を与えた。
同性から見てもかっこいい人だと思った。

「ちょっと、ルイ!いつまでやってるのよ!」

こちらもタピオカミルクティーを片手に持った可愛らしい容姿の女性が仁王立ちしている。

「え?だってこの子にぶつかってお茶かけてしまったし…このままって訳にはいかないだろう?」
「その子だってスマホ見ながら歩いてたんだからおあいこよ!もう!ルイはいつもそう!迷子の子どもだの、野良猫だの、荷物が重いお婆さんだの!困ってる人が好きなんでしょ!?」
「いや、そういうわけじゃ…サクラちゃん、声大きい…」

涙混じりの彼女の大声になんだなんだ、痴話喧嘩か?と野次馬が少し集まっていた。
リリィはいたたまれなくて、早く消えたいと内心呟く。

「ルイなんて大っ嫌い!!!」

ついには走り出して去っていってしまった彼女を追いかけることなくルイと呼ばれた男性はまた、リリィに謝った。

「え…や、オレは別に……彼女さん追いかけなくていい…んですか?」

咄嗟にタメ口が出そうになって慌てて訂正する。

「ああ、いつものことだから」

これがいつものことって結構激しいな、とリリィは思う。
その間もルイはリリィの濡れた制服をポンポンとハンカチで拭いていた。

「あの…もう、大丈夫、です」
「本当にごめんね。濡れたままで風邪ひいたらいけないし、俺が言えた義理じゃないけど早く帰ってお風呂に入って温かくするんだよ。あ…そうだ」

ルイはカバンから手帳を取り出すとサラサラと何か書いてリリィに手渡した。

「俺の連絡先。制服のクリーニング代わかったら教えてね。それに今回のこともちゃんと謝りたいからお茶でも奢るよ」

貰ったメモをぎゅ、と握りしめる。
友人のユーリィと、いま会ったルイという男と他人の優しさに触れて、なんだか胸が苦しくなる。
濡れたカーディガンを脱いで、リリィは先ほど連絡を入れかけていた客の男たちに時間を決める返信をいれた。





学校で男に抱かれ、帰りにラブホテルでも抱かれ、少しふらつく足取りでたどり着いた自宅のアパートは扉を開けても電気がついていない。
リリィはただいま、を言うこともなく暗い廊下を歩き、リビングに着くと今日稼いだ分のお金をテーブルに置く。
すると背後から声がかかった。

「リリィ、帰ったのか」
「……親父」

空いた酒瓶がいくつも床に転がっている。
ふらふらと酔った足取りで息子へと向かうと、後ろから抱きつき、服の中に手を入れた。

「……っ!」

やだ、と咄嗟に出かかった言葉を飲み込む。
嫌がれば嫌がるだけ、父親の機嫌を損ね行為が酷くなるからだ。
もう、諦めてしまった。嫌だと声を出すことも。涙を流すことも。

「今日もちゃんと稼いできたんだよなあ?」
「…っ、ん、テーブルに、置いてある…ッ!」
「だったら慣らす必要もねえな?まず、しゃぶれよ」

父親のスウェットを下ろして、生臭いそれを口に咥える。できるだけいやらしく音を立ててすると父親は喜んだ。
数年前に亡くなった母親はよく働いていた。
母親が生きてる時の父親もよく働いていた。
もう記憶も朧げだが、親子でこんなことを強いる父ではなかったと思う。
母親が遺したお金は父親の酒代と賭け事ですぐになくなってしまった。
いま高校に通えてるのは母方の親戚のおかげだ。引き取られることはなかったが、十分ありがたいと思う。
暗い部屋で台所の水洗台がぬらぬらと月明かりを反射する。
乱暴に身体を倒されて仰向けに寝転ぶと開けっぱなしの窓から夜空が見えた。星がきらきらとしていて、諦めたのに、もう諦めたのに泣きそうになる。
何度も押さえつけられた腰を揺さぶられ中にどろりと精液が吐き出された。




父親との行為のあと、重たい身体を引きずって風呂場に行く。
シャワーを頭から浴びながら、足の間を吐精されたものが伝っていくのをただ眺めてた。
心配して遅くまで待っていてくれたユーリィの優しさ。ただ一度ぶつかっただけの相手からかけられた優しい言葉。
それらがダイヤモンドをも切り刻むナイフのようで痛い。

「痛いよ…オレに優しくしないでよ…」

リリィは風呂場にあるカミソリを手に取った。何度も傷つけた跡のある手首に刃をあてて思い切り引く。プツリと切れた肌はじわじわと血を滲ませ、血の筋を作った。
最初こそ刃物で切る鈍い痛みに眉をしかめたが、今はこれをしてる時が一番落ち着く。

「違う…ごめん…オレに優しくされる価値がないんだ」

ぼろぼろと溢れる涙をシャワーが流していった。


-エムブロ-