あなたの影はまだ遠いけど(クジャジタ)
※オペオムのクジャジタ
イーファの樹での一件以来、クジャは戦闘に呼ばれた時だけは顔を出すものの、それ以外で姿を見せることはなかった。
彼がほんの少しでも救われたならいいと思っているジタンはそれがもどかしく、ただすぐにどうにかなる問題でもないということはわかっているつもりだった。
クジャに沢山のものを奪われた仲間たちは、それでもクジャを助けるために力を貸してくれた。きっと、いまのクジャはその意味を知っている。
……苦しいだろうと、思った。
クジャは死にたくないと言ったのではなく、生きたいと言ったのだ。
生きたいと渇望しながら自身が既に死んでいるという記憶を持って、いま、生きているのは。
目の前で揺れる銀髪。今日の戦闘にクジャは呼ばれて共に戦っている。
いつも戦いが終われば長居することはなく、すぐに姿を消してしまうから、どうにかして引き止めて話をしたいと思った。
−−引き止めて何を話したいのか、わからなかった。どう、声をかけていいのかわからなかったのかもしれない。それでも話さないといけないと思う。
すぐに解決できない問題だとしても行動するかしないかのどちらかしか選べないのなら、前者を選びたかった。
「ジタン!」
「え?」
勝ち目の見えていた戦いに思考に足をとられていて、仲間の声にはっとして気付く。
目の前に迫ってきた炎を避けるにはもう遅く、ジタンはせめて急所は避けようと防御の姿勢をとり、ぎゅうと目を瞑った。
「……っ?」
しかし、炎の熱がその身を焼くことはなく、代わりにボムの断末魔が森に響いた。
「戦いの最中になにを呆けているんだい」
クジャがジタンを庇って、少年の前に立ち背を向けていた。
炎はクジャの魔法で相殺し、そのままモンスターにとどめを刺したのだ。
「…わ、わりぃ…」
「まったく、危なっかしい」
クジャが呆れて溜息をついた。
「ジタン、大丈夫か!?」
仲間たちが駆け寄ってくる。ジタンはそれに笑顔で大丈夫だと返そうとしたが、その間にもクジャは歪みを作り出して帰ってしまいそうだ。
「クジャ!」
「……なんだい」
ジタンが慌ててクジャの袖を掴む。
クジャに見下ろされて、紫に青の混じった瞳と視線が絡んだ。見上げてくる翠に青の混じった瞳が揺れていて、クジャは眉を寄せた。
クジャはどうもジタンのこの瞳に弱いと思う。
「用がないなら僕はいくよ」
「あ…」
するりと指の先から袖が抜けていく。
「待ってくれよ、少し…話していかないか?」
「キミと?用があるなら手短に頼むよ」
「用ってわけじゃないけど…」
少し言いにくそうに口籠るジタンにクジャはもう一度溜息をついた。
そして背をかがめてジタンの耳元へ口を寄せて囁く。
「今夜、会いにくるよ」
くるりと踵を返した青年の背が歪みの中へ消えていく。
「ジタン……」
ビビがとことこと歩いてきて、不安げにジタンを見上げた。
「クジャに何か言われたの?たすけてくれたみたいだけど……」
「戦闘中にぼうっとするなってさ」
肩をすくめてみせるとビビが安心したように、そっか、と呟いた。
「一体どうしたんだい」
セシルも声をかけてきた。
「悪い…ちょっと考え事してて、ヘマしちまった」
「悩み事があるなら聞くよ」
「悩みってほどじゃないんだけど…」
セシルの優しそうな笑みを見ていると全てを吐き出してしまいたくなる。
酷い焦燥だ。
「じゃあ……少しだけ、いいかな」
「勿論だよ。森を抜けたら飛空艇で話をしよう」
その後は特に手強いモンスターと出会うこともなく、早い足取りで森を抜けることができた。
ヴァンとパンネロがはしゃぎながら船内へと続く梯子を上っていく。
「元気だね」
「まったく、子どもだなあ」
「僕からしたらジタンもそう変わらないけれど」
「えっ?」
「え?」
予期せぬ返答にジタンは腕を組み、セシルをジトッと見上げる。身長差があるために見上げる形になってしまうのが悔しい。
「やっぱ、セシルに相談するのナシ」
「冗談だよ、ジタン」
「セシルの冗談は冗談に聞こえないんだよ!」
「そうかな」
「そうだよ」
ふたりも梯子を上がり、甲板へと向かった。
暫くは操縦室からセッツァー達の誰が操縦をするか問題が騒がしく聞こえてきたがひと段落したようで、徐々に巨大な飛空艇が地面から上がっていく。
強い風がふたりの髪を撫でて、銀色と金色が青空に反転した。暫くすると安定した高度で操縦が落ち着く。
手すりに背を持たれてセシルとジタンのふたりは並んでいた。
「お兄さんのことで悩んでいるのかい」
「……やっぱりわかる?」
「わかるよ。きっと君の元の世界の仲間たちにも、この世界の仲間たちにも」
「心配かけちゃってるよな」
「悪いことじゃないよ、心配をかけることは」
「セシル…」
「ジタンが大切だから心配をするんだ。それは僕だって同じだ。……だからってそう簡単に、それならって割り切れるものでもないって僕もわかるけどね」
そう言ったセシルは困ったように笑う。
「…似てるんだ」
ジタンがぽつりと呟く。
「オレも小さい時にクジャに捨てられてさ…オレにとっての家族は育ての親とタンタラスっていう仲間がいたけど血の繋がりのある肉親はいないって思ってた。…クジャとも血の繋がりがあるわけじゃないんだけどさ」
「ジタンはお兄さんに捨てられたことが引っかかっているのかい」
「いいや。あいつがどんな気持ちでオレを捨てたとしても、結果、オレは捨てられたおかげで大切なものが何かを知りながら生きてこれたから。…捨ててくれてありがとう!だなんて万歳できる気持ちでもないけど」
幼い頃の言語化できない喪失体験は、他人に踏み込まれたくない孤独となってジタンに根付いていたから。捨てられたことでクジャと同じように死神として生きずに済んだというのはジタンからすれば後から知った結果論だ。
「クジャはさ、元いた世界で戦争を起こして……たくさんの人を傷つけた。オレの仲間たちのことだって。いのちを奪うことになんの罪悪感も持ってなかったんだ。それでも…最期にオレを助けてくれた。生きろって言ってくれたんだ」
俯いたジタンの横顔を金髪が隠した。
「でも…オレは言えなかったんだ。この世界で、助けたいって。クジャがまた仲間を傷つけたらって思ったら。みんなの気持ちを考えたら。もしも、オレがクジャに言えてたなら今回みたいなことはクジャも起こさなかったかもしれなかったのに」
「ジタン……」
「そのせいで、ビビも…イミテーションのビビのことも傷つけて……オレのせいだ」
胸に当てた手が強く服を握った。
その手が震えている。セシルはそっとジタンの手に自身の手を重ねて、強く握った拳を解いた。
自分よりもずっと小さな肩を掴んで視線を合わせる。
「ジタンのせいじゃない」
「……」
「ジタンのせいじゃないんだよ。僕だってそうなんだ。どこかで満ち足りていた過去に戻りたいと思っていた僕の弱さが記憶を欠落させて、親友のカインのことを信じられずに、兄さんのことだって傷つけた。僕はそれが酷く歯痒くて、情けなくて……僕自身を見捨ててしまいたいと思うこともあったよ」
「それは…セシルのせいじゃないよ」
「ジタンはそう言ってくれるだろう?そういうことなんだよ。それに、ジタンの気持ちはちゃんとクジャに届いているよ。話し合うことができるんだろう?」
「聞こえてたのか…?」
「なんとなくだよ。大切なのは共に育ったかどうかじゃない、ジタンは僕に言ってくれたね。離れて開いてしまった溝も歩み寄っていける…今なら僕からはジタンにそう、返せるよ」
「セシル……」
「大切なんだって、そう一言言えればいいんだ。僕も、ジタンも」
にこりと笑ったセシルの笑顔は少し寂しそうだった。
見上げた濃紺の空にはこぼれ落ちそうなほどの星が瞬いている。
飛空艇の灯りは遠い。夕方に雨が降ったため、今夜は少し肌寒い。
深く息を吸い込むと、雨の匂いで胸がいっぱいになった。
湿った土の匂いはなんだか気持ちに影を落とす。クジャは本当に来てくれるのだろうか。
木に背をもたれてため息をついた。
「なに話したらいいんだろ……」
勢いでとってしまった行動を後悔はしていないけれど、どうしたらいいのかはジタン自身まだわからないままだ。
「話すこともないのに僕を呼び止めたのかい」
「クジャ!」
歪みからクジャが現れた。
「本当に来てくれたんだな」
「来ないと思ったのかい」
「そうじゃないけど…あれから戦いの時しか顔出さなかったろ」
一度俯いてからちら、とジタンがクジャに視線を向けるとクジャは目を細めた。
「以前だって余計な長居をしたことはなかったはずだけどね」
「………この世界に最初に来た時、オレのところに来ただろ。運命を変えられるかもしれないって」
「…そんなこともあったかもしれないね」
クジャは眉を寄せる。
あまり指摘されたくなかったことを言われた時の顔だ。
この世界は元の世界にも幾つもの世界にも影響を与えることができる。例えば崩壊の定めのない国を滅ぼすことも、たったひとりの死の定めを変えることも。
ジタンはその時、クジャがどんな手段を使おうとしているのかが定かではなく、彼の話に理解を示せなかった。
最初のすれ違いはそこからだったと思う。
「そんなことより、僕とふたりで話し込んでいていいのかい?キミの仲間が見たらどう思うのか…」
「もう誰もお前を敵だと思ってないって、クジャだって知ってるだろ」
イーファで仲間たちはみんなクジャと世界を守るために武器を取ったのだから。
「オレだって……」
ジタンがクジャの手をぎゅっと握った。
そして真っ直ぐにクジャを見つめる。
夜の暗闇の中に銀色の輪郭がとけている。
「オレだって、そうだ。大事なんだ……クジャのこと」
言って恥ずかしくなって俯いた。
言ったからな、セシル!と心の中ですがる。
馬鹿にされるかもしれない。クジャの言葉を待っていると握った手がするりと抜けて背中に回された。ぎゅっと強く抱きしめられる。
「クジャ……?なにして…」
予想もしていなかったクジャの行動に心臓がばくばくと音を立てて肌越しに伝わってしまいそうだった。
「キミが仲間を守るために僕と戦った時は絶望を覚えたよ。知らない誰かをまもるためにこの僕と戦う……本当にキミは…僕の死の定めを受け入れているんだと」
耳元で囁かれる声は低い。
抱きしめる腕に力がこもる。
僅かにその手が震えている気がして、ジタンは目を瞑る。こんなにもクジャを傷つけていた。たすけたいと、その一言が言えなかったから。大事だと言えなかったから。
「なにを犠牲にしたっていいと言って欲しかった。僕はただ、キミに生きてていいと認めて欲しかったんだよ、ジタン 」
「クジャ……」
ごめん、と謝るのも違うと思って、彷徨っていた手をクジャの背にまわした。
「僕だけを優先してほしい。……キミの仲間たちに手を貸されてなお、まだこんな風に思っているんだ。……失望しただろう?」
「……そんなことない」
「本当に?」
「本当だ」
「それなら」
クジャがジタンの肩を掴み、ジタンを見下ろす。
「…僕が生きていいと、そう言ってくれないか。なにを犠牲にしたっていい、僕が生きていれば、と」
真っ直ぐに見つめてくるクジャの瞳はいつもより冷たい気がした。
「オレは……」
ジタンが答えようと口を開くと同時にクジャに触れるだけのキスで塞がれて言葉にはならなかった。
「……っ!」
「意地悪なことを言ったね」
「クジャ!まだオレはなにも」
「いいや、これ以上はいい」
「クジャ」
「聞きたくないんだ、ジタン」
今度こそクジャはジタンに背を向けると、また空間が裂けて歪みが現れる。
「オレ…またお前のこと傷つけたのか…?」
「おかしなことを言うね。いつもキミを傷つけてるのは僕の方だろう」
クジャは一歩踏み出すと一度視線をジタンに向けた。
「ジタン、キミはやっぱり優しいね」
その意味を測りかねているうちにクジャは姿を消してしまった。
怒っているのか、わかってくれたのか、クジャの気持ちが言葉の温度からはわからなかった。
大事だと言ったこと、それが彼に届いているといい。
「そういえば…キス、された……」
ハッとして唇に触れる。
今日はおかしなことだらけで調子を狂わされてばかりだ。
少しずつでいい、クジャとの距離を縮められたらいい。この世界ではいま、それが叶うのだから。
ジタンは仲間たちのいる飛空艇へと歩みを進めた。