通り雨(クジャジタ)


遠くで空の唸る音がする。
遅れて雲間を光が裂いた。
駆け足のふたりは、今にも崩れてしまいそうな小さな小屋を目指していた。

「酷い目にあったね」
「あーあ、びしょびしょ……」

やれやれ、と溜息を吐きながらクジャが前髪を掻き上げる。
ジタンは胸元のフリルを摘んで、ぼたぼたと垂れていく水滴を見ていた。
襤褸の小屋は所々雨漏りがしているものの、雨宿りをする為に一時的に身を置くには十分だった。

「代えの服なんてないかな」

雨が吹き付ける窓を閉めると、立て付けの悪い窓はガタガタと揺れる。
つい先程まで晴れていたのに、歪みをひとつ越えた途端にこの空模様だ。
ジタンは埃を被ったタンスの引き出しをひとつずつ開けていくと、白いシャツを手に取った。

「クジャ、お前も着替えたら?このままじゃ、風邪ひいちまう」
「僕にそんな服を着ろと?この僕に?」
「……」

いま着ている奇抜な服よりはるかにマシだと言いかけた言葉を飲み込んだ。

「風邪ひいても知らないぞ。ほら、身体くらいふけよ」

引き出しで一緒に見つけたタオルをクジャへと放ると、クジャは汚いものを触るようにタオルを摘んで少し嫌そうな表情をした。
しかし観念したようで、水の滴る髪を拭いていく。
その様子を確認したジタンは雨でびしょ濡れになったベストとシャツを脱ぎ、乾いたシャツへと袖を通す。

「……なに」

途中、クジャの視線を強く感じてジタンが動きを止めた。

「キミは腰が細いね。年齢よりもずっと子どもの身体だ」
「気持ち悪いな」
「ご挨拶だね」
「男の着替えなんか見てなにが楽しいんだか…」
「僕は楽しいよ」
「え」
「ジタンだからね」
「……クジャ、もう風邪菌が頭までまわったとか…?」

ふふ、と楽しそうに笑うクジャに背中が寒くなってジタンは距離をとった。
ここ暫く、クジャの様子がおかしい。
何かとスキンシップをはかろうとしてくるのだ。それも異常な程に。
例えば戦いで怪我をすれば、傷を癒す魔法をかける前に一々怪我の様子をじっくり確認してみたり。
出会い頭に手を取り、ずいと顔を近づけて視線を同じ高さに合わせてから挨拶をしてきたり。
ジタンの印象では、クジャは他人と触れ合うのを好まない性格だったように思う。
ーー何かあったのだろうか。

「ジタン?」

クジャに声をかけられてハッとした。

「どうしたんだい。呆けてしまって」
「いや…」

いそいそと着替えを終わらせて、濡れた服を窓の近くのハンガーにかけた。
埃っぽく古い部屋だったが、まるでついさっきまで誰かが暮らしていたように生活感のある部屋だった。そこから人だけが消えてしまったように。
テーブルの上のハーブティーはとうに冷えている。

「ジタン、こっちへおいで」

継ぎ接ぎのキルトの敷かれたソファーの前でクジャが手招いている。

「何か見つけたのか?……わっ」
「髪がびしょ濡れじゃないか。それじゃあ、いくら服を着替えたって意味がないだろう」

クジャはソファーにジタンを座らせるとタオルで髪をふいていく。

「いいよ、自分で…」
「たまにはいいだろ」
「……クジャ」

やっぱり、おかしい。
様子のおかしいクジャを振り返ろうにも頭にタオルを被せられていて、その表情はうかがえなかった。
髪を結っていたリボンをクジャが解き、優しい手付きで水分を拭っていく。

「お前、なんか変だよ」
「そうかい?」
「そうだよ」

外の閃光が部屋を白く点滅させる。
目を瞑ると、手櫛でといた髪をタオルに挟んで拭われる感覚でいっぱいになってしまう。
なんだか気恥ずかしくてジタンは黙って俯いた。
もしも、なんて言ったところで過去は変わらないし、いまはいまのままだ。
何度祈った願い事もただの思考ひとつで、願掛けのコインもただの鉄屑だ。
それでも、もしも、自分とクジャがなんの変哲もないただの兄弟だったら。
やり直せるのかもしれない。この世界なら。
そんな風に思ってしまった。

「ほら、終わったよ」
「へ?あ、ああ」
「さっきから心ここに在らずって感じだね。僕といるのは、そんなにつまらないかな?」
「そんなんじゃないけど」
「じゃあ、どうしたっていうんだい」
「……」
「黙っていたらわからないよ、ジタン」

手を引かれ、向かい合わせにソファーに座らせられてジタンは視線を彷徨わせた。
足元に敷かれたラグは見たことのない模様で、この小屋がきっと自分たちとは違う世界のものなのだと知る。
雨音が部屋をいっぱいにして、ジタンは重い口を開いた。

「クジャと……普通の兄弟だったら、こんな風だったのかなって…考えてた」

クジャは少し驚いたように目を開いたが、すぐに口角を上げていつもの様に笑ってみせた。
その一瞬、なんだか寂しそうな表情が見えた気がしてジタンは胸が痛む。
なんでそんな表情をするのだろう。自分たちは多分、前よりも良い関係を築けているのに。
詰めたと思った距離が無限に開いた様で、ジタンは自分の手をぎゅっと握った。

「だから…クジャがなにか悩んだりしてるんならオレはそれを知りたいなって。…最近、お前ちょっと変だし…」
「変とは失礼だね。…まあ、いい」

クジャがゆっくりと上げた手で、そっとジタンの頬に触れる。
顔を上げたジタンの額にこつん、と自身の額を重ねた。

「ジタンに僕のことを好きになってほしいだけなんだ」
「……オレは別にクジャのことを恨んだりしてないよ」
「知ってるよ。でもジタンは僕のことを知らない。例えばこんな風に」

とん、と肩を押されてソファーに押し倒される。
突然のことに抵抗もできないまま、クジャに組み敷かれてしまう。

「クジャ…?」
「こうしてキミに触れて」

首筋を指先で撫でると、ジタンがびくりと肩を震わせた。
驚いたまま身動きのできない少年の鼻先にキスをして、そして小さく開いたままの唇に口付ける。

「んっ…!?」

逃げる舌を絡ませて歯の裏をなぞると、ジタンがクジャを押し返そうと肩を両手で掴んできた。
その抵抗を封じ込める様に更に深く咥内をせめると息苦しさにジタンが肩を強く叩く。
その反応が無力な子どもそのもので、嗜虐心が首をもたげる。

「んん!…ふ…っは、はぁ…」
「こうして押さえつけて…キミのことを抱きたいと思ってる」
「っ…クジャ…?なんで…」
「好きだからだよ、ジタンのことが」

乾いたシャツの下の冷えた肌を弄り、太ももの内側に触れるとジタンが脚を閉じようとするが、それはクジャが身体を割り入れてるためにできなかった。

「や、やめろよ…!」
「僕のことが知りたいんだろう?」
「そう、だけど…!だけど、オレはこんなの……っあ!」
「可愛い声じゃないか」
「……っ!!」

こんなの、知らない。
ただ、クジャと敵としてではなく一緒に戦う仲間としてもう一度出会えたこと、もしかしたら普通の兄弟のように軽口を叩き合って隣を歩けること、そんなことを望んでいたのに、でも、こんなにも違う。
口を引き結び、ぎゅっと目を瞑っているジタンの睫毛が小さく震えている。

「クジャ……頼むから、もう……」

知らない。
クジャのことがまるで知らない他人のように思えて、急にこわくなってしまう。
細い指先が幼い頬の輪郭をなぞり、涙を拭った。

「……ジタンにそんな顔をしてほしい訳じゃないんだ。さあ、お終いだよ」

クジャはあやすように、ぽんぽんとジタンの胸を叩くと彼の身体から退いた。

「通り雨だったようだね」

窓の向こうは、先程までの雨が嘘のように晴れ渡っていた。それを見るクジャの表情がジタンには見えない。
ジタンはのそのそと身体を起こすと、頬に一粒涙が伝って初めて自分が泣いていたことに気付いた。
多分、クジャは苦しいだろうと思った。
だって、こんなにも違う。
相手を好きだと思う気持ちは一緒なのに、こんなにも遠い。

「クジャ…ごめん」
「どうしてジタンが謝るんだい?怒りたければそうしていい。気持ち悪いと思ったなら」
「そんなんじゃない!」

思ったよりも大きな声が出て、ジタン自身も驚いてしまう。
何度か視線を彷徨わせてから、まだ湿り気を帯びているクジャの袖を辿々しく握った。

「……クジャの隣にいたいよ」
「冷たいことを言うね、キミも」
「オレの我儘だ」
「可愛らしい我儘じゃないか。……もう、行くかい?」

ジタンはこくりと頷いて、窓にかけていた服を取る。
ふたり並んで、小さな小屋を後にした。
手に抱えたまだ濡れたままの服は、ほんの数十分前に分かり合えると思っていた気持ちを思い出させた。


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