息絶えた今日
※オペオムのクジャジタ
風がふいて木の葉が重なり合い音をたてた。
夜の闇の中で、大きな木々たちは一層濃い黒で空に影をつくる。
とん、と軽い足取りで飛空艇の梯子から降りた少年は大きく息を吸って深く吐き出す。懐かしさで胸がいっぱいになってしまうような夜の味がした。
「どこへ行くんだい」
「セシル」
ジタンが顔を上げると、セシルが梯子の上から声をかけた。
「ちょっと…散歩」
「悩みごとでも?」
「……まあ、そんなとこ」
ジタンが小首を傾げ、笑ってみせるとセシルは予想していなかった返答に、意外そうに眉を上げた。
この小柄な少年が人前で悩みごとがあるなどと口に出すなんて滅多にないことだからだ。
「僕に力になれることかな」
「少しひとりで考えたいんだ」
悩みがあると伝えた上で、その内容を明かさない。ジタンは迷っているのだろうとセシルは思った。
ーーまるで、今までの僕のようだ。
「なあ、セシル」
「なんだい」
「兄貴のこと……よかったな」
再びセシルは眉を上げ目を開く。
そしてゆっくり瞬きをして、ありがとうと答えた。
「すぐ戻るよ」
「気をつけて」
背中を向けて歩き出した少年が見せた笑顔が少し寂しそうにセシルにはみえた。
少し背の高い草をかき分けて、水面の揺れる池のほとりへと出た。
湿り気を帯びた地面に気にせず腰を下ろし、ジタンは星の多い空を仰ぐ。
「ここで生かされている意味、か……」
エアリスから聞いたクジャの言葉が頭から離れなかった。
クジャは自分の運命を変えたいと思っている、そうジタンは思っていたし、今でもそう考えている。
しかし、森の中でジタン達が追いつくよりも早くクジャと言葉を交わしていたエアリスは彼が「この世界の真実を、何のためにここで生かされているのかを知りたい」と言ったのだと。
自身が命を落としていることを知りながら生きるクジャのことを考えると、冷たい暗闇の中に放り込まれたような寒さを覚えてジタンは自身の肩を抱いた。
自分の手がまだ届くのならクジャを助けたい。
そう思う自分の気持ちよりもずっと遠いところにクジャがいるような気がして、空を見上げたままジタンはその場にごろりと寝転んだ。
月を隠す雲がゆっくりと流れて散り散りになっていく。
−−会いたいな。
そう、思った。
クジャは元の世界で仲間や多くの人を傷つけてきた。ダガーの母を殺し、黒魔道士を欺き、戦争を引き起こし……それは誰にとっても許されないことで、それ故にジタンはクジャに面と向かって本音を話せないでいる。
あのイーファの大樹で彼に手を差し伸べたのは、世界でたったひとり、紛れもなく自分だというのに。
「臆病だな…オレも」
セシルは記憶を取り戻し、ゴルベーザを兄と呼んだ。その光景を目にしたとき、ジタンは自分にとって兄ともいえるクジャのことを考えていた。
クジャのジタンに対する行動と言動、そしてジタン以外の誰かの前での言動。
それらをかき集めると、ジタンはクジャのことが少しわからなくなる。
もしかしたらセシルのように、自分も知らないうちにクジャに関する記憶の大切なものをなくしているのではと、そんな不安さえ覚えた。
「クジャ……」
腕を伸ばし、開いた手を見つめていると、視界に銀色の影が落ちた。
「うるさい子だね。聞こえているよ」
「……へ?」
ジタンが勢いよく身体を起こす。
そこには面倒そうな表情を隠さないクジャの姿があった。
「クジャ!?なんでここに……!」
「キミがうるさいからだよ」
「……あ」
精神感応。
元の世界でもクジャはそれを使いジタンへ話しかけてきたことがあったが、ジタンはその方法を知らない。
クジャのことを考えているうちに無意識にその力を使っていたのだろうか。
「僕になにか言いたいことでもあるのかい」
「え!?いや…その」
クジャは目を細めて、大きくため息をついた。
「用がないなら僕は帰るよ」
「あっ、待てよ!」
踵を返したクジャの手をジタンが掴む。
「なんていうか、その……少し話さないか?」
「何を」
ジタンは一度俯いて何度か口の端を引き結ぶ。
「…例えば、お前のことでオレが忘れてることはないか、とか……」
「……ジタン。良いことを教えてあげよう」
クジャはジタンを酷く冷めた目で見下ろすと、掴まれていた手で逆に強くジタンを自分の方へと引き寄せ、ぐっと顔を近付けた。
「僕はいま、機嫌が悪い」
吐息がかかる程の距離で囁かれた言葉は低く、ジタンが目を開くと視界が反転して、先程まで身を横たえていた地面に押し倒されていた。
咄嗟に武器をとろうと動かした腕が重く、思うように上がらない。
「なに……」
「僕が魔法に長けているのは知っているだろうに、何も対策をせずに呼んだのかい?」
身体を起こせないでいるジタンの横に膝をついて屈んだクジャがジタンの瞳を覗き込むと、大きな青色の目の中にはクジャが逆さまに映っている。
「キミが何を忘れているかなんて僕は知らないよ。けれど、キミが覚えていることは知っている。再現してあげようか」
そう言って笑ったクジャの表情にぞくぞくと肌が粟立ち、ジタンは逃れようと身体を起こそうとするが魔法の効力で自由が効かない。
クジャはジタンの頬を撫で、指先で首筋をなぞると、そのままシャツをたくし上げる。
「おい、クジャ!?なにするんだよ…!」
「こうやってキミの大事な仲間を傷つけて」
「っう、あ…!?」
無防備に晒された柔らかな肌にクジャの指先が触れる。
腹部をつうと撫ぜると、そこが焼けるように熱く、ジタンが顔を歪ませた。
「キミのことも傷つけた。そうだろう?」
触れられた箇所の肌がぶつぶつと裂け、傷に沿って赤い血の玉が浮き上がる。それはすぐに形を崩し、繋がり、どろりと生暖かく肌を滑っていく。
「あっ…ぁぐ…ん!」
「痛いかい?そうだろうね、腹が裂けているのだから」
「うあ…あ…っ!」
「可哀想に」
下腹部までなぞり、血のついた指先を舐め取りながらクジャが口角を上げる。
うまく動かない腕でクジャを押し返そうとしても指先が震えるだけで抵抗にはならなかった。
「だけどキミはこんな事より、他人を傷つける僕が許せないんだろう」
「…ク…ジャ」
傷付いた腹部の皮膚が突っ張ってちりちりと痛む。
多分、許していいことじゃない。
でも、憎みたいわけじゃない。
ただ仲間の顔を浮かべると、どの口でクジャを助けたいだなんて言えるのだろうかと思ってしまうのだ。
一度、手を差し伸べたのは自分の方なのに。
それがクジャを傷つけているのだと、血のにおいをさせた手で頬を撫でられてジタンは知る。
「そう…たかだか、こんな事だ」
クジャが一言呟くと突然、今までの鈍く重い痛みとは違う、鋭い痛みが強い吐き気と共にせり上がってきて、ジタンは目を開き唇を震わせた。
「あっ……!?」
開いた傷口に手を突き立てて、指先で遊ぶ。
すると柔らかな肉が指に絡み付いて温かく、クジャは少し気持ちが和らいだように感じて更に深く内臓を掴む様に掻き混ぜた。
「ぅあ…あ…はっ…っ」
途切れ途切れに少年が喘ぐ。
引きつる呼吸が悲鳴を大きく上げることを許さない。
開いたままの口の端から唾液が伝い、大きな目に溜まった涙が、まだ幼さを残す頬を流れた。
「おやおや…泣いてしまうのかい」
「…あ……」
「随分と可愛らしい顔をしてくれるじゃないか」
仰向けに押し倒されているジタンには何が起きているのかわからない。
身体の中をぐちゃぐちゃに掻き混ぜられる感覚だけが伝わってきて痛くて、気持ち悪くて、こわかった。
背中が跳ね、肩が震える。
クジャが何を言っているのかもわからない。
視界が滲んで、意識がぐるぐるになる。
あまりの激痛に遠退きそうになる意識が、また次の痛みで無理やり引き戻される。
優しく髪を撫でられる感覚、内臓が引きずりだされる感覚、手放されたこと、もう一度手を取ったこと、息絶えた過去。
揺れる視界に映る銀色に、ジタンはやっとのことで手を伸ばし弱々しく握った。
「…て…っ、よ……」
「聞こえないよ」
「生きて、ほしかったよ」
一息に言った少年は意識が酷く混濁している。
クジャは不愉快そうに眉を寄せると、遊びは終わりだと血塗れの手をずるりと引き抜き、その手で傷を癒す。
回復魔法で見た目の傷は癒えていくが、当然ジタンはぐったりとしたまま動かない。
「……。」
黙り込んだままクジャはジタンを見下ろしている。すると、遠くから草を踏む音が聞こえた。
「ジタン?」
すぐに戻ると言って出て行ったジタンが戻らず、心配をしたセシルが探しにきたのだ。
立ち上がり、ジタンに背を向けたクジャは振り返らない。
「それがキミの本心なら、僕を過去にはしないでくれ」
ぽつりと呟いた言葉は熱に浮かされる少年には届かずに消えた。